「すみません、押印忘れてました」から始まる午後の自己嫌悪と小さな再起

「すみません、押印忘れてました」から始まる午後の自己嫌悪と小さな再起

「すみません、押印忘れてました」から始まる午後の自己嫌悪と小さな再起

押印漏れに気づいた瞬間、全身が冷える

司法書士をやっていると、書類一枚のミスが致命傷になることがある。今日の私はその典型で、「押印がありません」との連絡に、椅子から転げ落ちそうになった。電話の相手は、先日丁寧に打ち合わせたばかりの不動産業者。その声が妙に冷静で、逆に心臓に悪い。忙しさにかまけて確認を怠ったツケが、午後の静寂をぶち壊す。

電話越しの「押印ないですね」に言葉を失う

「あの…こちら、押印が確認できませんでした」と静かに言われた瞬間、頭が真っ白になった。印鑑って、押すだけなのに、それすら忘れる自分に呆れるしかない。いや、印鑑が軽いわけじゃない。確認という作業を省略してしまった、その思考の軽さが問題なんだ。ほんの一押しで防げたはずのトラブルに、胃の奥がズキズキしてくる。

原因は“確認したつもり”という油断

「確認したはず」ほど信用できない言葉はない。デスクの脇にあるチェックリストにも「押印」の項目はあった。でも、チラッと見ただけで「やった」と思い込んでいた。人間、都合のいいように記憶を補完する生き物だ。誰にも怒られてないのに、勝手に羞恥心で潰れそうになっている自分が情けない。

訂正印では済まされない場合の心理的ダメージ

押印忘れは、訂正印ひとつで解決できるケースもある。でも、今回のように納期ギリギリだったり、先方に迷惑をかけることになると、心の中には大きなダメージが残る。ミスは修正できても、相手の信頼は簡単には戻らない。しかも、それが“信頼が命”の士業となると、なおさらだ。

先方に平謝りする時間ほど惨めなものはない

謝罪の電話ほど気力を削るものはない。敬語を使いながらも、声が上ずり、言い訳っぽくなってしまう。もちろん言い訳なんてしていないつもりでも、聞いている相手にはそう聞こえてしまう。平謝りしながら、自分の未熟さに打ちのめされる。書類の修正以上に、プライドの修復が面倒くさい。

信頼回復には、想像以上の時間がかかる

「気にしないでください」と言われたとしても、その一言に救われる日は来ない。それは、相手の優しさの証ではあるが、自分の評価がマイナスになった事実を帳消しにしてくれるわけではない。次に依頼が来るかどうか、ずっと不安を抱えながら日々を過ごす。信頼は、ほんの一滴のミスで濁る水だ。

「確認したよな?」と自分に問いながら沈む

一人事務所の辛いところは、ミスの責任を共有できないことだ。自分がやらかせば、自分が責められる。誰にも怒られずに、自分で自分を責めるのが常だ。確認したと思っていた…の繰り返しが頭の中でループし、午後は何をしても集中できないまま過ぎていく。

チェックリストを信じすぎた代償

ルーティン化された作業は、時に思考停止を生む。毎日の業務に忙殺されていると、「この程度は大丈夫」と甘く見る瞬間がある。それが「押印忘れ」だった。チェックリストは万能じゃない。機械的にチェックを入れるだけでは、確認したことにならない。そこに意識が伴っていないと、紙だけが整っていても現実は崩れる。

事務員に頼らず自分でやった結果のミス

うちには事務員がひとりいる。でも、今回は自分で確認すれば早いと思って、そのまま提出してしまった。任せればよかった。いや、信頼して任せられるような体制を作れていない自分にも問題がある。孤軍奮闘を美徳にするのは、もう時代遅れなのかもしれない。

「誰も悪くない」ことが一番つらい

誰かがミスをしたなら、そこに原因がある。でも、自分で全部やって、自分がミスした場合、責任の逃げ道がない。誰も悪くない。だからこそ、どこにも感情をぶつけられず、黙って自分を罰するしかない。気持ちの行き場がない日ほど、人生の底が見える。

