朝から晩まで、紙とハンコの世界
朝、事務所のドアを開けると、まず目に飛び込んでくるのは昨日片付けきれなかった書類の山。郵送で届いた申請書類、依頼人からの資料、そして役所から戻ってきた訂正通知。コーヒーを入れる前に、机の上からその日がどれだけ大変かが見えてしまう。司法書士という仕事は、書類に始まり、書類に終わる。パソコンの中のデータも大事だけど、やっぱり紙にハンコを押さないと前に進まない現場はまだまだ多い。時代遅れ? いや、時代を止めてるのはたぶんこの業界だ。
気づけば机の上に山ができていた
最初はきちんとファイルに分けて整頓していたつもりだった。でも、気づけば「とりあえず置く」場所が机の左端にできて、今では右端までその山が伸びている。片付けようと思っても、電話が鳴り、来客があり、登記の締め切りが迫ってくる。山が崩れるのが先か、自分が崩れるのが先か、そんな状態が何日も続く。
日々「急ぎ」で崩れゆくスケジュール
「急ぎでお願いできますか?」という言葉にはもう慣れてしまった。急ぎじゃない仕事なんて、あるのか?と思うほど、依頼は常に「できるだけ早く」。そう言われると断れない性格も災いして、無理に詰め込んだスケジュールはすぐに破綻する。結局、夜に回すしかない。でも夜は夜で眠気と闘いながら書類と向き合う時間。
すべて「今日中にお願いします」って、こっちの今日を誰も聞かない
「今日中に」と言われるけど、それが依頼人の「今日」なのか、こっちの「今日」なのか、誰も確認してこない。まるで自分の時間が相手のために当然あるかのように扱われて、気づけば自分の生活は全部“ついで”になってしまっている。
事務員さんひとりと回す日々の現実
人を雇う余裕もない。雇っても指導する時間がない。結局、ずっと「少人数でなんとかする」ことが前提になってしまった。事務員さんも頑張ってくれてるけど、ミスがあれば全部こっちに返ってくる。気が抜けない。
人を増やせない、増やしても育てられない
教えるためのマニュアルを作ろうと思った時期もあった。でも、そんな時間すら今は確保できない。結局、現場で口頭で伝えて、その場しのぎになる。属人化していく仕事の山、将来のことを考える余裕がどんどんなくなっていく。
「ちょっと手伝ってくれたら」なんて言えない空気
事務員さんに頼みたい仕事があっても、忙しそうにしていると「今これお願いしていいのかな……」とためらってしまう。結局、自分でやってしまう。助けを求めることにすら、気を遣ってしまう自分が情けない。
お客様の「ありがとう」が聞こえなくなる瞬間
本来なら、お客様からの感謝の言葉が一番のやりがいになるはず。でも、忙しさの中ではその言葉すら流れてしまう時がある。心がすり減っていると、耳には届いても胸には響かない。
言われているのに、心に入ってこない
「助かりました」と言われても、「いえ、当然のことをしただけです」と心の中で返している。どこかで、自分の努力が評価されることに無関心になってきている自分がいる。
missing value──書類にはない何か
書類は完璧に仕上げている。形式も、要件も問題ない。それでも、心の中にずっと「何かが欠けている」という感覚が消えない。
要件は満たしている、でも充実感がない
登記完了の報告をして、感謝されて、それで終わり。流れ作業のように日々が過ぎる。「達成感」や「成長」といった言葉が、遠いものになっている。
人生の中で「達成感」という欄が空欄
書類には抜け漏れがないように気をつけているのに、自分の人生の帳簿には、何か大事な欄が空白のまま残っているように感じる。「これがやりたかったことなのか?」という問いに、答えられない。
それでも今日も「登記完了しました」と送信する
メールの送信ボタンを押すたびに、何か一つ終わった安心と、一つ自分の何かが擦り減った感覚が混ざる。そんな日々の繰り返しだ。
司法書士は、社会の潤滑油?それとも使い捨ての部品?
誰かの手続きをスムーズに進めるために存在している。それは誇らしい仕事のはずなのに、いつの間にか、自分の存在価値が手続きの中にしかなくなっているような気がする。
誰かの困りごとを処理する機械じゃない
手続きを進めるだけの毎日。相談に乗る時間すら惜しんで「効率化」を求められると、もう心が人間じゃいられなくなる。どこまでが専門家の仕事で、どこからが“便利屋”なのか、線引きがあいまいになってきている。
「一人事務所」という孤独な戦場
誰にも弱音を吐けない。仕事で悩んでも、それを共感してくれる人は近くにいない。SNSに書けば誰かが反応してくれるかもしれないけど、そんな気力もない。
相談相手がいない、弱音を吐く相手もいない
仕事のミスは全部自分の責任。成功しても誰にも褒められない。こういう状況が続くと、人ってだんだん「自分の価値」が見えなくなってくる。孤独という言葉が、日常に染み込んでいる。
理想と現実のギャップに、いつの間にか慣れてしまった
開業前は「独立して自由に仕事ができる」って思っていた。実際には「自由に苦しめる」環境を作っただけだったのかもしれない。
開業当初の情熱はいまどこに?
初めて登記が通った日の喜びは今も覚えている。でも、あれから十数年。今ではその感覚も薄れてしまった。慣れなのか、諦めなのか、自分でもよくわからない。
あの頃は「登記完了」がもっと誇らしかった
今よりもずっと不安で未熟だったのに、あの頃の方が一つ一つの仕事に誇りを持っていた気がする。年を重ねて知識も技術も増えたのに、心は減っていっている。
自分の人生に「登記」できていない
人の権利や義務を記録するのが仕事なのに、自分の人生の大事なことは何も形にできていない。登記簿のように、はっきりと「何を大事にしているのか」を書き込めたらいいのに。
価値を記録する役目なのに、自分の価値は空白
他人の権利は守れても、自分の気持ちや生活は後回し。司法書士である前に、一人の人間としての“価値”をどう扱えばいいのか、自分自身にもわからなくなってきている。
それでも続ける理由
やめようと思ったことは何度もある。それでもやめなかったのは、どこかで「誰かの役に立っている」という気持ちが捨てきれなかったからだと思う。
誰かの「助かった」に救われる日もある
たまに本当に感謝の気持ちを込めて「ありがとう」と言ってくれる方がいる。その一言に、何度も心を救われてきた。全部が空しくなるわけじゃない。
書類の裏にある「人間関係」を信じて
ただの紙切れではない。その向こうにいる「人」を意識できた時、この仕事の意味を少しだけ思い出せる。忙しさに飲まれないように、自分自身にとっての“登記事項”を忘れずにいたい。
同じように疲れているあなたへ
もし今、あなたも「何かが足りない」と感じているなら、それはあなただけじゃない。missing valueは、私の中にも、きっと多くの人の中にもある。
missing valueは、もしかしたらあなた一人のものじゃない
完璧な書類なんて存在しない。完璧な人生も、たぶん存在しない。だからこそ、欠けたままで続けていく意味も、きっとあると思う。今日は満たされなくても、明日は少し違うかもしれない。
一緒に愚痴りながらでも、前を向いていけたら
仕事が大変でも、心がすり減っていても、誰かと少しでも共感できる瞬間があれば、それは生きる力になる。愚痴でも弱音でも、口に出すことから始まる前向きもある。そんな日々を、これからも。