頼りたくなるのに、誰もいない夜がある
一日の仕事が終わって、事務所の電気を消した瞬間、ふと無性に誰かと話したくなる夜がある。書類の山は片づいた。登記も無事に通った。でも心の中には、処理できない感情が残る。そんなときほど、なぜか誰にも連絡を取りたくない。忙しさを理由に会わなくなった友人。なにかと気を使わせてしまう親。かといって、話せる恋人もいない。結局、誰にも頼れず、自分の中でぐるぐる悩みを再生してしまう。その繰り返しが、今の自分を形づくっているのかもしれない。
静かすぎる事務所の終業時間
夕方6時。事務員が帰って事務所にひとり。書類棚から紙がすれる音だけが響く。テレビもラジオもつけない。なんとなく静かにしたい気分の日もある。でも、その静けさがふいに寂しさへと変わるときがある。世の中は「家族と夕飯」「子どもと風呂」なんて時間帯。そんな時間に、冷めたコンビニ弁当を黙って食べている自分。誰にも邪魔されない自由のはずなのに、心の奥では「おかえり」の一言に飢えている。
残業は終わっても、心の仕事は終わらない
案件が片付き、今日の業務は完了。けれど、ふとしたときに浮かぶ「あの依頼者、本当に納得してたかな」「登記の説明、もう少し丁寧にできたかも」。そんな後悔や不安が、深夜の心に残り続ける。寝る前にスマホを見ても、LINEは未読のまま。通知が来たとしても、税理士からの確認メールだったりする。「ちゃんとできてるか?」と問い続けるのは、依頼者だけじゃない。自分自身の中にいるもう一人の“完璧主義者”だ。
灯りを消すと、ふと誰かの声が恋しくなる
蛍光灯の明かりを落とし、玄関の鍵を閉めると、夜が本格的にやってくる。あたりは真っ暗で、地方ならではの静けさ。虫の声や遠くの車の音すら心にしみる。そんな夜ほど、声が恋しくなる。たわいもない話で笑ったり、無言のままでも同じ空間にいてくれる人の存在が、どれだけ支えになるか思い知らされる。だが現実は、自分の部屋の中に話し相手はいない。テレビの音が、ただの騒音にしか聞こえない夜がある。
「助けて」が言えないのは、弱さなのか
誰かに「ちょっと聞いてよ」と言えたら楽なのに、それができない。自分の弱さを見せることが怖いのか、それとも相手に負担をかけたくないと思ってしまうのか。たぶん、どちらもある。司法書士という仕事柄、“しっかりしてる人”という印象を持たれることが多い。でも、その仮面の裏には、実はすぐ落ち込みやすいし、焦りや不安に飲み込まれやすい自分がいる。そのことを、まだ誰にも話したことがない。
甘えることに、慣れていないだけかもしれない
思えば、甘えるという行為に慣れていない。子どもの頃から「自分のことは自分で」と言われてきた。失敗しても「ほら、だから言ったじゃん」と言われるのが怖くて、いつしか何も頼まなくなった。大人になって独立し、ますますその傾向は強くなった。「俺が頑張らなきゃ」「事務所を守らなきゃ」と自分に言い聞かせる。でも、その頑張りの裏には、本当は「誰か、ちょっとだけ気づいてくれないかな」という気持ちがある。
独立してから、ずっと“頼る”とは無縁だった
開業当初は、相談相手もなく、毎日が手探りだった。そんな中で少しずつ仕事を覚え、人脈を作り、事務員も雇った。でも「頼る」という行為は、どこかで自分から遠ざけていた気がする。なぜなら、それを許した瞬間、崩れてしまいそうな自分がいたから。誰かに頼ることで、自分の不完全さをさらけ出すことになる。それが怖かった。だから、いまだに「これは自分でなんとかしなきゃ」と無意識に抱え込んでしまう。
最初から一人でやってきたわけじゃないのに
冷静になれば、支えてくれた人たちは確かにいた。資格取得を応援してくれた先輩、開業時に仕事を紹介してくれた仲間、ミスしても笑って許してくれた依頼者。でも、そんな存在さえも、今は遠い記憶の中に埋もれている。自分が“ひとりでやってきた”と思いたいだけなのかもしれない。そのほうが、誰にも期待せずに済むから。裏切られることも、がっかりされることもないから。そんな風に、心に小さな壁を積み重ねてきた。