「予定は未定」という言葉が胸に刺さる日々
「予定は未定」とはよく言ったもので、司法書士という職業に就いてからというもの、特にその言葉の重みを痛感するようになった。手帳に書いた予定がその通りに進む日は、年に何回あるだろうか。大抵は予定の合間に急な依頼が入り、電話が鳴りやまず、書類の不備が見つかってスケジュールが総崩れする。何度、昼食すら取れずにバタバタと過ごしたことか。何のために計画を立てるのか、時々わからなくなる。
予定を立てるたびに襲ってくる不安
何か予定を立てると、その瞬間から不安が湧いてくる。明日はこの案件をまとめて処理しよう、と思っていても、「でも、急な相談が入ったらどうしよう」とか、「役所が混んでいて手続きに時間がかかったら予定がズレるかも」とか。そう考えると、予定を立てるのがむしろ怖くなる。昔はもっと予定通り動けていた気がするのに、今ではスケジュールを眺めるたびに「どうせその通りにいかない」という諦めが先にくる。
「その日、何かトラブルが起きるんじゃないか」
過去に何度も、予定した日に限って何かしらのトラブルが起きた。たとえば、「今日は早めに帰って録画したドラマでも観よう」と思った日に限って、夕方に相続関係の相談が飛び込みで来たり、申請書にミスが見つかって法務局に駆け込む羽目になったり。そんなことが続くと、「今日も何か起きるんじゃないか」と構えてしまって、気が休まらない。予定を立てたことが、むしろフラグのように思えてくるのだ。
電話一本で全部ひっくり返る現実
司法書士の仕事は、突然の電話一本で全部がひっくり返る。特に平日の午前中にかかってくる電話は要注意だ。「急ぎで今日中に契約書を確認してほしい」と言われたら、他の作業をすべて後回しにしなければならない。たとえそれが何日も前から準備していた予定だったとしても、お構いなしに崩される。この繰り返しに、正直うんざりしている。スケジュール帳に書くこと自体が、もうむなしく感じることさえある。
「他人の都合で自分のスケジュールが崩れる」
予定が狂う原因のほとんどは、自分以外の誰かの都合だ。依頼者、法務局、銀行、時には事務員。こちらの準備が整っていても、相手側の準備が整っていなければ何も進まない。以前、ある依頼者から「来週の月曜に手続き完了できますか?」と尋ねられ、「はい、大丈夫です」と答えたものの、直前になって印鑑証明書の提出が遅れ、すべてが延期に。自分が悪いわけではないのに、予定はあっさり崩れる。
事務員との連携、それでも崩れる計画
今は事務員が一人いるおかげで、以前よりは作業が回りやすくなった。それでも、完全に予定通りに進む日は珍しい。たとえば、書類のチェックをお願いした日でも、電話対応に追われて作業が後回しになったり、突然の来客で確認作業が止まったりする。人間二人の事務所では、ひとつのトラブルで全体のリズムが狂う。予定通りに終わる日が「奇跡」レベルというのが、リアルな現状だ。
「明日まとめてやろう」は通用しない
仕事が山積みでも、「明日まとめて処理しよう」という考え方が通用しないのがこの業界だ。何が起こるかわからないから、明日やるべきことは今日中にある程度片付けておかないと不安で仕方がない。過去に、ちょっと気を抜いて作業を翌日に持ち越したら、翌朝からバタバタして何も手がつかず、結局翌々日にずれ込んでしまった経験がある。それ以来、翌日への期待はしないようにしている。
急な依頼と期限ギリギリの書類
「急ぎなんです」と言われることが多い。こちらの都合は関係ない。今すぐ書類が欲しい、明日の朝一で必要だ、といった依頼が舞い込むと、それがどんなに無理筋でも断りづらい。相手の立場を考えると、「自分もその立場だったら焦るだろうな」と思ってしまうのだ。そうやって、予定を犠牲にしてまで動くと、結局自分の作業が深夜にずれ込む。予定はいつも、他人の“急ぎ”に押しつぶされている。
司法書士という職業の宿命
司法書士というのは、そもそも「計画的に動けない職業」なのかもしれない。案件が同時進行し、それぞれに関わる人も状況も異なる。こちらが「この日にこの案件を終わらせよう」と思っていても、関係者の一人が動かなければ、すべてが止まる。だからこそ、「予定通り」なんてものは、幻想に近い。そんな日々が当たり前になると、計画を立てる意欲もどんどん削がれていく。
柔軟さが求められるのに責任は重い
予定が通用しない世界でも、ミスは絶対に許されない。それが司法書士の仕事の厳しさだ。書類の一字一句、期日の一日一時間が命取りになる。だからこそ、スケジュールが崩れても、結果的にミスなく終えるしかない。柔軟さを求められつつ、責任の重さに押し潰されそうになる。そんな矛盾に毎日苦しんでいる。
スケジュールに「絶対」がない世界
「この日は休みます」と予定しても、ほぼ毎回崩れる。親の通院に付き添おうと思っていた日も、依頼者からの緊急連絡で出勤せざるを得なかった。結局、何のためのスケジュール帳なのかと思うこともしばしば。スケジュールに「絶対」がないという事実が、心をじわじわとすり減らす。
お客様は「明日やってくれますか?」と言うけれど
「明日、いけますか?」と軽く言われても、こっちはすでに3件予定が入っている。でも断れない。信頼関係を壊したくないから、なんとかねじ込もうとする。そうやって無理を重ねるうちに、体力も気力も削られていく。予定の調整は、もう綱渡りだ。
予定に期待しすぎない生き方とは
これだけ予定が崩れる日々を送っていると、ある時から「もう、期待するのはやめよう」と思うようになった。計画は立てるけど、あくまで目安。うまくいったらラッキーくらいの感覚でいる方が、精神的に楽になる。それは諦めではなく、自分を守る知恵だ。
「予定は予定」と割り切る思考
予定に振り回されるより、「予定は未定」という前提で生きる方が心が軽い。仕事としての責任は果たす。でも、すべてが予定通り進むわけじゃないと割り切れば、ちょっとしたトラブルにも柔軟に対応できるようになる。完璧主義を捨てることも、司法書士には必要かもしれない。
期待が少なければ落胆も少ない
「この日は〇〇しよう」と思い込まなければ、変更があっても落ち込まない。「できたらいいな」くらいに思っていれば、できなかった時も自分を責めずに済む。こうした考え方は、自分のメンタルを守るうえで非常に有効だった。
むしろ、うまくいった日はご褒美
珍しく予定通りに進んだ日には、自分にちょっとしたご褒美をあげるようにしている。コンビニスイーツでもいいし、録画していた映画を観るだけでもいい。「今日は思い通りにできた」と実感できるだけで、また頑張ろうと思えるのだ。予定に期待しすぎないことと、達成感を大切にすること。そのバランスが、今の自分にはちょうどいい。
それでも、何かを決めておきたい自分がいる
それでも、心のどこかで「予定を立てたい」と思っている自分がいる。予定が崩れてばかりでも、まっさらなカレンダーに書き込むことで、「自分の人生を自分で決めている」という気持ちを持ちたいのかもしれない。矛盾しているけれど、それが人間なのだ。
予定にすがることで、かろうじて心の安定を保つ
予定は未定。でも、予定がなければ不安。その矛盾を抱えながらも、毎日カレンダーとにらめっこしている。結局、予定を立てるという行為自体が、心の支えになっているのだろう。そう思うと、今日もまた予定を書き込みながら、「どうせ崩れるけどな」と、ひとりごちる。