友人の活躍に焦る夜

友人の活躍に焦る夜

ふとした瞬間に襲ってくる焦燥感

夜、仕事を終えてソファに沈み込む。テレビも観る気がせず、なんとなくスマホを手に取る。SNSを開くと、同級生の起業報告、昔の友人の出版記念、誰かの受賞報告。たまたま目にしただけなのに、心がザワザワしてくる。自分は今日、何かを成し遂げただろうか?登記をひとつ無事に終えただけ。誰にも知られず、静かに完了しただけ。それなのに、あちら側はスポットライトを浴びているように見える。

夜中のSNSチェックが心をざわつかせる

「こんな時間に見なきゃよかった」と思っても、もう遅い。目に焼きついた友人の笑顔と祝福の言葉たち。司法書士の仕事に派手さはない。記念写真もなければ拍手もない。依頼人が感謝してくれても、それは一瞬のこと。そんな地味な日常に慣れているはずなのに、たまにこうして、鮮やかな誰かの人生を見てしまうと、無性にみじめな気持ちになる。焦りというよりも、「取り残された感覚」に近い。

「みんなうまくいってるな」と感じてしまう理由

冷静になって考えれば、SNSには良いことしか載らない。当たり前のことなのに、夜という時間帯と、自分の疲労とが重なると、判断力が鈍る。まるで、世界中の人が成功していて、自分だけがもがいているような錯覚に陥る。だが、実際には、投稿の裏にある努力や苦悩は見えない。頭では理解しているのに、心は言うことをきかない。まるで、他人の家の庭だけが青く見えるような夜だ。

比較癖が自分を追い詰める仕組み

この年齢になると、自然と「誰かと比べるクセ」が染みついている。「あの人は既婚」「あの人は年収いくら」「あの人は子どもがいる」…気がつけば、他人の“持っているもの”ばかり数えて、自分の“やってきたこと”を無視してしまう。司法書士の仕事は、派手な成果にはなりにくい。それでも、確実に人の生活を支えているはずだ。なのに、そういう自負心が簡単に揺らぐのが、この“比較”という魔物だ。

司法書士という仕事の“見えづらい達成感”

登記が完了したからといって拍手は起きない。感謝の言葉すらないこともある。だけど、確実に誰かの暮らしの節目を支えている。そう自分に言い聞かせても、ふと「本当にこれでよかったのか?」と不安になる。地味な作業の積み重ねに意味があることは頭ではわかっていても、時に心が空回りしてしまう夜もある。派手さもなく、脚光も浴びず、ただ粛々と――それがこの職業の宿命なのかもしれない。

地味だけど確かな仕事が評価されづらい現実

人からは「資格職で安定してるからいいじゃない」と言われる。でも、その裏には日々の緊張と責任がある。たったひとつのミスで信頼を失う職業だ。それなのに、その重圧はなかなか他人には伝わらない。たとえば、戸籍を一文字間違えただけでも、大ごとになる可能性がある。夜遅くまで確認作業に追われても、それは誰にも知られないし、評価もされない。ただ、無事に終えること、それが正義だ。

他人の評価よりも「完了登記」の重み

「登記が無事に完了しました」…依頼者に伝えるその一言が、唯一の達成感だ。お礼のメールがあればラッキー。何もなければ、ただ業務報告をして終わり。自分の中で静かにガッツポーズを取るしかない。誰かに褒められることはなくても、「この登記は俺が通した」という誇りだけが残る。でも、それだけじゃ心が満たされない日もある。孤独とやりがいが同居する仕事。それが、司法書士という仕事の現実だ。

でも、やっぱり“見られていない感”はつらい

どんなに頑張っても、どれだけ時間をかけても、「お疲れ様」と言ってくれる人は少ない。事務員さんがいるとはいえ、根本的にこの仕事は“ひとり”だ。成功しても失敗しても、基本的に自己完結。だからこそ、誰かの注目を集めるような「活躍」がまぶしく見える。別に称賛が欲しいわけじゃない、でも“見ていてほしい”という気持ちは、誰の中にもあるはずだ。僕にだって、たまにはある。

それでも今日も、自分のペースで

結局のところ、焦っても仕方がない。他人は他人、自分は自分――そんな当たり前のことを、何度も何度も自分に言い聞かせながら今日も仕事をしている。司法書士としての人生は派手ではないけれど、確実に誰かの人生を支えている。そんな仕事を選んだのは、誰でもない自分自身だ。ならば、もう少しだけ、自分を信じてみよう。焦りや不安と付き合いながら、自分のペースで進んでいけばいい。

他人と比べない努力も仕事のうち

比べてしまうのは仕方ない。だけど、そこから引きずられずに戻ってくることが大切だ。比べないようにするのも、ある意味“努力”だと思う。成功しているように見える友人にも、きっと見えない苦労や孤独があるはず。僕が知らないだけで、みんなそれぞれ、何かを背負っている。だったら、僕も僕なりの場所で、コツコツとやっていけばいい。今の仕事を大切に思える心が、少しずつ焦りを和らげてくれる。

この地道さを知っている人は、実は見ている

ときどき、「いつも丁寧に対応してくれてありがとう」と言われることがある。そんな何気ない一言が、どれだけ心に沁みるか。司法書士という仕事は、決して派手ではない。でも、きちんと見てくれている人は、確かにいる。依頼者だけじゃない。たまに親が「がんばってるな」と言ってくれたり、昔の友人が「お前の仕事、すごいよな」と言ってくれたり。誰かの目に、自分の努力が届くことはある。

焦りに勝つのではなく、隣に置いて歩く

焦るなというのは無理な話だ。でも、焦りを敵にせず、荷物のように隣に置いて歩ければ、それだけで十分かもしれない。誰かの活躍がまぶしく見える夜もある。でも、それが悪いことではない。ただ、その夜を越えたあとに、自分のやるべきことへ戻れればいい。焦りを無理に消すのではなく、少し距離を取って付き合っていく。そんな歩き方も、司法書士として生きていく中で、大切な知恵なのかもしれない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。