怒られなかった分、逆にキツイ

「押印ないですね」と言った担当者は、終始落ち着いた口調だった。怒ってないのが逆に怖い。人って、本当に怒ってる時は静かになるものだ。こういう時こそ、ちょっとキツく言ってくれた方が気が楽だ。でも現実は甘くない。静かな怒りに怯えながら、次の連絡が来るまで胃を痛めるしかない。

優しいお客さんほど、こたえる

謝っても「大丈夫ですよ」と言ってくれるような人ほど、ミスをした時に苦しくなる。あの笑顔が、こちらの胸を締め付ける。怒られた方がまだマシ。優しさに救われながらも、その優しさに追い詰められるという矛盾。士業はメンタルが強くないとやっていけない…とは言うけど、それにしてもツラい。

「気にしないでください」は地獄の呪文

「気にしないでください」——この一言で、自分の中の地獄の扉が開くことがある。気にしないなんて、できるわけがない。そう言われた瞬間から、気にしてしまう。それが人間だ。やらかした人間の方が、いつまでも引きずってしまうという構造は、なかなかどうにもならない。

こういう日ほど、誰とも話したくない

ひとつのミスを引きずってしまうのが、士業の性かもしれない。午後の予定をこなしてはいるものの、頭の中ではずっと「押印忘れ」の件がリフレインしている。話しかけられても反応が鈍くなり、自分の声さえ遠くに聞こえる。ひとり事務所であることが、今日はやけに重く感じる。

昼ごはんの味もしない午後の静寂

昼休みに、いつもなら楽しみにしているカップラーメンも、今日は湯気さえ恨めしく見えた。味がしない。集中力もない。スマホをぼんやり見ながら、何もしない時間がただ過ぎていく。誰にも相談できず、ただひとり反省し続ける時間だけがやけにリアルに流れていく。

事務所に流れる気まずさと孤独

事務員さんは何も言わないけれど、こっちの空気を察している。会話も最低限。ミスをした自分に気を使わせていることも、また情けない。小さな空間に流れる気まずさが、自分の存在そのものを否定してくるようでしんどい。孤独とは、音のない圧力なのだと改めて感じる。

事務員の視線が気になる自意識

「気にしてないですよ」という空気を出してくれてる。でも、こっちは勝手に気にしている。気にしてないふりをするのも、正直疲れる。ミスがバレた時点で、職場の空気が変わるのは避けられない。別に責められていない。でも、それが一番こたえる。

「押印忘れ」から学べることもある…のか?

一日が終わる頃、「今日の失敗に意味はあったのか」と自問する。なかったら悔しすぎるから、無理やりでも教訓を絞り出そうとする。押印忘れ——たったそれだけのこと。でも、されどそれだけのこと。やっぱり士業にとって、確認作業は“命綱”なんだと改めて痛感する。

再発防止のルールを作ってみた

今回の件で、新しくチェック体制を整えた。物理的なチェックリストではなく、実際に「口に出して確認する」ルールだ。事務員と一緒に、ひとつひとつ声に出して進めるだけでも、確認精度は上がる。ミスをゼロにすることは難しくても、減らす努力はできる。自分のためにも、相手のためにも。

小さな成功体験で自尊心をつなぐ

次の日、無事に書類を再提出できた。それだけで、少し救われた気持ちになった。小さな成功体験でも、自信の再建には効果がある。士業という仕事は、自尊心が折れたら続かない。だからこそ、再起のきっかけは自分で作るしかないと改めて思う。

見直しリストよりも「言葉に出す確認」

目で確認したつもりになってしまう危険性を防ぐには、やっぱり「言葉」にするのが一番。押印、署名、添付書類——すべてを声に出してチェックするだけで、緊張感が違う。誰かに聞かせる必要はない。自分が自分に言い聞かせる。それだけで、安心感はまるで変わる。

孤立しがちな日常に“共有”の力

ひとりで抱えることが多い士業だからこそ、誰かと共有するという行為には意味がある。事務員とのやりとりであっても、それが救いになる日がある。弱さを出すことが恥ずかしいと思っていた。でも今は、ミスを共有できる環境こそが、仕事を続ける鍵だと思うようになった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。