書類の間に挟まれた本音

書類の間に挟まれた本音

毎日のルーティンに埋もれていく「自分の声」

朝一番にメールチェック、電話の対応、申請書類の作成、法務局への提出。ひとつ終わるたびに「次」がくる。気づけば一日が終わり、そしてまた朝が来る。そんな繰り返しの中で、「自分は今、何を感じているのか」なんて、考える余地がない。考えようとすれば、「そんな暇があるなら登記準備を進めろ」と自分自身に叱られる。書類を前に、気持ちを挟む余裕なんてどこにもない。けれど、ふとした瞬間に、その「声」が聞こえてくるときがある。

忙しさがすべてを正当化してくれる、という罠

仕事に追われていると、「自分はちゃんとやっている」と思えてしまう。確かに目の前の案件をこなしている事実があるから、間違いじゃない。でも、それは「充実」とは違う気がする。忙しさに身を任せていれば、自分のことを見なくて済む。感じなくて済む。これって、逃げなんじゃないか。そう思う瞬間が、たまにある。けれどまた、「いやいや、それどころじゃない」とファイルに目を落とす日々だ。

目の前の依頼をさばくことが「生きてる実感」になっていた

ある意味、忙しいというのは一種の麻薬だ。ひとつ終えるたびに、ちょっとした達成感があるし、「今日もやったぞ」と思える。でも、それが積み重なるほどに、自分が何のためにこの仕事をしているのかがぼやけてくる。20代の頃は「誰かの役に立ちたい」なんて青臭いことを言ってた。でも今は「遅延なく処理する」ことだけが目標になっている。それは果たして「本音」なんだろうか。

スケジュール帳に感情の居場所はない

打ち合わせ、期日、納品、登記申請。私のスケジュール帳は予定でぎっしりだ。でもその中に、「自分の感情」が入る余地はない。喜びも、疲れも、不安も、どこにも記されていない。ただ、空白が怖いから埋めているだけなのかもしれない。以前、ぽっかり予定のない日があったが、逆に落ち着かなかった。そんなふうにして、自分の気持ちに蓋をして生きている。

本音は、ファイルの隙間に隠れていく

書類整理をしているとき、不意に「この仕事、いつまで続けられるんだろうな」と思うことがある。やめる気なんてない。だけど、ふとした拍子に、本音がひょっこり顔を出す。それを打ち消すように、また依頼を受けて、処理して、疲れて眠る。結局、またファイルの間に押し込めてしまう。

封筒に手を伸ばすたび、少しだけ心が沈む瞬間

新しい郵便物が届くたび、ちょっとした緊張感がある。内容証明、差し戻し、訂正依頼……。「また何か面倒なことが」と思ってしまう。もちろん仕事だから当たり前なのだが、そんな自分に嫌気がさすこともある。昔はもっとワクワクしていた。依頼がくることがうれしかった。けれど今は、「また自分の時間がなくなる」と思ってしまう自分がいる。

誰かの「ありがとう」が重く感じる日もある

「助かりました」「本当にありがとうございました」。そう言われることは、司法書士として一番の報酬だと分かっている。でも、疲れ切っているときは、その言葉すら重荷になることがある。「そんな簡単に言うけど、こっちは必死だったんだよ」と、思ってしまう自分がいる。でも、それを口に出したら終わりだ。だから黙って笑って「いえいえ」と返している。

ひとり事務所という「静かな戦場」

私は今、地方で事務員一人と二人三脚でやっている。小さな事務所だ。静かだし、落ち着いていると言えば聞こえはいい。でも実際は「静かすぎる」。相談も迷いも、全部自分で抱えるしかない。間違えれば全部自分の責任。孤独という名の重さが、いつも肩にのしかかってくる。

事務員がいても、孤独感は消えない

事務員がいてくれるだけで助かっている。書類の準備や電話対応も任せられるし、正直、いなかったらもう回らないだろう。でも、肝心な判断や方向性は、やっぱりすべて自分。ちょっとした悩みすら、「一緒に考えてよ」とは言えない。相手に負担をかけたくないし、何より、相談しても分かってもらえない気がするから。

判断も責任も、結局は自分

司法書士という職業は、独立してナンボと言われる。自由に見えて、実はとても不自由だ。上司はいない。でも、だからこそ「責任の行き先は自分だけ」。プレッシャーは常にあるし、ちょっとした判断ミスが、大きな損害につながることもある。その緊張感の中で、自分の感情は常に後回しになっていく。

雑談のようで雑談にならない会話

「今日は暑いですね」「お昼何食べました?」。そんな雑談すら、どこか上滑りしている気がする。相手に気を遣わせていないか、仕事の話が抜けていないか。いつも頭のどこかで「仕事脳」が働いていて、完全には休めない。だから、心から笑える瞬間が本当に少ない。

電話と書類の間で、心がすり減っていく

この仕事、ひたすら「人」と「紙」との戦いだ。電話での説明、依頼者の不安、そして複雑な書類作成。1日の終わりにはぐったりしている。でも、「今日も頑張ったな」と思えない日もある。ただ消耗して終わった感覚。そんな日が続くと、心が削られていくのが分かる。

断るのが下手な自分が一番の敵かもしれない

「これ、お願いできませんか?」。そう言われたら、よほどのことがない限り断れない性格だ。「忙しい」とは言えない。嫌われたくない、というより、「頼りにされたい」という気持ちのほうが強い。けれど、それで自分の首を絞めている。時間も体力も削られていく。やっぱり、一番の敵は自分かもしれない。

それでも、また机に向かう理由

こんなふうにネガティブなことばかり考えてしまうけれど、毎朝机に向かう。いや、向かってしまう。疲れていても、愚痴があっても、それでも仕事を続ける理由が、きっとどこかにあるのだと思う。

たまにある「救われる瞬間」があるから

すべての案件が大変なわけじゃない。たまに、本当に嬉しい瞬間がある。「他の人に断られたけど、先生は話を聞いてくれた」と言われたとき。「やっとこれで前に進めます」と笑顔を見せてもらえたとき。その瞬間だけは、全てが報われる気がする。そしてまた「頑張るか」と思ってしまう。

お礼の言葉が「生きててよかった」になるとき

先日、高齢の依頼者が登記完了の書類を受け取りに来られた。帰り際、ふと「これで子どもたちに迷惑かけずに済みます」と言われた。その一言が、妙に心に残っている。仕事としての手続きだったけれど、あの人にとっては「家族への思いやり」の一部だった。そんな小さな場面が、時折、生きてる意味を教えてくれる。

誰にも言えなかった本音に、少しだけ名前をつけてみる

「しんどい」「寂しい」「報われない」。そんな気持ちを押し込めてきたけれど、こうして文字にすることで少しだけ楽になる気がする。本音って、書類の間じゃなくて、ちゃんと自分で取り出してあげなきゃダメなんだな。誰にも見せなくても、せめて自分には見せてあげよう。そんなふうに思えたら、もう少し前を向けるかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。