恋愛の優先順位が消えていった日常と、今の自分の居場所

恋愛の優先順位が消えていった日常と、今の自分の居場所

気づけば恋愛が“予定外”になっていた

恋愛なんて、昔は自然に生活の中に組み込まれていた気がする。でも今はどうだろう。ふと気がついたら、恋愛は予定表のどこにも入っていなかった。書類の締切や、登記の申請、クレーム対応…それらにはきっちり時間を割いているのに、「誰かに会いたい」とか「連絡してみようかな」という気持ちは、頭のどこかに追いやられていた。気持ちが無くなったわけじゃない。ただ、手を伸ばす余裕がない。そんな感覚だ。

「忙しいから」で先送りしてきたもの

「今は忙しいから落ち着いたら考えよう」——そう自分に言い聞かせて、もう何年も経ってしまった。独立してからというもの、仕事の波に追われて、波に乗るのがやっとの日々。気がつけば「恋愛」という単語自体が、頭の辞書から消えかかっている。昔付き合っていた人からの年賀状が届かなくなったのも、もう5年前になるのかと、年末にふと思い出した。先送りにしたのは気持ちだけじゃない。誰かと関係を築くという“行為”そのものも、見ないふりをしてきた。

朝から晩まで“やること”に追われて

朝一で裁判所へ提出する書類を確認し、昼過ぎには役所回り。夕方には依頼者と面談、夜は翌日の準備と記録整理。そのスケジュールをこなすのが当たり前の生活が、もう何年も続いている。効率よく動けるようになったはずなのに、どこか心がすり減っている感じがする。恋愛に向かうような、柔らかい余白がどんどん削れて、隙間が埋まっていく。日々の業務が“埋め草”になっていることに気づいても、もう止められない。

書類には向き合えるのに、人には向き合えない

書類の不備には敏感なのに、人の気持ちには鈍感になっていた気がする。依頼者との面談中、ふとした沈黙の時間に「この人も誰かに会いたくて相談に来たのかもしれない」と感じた瞬間があった。でもそのあとすぐ、自分の“仕事モード”が勝ってしまい、淡々と処理してしまった。人と向き合うって、こんなにもエネルギーがいるんだと痛感する。書類は黙って待っててくれるけど、人はそうじゃない。

感情の置き場がわからなくなっていた

「寂しい」とか「誰かと過ごしたい」と思う気持ちは、確かにある。でも、それを誰かに伝える術が、わからなくなってしまっていた。昔はもっと自然に、相手の顔を思い浮かべて連絡していたのに、今は“既読”になるのも怖い。変に気を遣ったり、時間を奪ってしまうのではと考えて、メッセージすら送れない。感情はある。でもその置き場がない。自分の気持ちさえ、取り扱い注意の案件みたいに感じてしまう。

恋愛という“贅沢品”に手が伸びない

恋愛はいつのまにか“必要経費”ではなく、“贅沢品”になっていた。今の自分の生活には予算が足りない。時間も、心のゆとりも、そして自信も。誰かと関係を築くには、相手を思いやる余裕が必要だ。けれど、いまの私は自分のことで精一杯で、他人の人生にまで責任を持てる気がしない。そうやって、踏み出す一歩を保留にし続けている。

他人に優しく、自分に鈍感

仕事では「親切で丁寧ですね」と言われる。でも、自分にはとことん鈍感だ。無理してるのに気づかないふりをして、寝不足でも朝から現場に出て、体調崩しても「まぁ大丈夫」と言い聞かせて。そんなふうに自分を後回しにしてるくせに、「恋人ができたら癒されるのかな」なんて都合のいい期待も持っていた。でも、それは自分の弱さを誰かで埋めようとするだけだったと、今は思う。

独身司法書士という肩書の重さ

肩書は“信用”だと教えられてきた。でも時には、重荷にもなる。司法書士で独身、40代半ば、地方勤務。これだけで“なんとなく訳あり”と見られるのがつらい。自分では真面目にやってきたつもりでも、恋愛のステージから降りたような扱いをされる。実際に降りたつもりはないのに。

結婚していないことで問われる“人間性”

依頼者との雑談で「先生、結婚されてるんですか?」と聞かれるたび、内心ザワつく。「あ、また来たな」と思いつつ、「まだなんですよ〜」と笑って流すのが癖になった。でもそのあと、なぜか疲れる。結婚していないことが、まるで人間性の評価につながっているような気がして。独身=何か欠けている人、という空気がまだまだ根強い。それが一番苦しい。

「なぜ独身?」という質問のたびに疲れる

「タイミングが合わなくて」「仕事に打ち込んでいたら…」そんな説明を何度もしてきた。でも本音は、「うまくやれなかっただけ」だと思っている。いいなと思う人はいた。でも、踏み出せなかった。自信がなかった。失敗したらどうしようとビビってばかりだった。そういう自分を正当化するために「仕事が忙しかった」と言い訳してきたのかもしれない。

家族の話題に入れない会話の疎外感

同業者の集まりでも、話題はだいたい「子どもが」「うちの奥さんが」になる。そこにうまく入れない自分が、だんだん疎外感を感じて黙り込む。話を振られたとしても、「一人なんで」と笑ってかわすだけ。その場では平気なふりをしているけど、帰り道で妙に虚しくなることがある。自分はこのまま、ずっとひとりでいくのかと。

職場に漂う無音の時間

朝の出勤、昼の弁当、夕方の片づけ——すべてが静かだ。事務員さんとの会話はあるけれど、必要最低限。雑談すら業務の一部のようなやりとりになる日もある。BGM代わりにラジオを流しているけれど、それすら時々うるさく感じて止めてしまう。静かなのは好きだったはずなのに、今はその無音が寂しさを増幅させる。

事務員との会話が唯一の“日常会話”

「お疲れさまです」「お茶どうぞ」「封筒、切れてます」——それらが今の私の“日常会話”のほぼすべてだ。ありがたい存在ではある。でも、何気ない話や雑談ができる間柄ではない。仕事場で気を使い続けるのも、なかなか疲れる。そして仕事場しか人との接点がないという事実に、時々ドキッとする。

それでも、誰かを想う気持ちは消えてない

恋愛は生活から消えたように見えて、完全には消えていなかった。ふとした瞬間に、誰かのことを思い出す。ドラマを見て胸がざわつく。すれ違ったカップルにちょっと羨ましさを感じる。そういう感情がある限り、自分はまだ“人間”だと思える。だけど、その気持ちにどう向き合えばいいのかが、わからなくなっているだけだ。

仕事ばかりしてる自分を笑える日が来るのか

「仕事ばっかりしてるなあ」と自分で思うことがある。そのたびに、笑える日がくるのかなと考える。恋愛も結婚もしてない。でも、自分なりに必死で生きてきた。もしこの先、同じように頑張っている誰かと笑い合えたら、それだけでいいのかもしれない。恋愛じゃなくても、人とのつながりに救われることはあると信じたい。

同業のあなたへ──わかってくれる人は、きっといる

このコラムを読んでくれている司法書士のあなたへ。同じような思いを抱えていたら、それはあなただけじゃない。独立して、忙しくて、人間関係に距離ができて、ふとした瞬間に孤独に襲われる。その全部、よくわかる。誰かとつながることをあきらめなくてもいい。優先順位が変わっただけ。気持ちがなくなったわけじゃない。そんなふうに、自分を少しでも肯定できたら、それだけでも前に進める。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。