眠れない夜にふと思う「このままでいいのか」
夜中の2時、布団に入っているのに眠れない。そんな夜が最近増えた。昼間は何とか業務を回し、事務員の彼女にも「ありがとう」と言って帰すけれど、帰宅して一人になった瞬間、じわっと不安が押し寄せてくる。「このままでいいのか?」「将来どうなるんだろう?」そんな問いが、何度も頭をよぎって、眠れない。司法書士として独立してから何年も経つのに、ふとした瞬間に訪れるこの“空白の夜”は、年齢を重ねるごとに増してきた気がする。
深夜2時、天井を見つめるだけの時間
こんな夜は、スマホに手を伸ばしてはいけないとわかっている。でも、ついSNSを開いてしまう。誰かが楽しそうにご飯を食べていたり、結婚報告をしていたり。そんな投稿を見てしまったら、なおさら眠れなくなる。天井を見つめてはため息をつき、時計を見ては「もうこんな時間か」と焦る。翌日の予定が詰まっていても、眠れないものは眠れない。そんな時に限って、重要な相談の予約が入っていたりするから、余計にしんどい。
何のために働いてるんだろう、と問いかける
忙しく働いて、毎月なんとか事務所を回して。じゃあそれが、誰のためになってるのかと考えたときに、正直よくわからなくなることがある。お客様のため?事務員のため?自分の生活のため?全部本当だけど、全部中途半端な気もする。20代の頃は「独立してやるぞ」と意気込んでいた。でも、今は“惰性”で働いてるような日もある。そう思う自分に嫌気がさして、また眠れなくなるのだ。
司法書士という仕事の「誤算」と「現実」
司法書士という資格に夢を見ていた時期があった。「独立すれば自由だ」と信じていたし、「稼げる」と思っていた。でも、現実は違った。確かに裁量はあるけれど、全ての責任が自分に降りかかる。自由と引き換えに孤独を抱える職業だと、後になって知った。こんなに“将来が読めない仕事”だとは、思ってもみなかった。
思ってたより、華やかでも自由でもなかった
テレビやネットでは、士業の世界をキラキラと語る人がいる。確かに、上手くいっている人もいるだろう。でも、僕の現実は違った。朝から晩まで登記書類とにらめっこ、急ぎの依頼に追われ、電話が鳴れば中断、法務局には駆け込み。自由なんてどこにあるのか、わからなくなる。クライアントに振り回され、手間のかかる案件に翻弄される。そんな毎日を繰り返すうちに、心のどこかで「司法書士って、こんなだったっけ」とつぶやいていた。
「独立すれば楽になる」なんて幻想だった
「独立すれば時間も収入も自分次第」と言われた。実際そうかもしれない。でも、それは“うまくいけば”の話だ。小さな地方都市で開業し、顧客を増やすのは簡単じゃない。口コミもすぐには広がらないし、信頼を得るには年単位の積み重ねが必要だ。最初の数年は赤字続きで、「これは本当に正解だったのか?」と自問する日々。今も正直、心の中ではその問いに答えが出ていない。
事務員さんには感謝してる。でもプレッシャーもある
事務員を雇ってから、仕事の効率は上がった。ミスも減ったし、事務所の雰囲気も明るくなった。でも、その分「給料を払わなきゃ」という責任も重くのしかかる。自分のミスが彼女の生活に影響すると思うと、プレッシャーは倍増だ。だからといって、弱音を吐けるわけでもない。彼女の前では「大丈夫です」と笑っているけれど、内心は常にヒリヒリしている。
将来のことを考えると、何が一番怖いのか
将来を考えるとき、まず思い浮かぶのは“お金”かもしれない。でも、本当に怖いのは“誰とも分かち合えない孤独”だと気づいた。司法書士は「人の人生に関わる仕事」だけど、だからこそ自分の人生は後回しになりがちだ。気づけば、仕事ばかりで友人との時間も、家族との時間も減っていた。残ったのは、深夜の静けさと、自分の呼吸だけだった。
収入の不安より、孤独の方が身にしみる
ある程度は稼げている。でも、それが将来も続く保証はない。そして、それ以上に「今日話したのはクライアントと事務員だけ」みたいな日が続くと、心が乾いてくる。飲みに行く相手もいない、家で「おかえり」と言ってくれる人もいない。誕生日を祝ってくれるのは、カレンダーアプリだけ。そういうとき、「将来って、こういうことなんだろうか」と、虚しくなる。
「自分が倒れたら終わり」という恐怖
ひとり事務所の怖さは、自分が倒れたら業務が完全に止まることだ。お客様への対応もできず、信用も失う。健康診断のたびに、異常がないかビクビクする。若い頃は徹夜しても平気だったけれど、今はちょっと夜更かしすると翌日に響く。将来を考えると、まず体が不安材料になってきている。
後継者もいない。誰にもバトンは渡せない
子どももいないし、結婚もしていない。親戚にもこの仕事に興味のある人はいない。つまり、自分の仕事の延長線上には“終わり”しか見えない。事務所の看板をいつ外すのか、自分で決めなきゃいけない日が来る。それまでに、何か残せるのだろうか。誰かに受け継いでもらえるようなものが、自分にあるのか。考えれば考えるほど、胸が苦しくなる。
それでも毎日、仕事を続ける理由
やめたくなる日もある。電話を無視してしまいたい日もある。でも、それでも事務所を開け、書類に向き合い、依頼者の話を聞く。それは、きっと「誰かのためになる」瞬間があるからだ。完璧じゃなくても、少しでも役に立てるなら、もう少し頑張ろうと思える。自分を支えているのは、そういう“小さな達成感”かもしれない。
依頼者の「ありがとう」が、なんだかんだで支えになる
登記が終わったときに「助かりました」と頭を下げられると、やっぱりうれしい。大したことをしたつもりはなくても、自分の知識や経験が誰かの役に立ったと実感できる瞬間だ。あの一言があるから、「もう少し続けてみるか」と思える。不安や孤独は消えないけれど、それでもやる意味が見つかる。それだけで、少しだけ夜が静かになる気がする。
報われない日が9割でも、1割の光で立ってる
正直なところ、ほとんどの日は報われない。面倒な案件に振り回され、見積もりより多く時間がかかり、割に合わない。けれど、その中の1日だけ、「やっててよかった」と思える瞬間がある。その1割の光のために、9割の曇天を耐えている。そんな気がしてならない。
未来に希望が持てない夜に、僕がしていること
夜中に将来のことばかり考えていても、眠れなくなるだけだ。最近は、それを“しない努力”をしている。現実から逃げるわけではない。必要以上に追い詰めないように、自分の思考にブレーキをかける練習をしている。
日記を書く。バカみたいだけど、効く
日記なんて、子どもの頃以来だった。でも、夜に不安を感じたとき、それを文字にしてみたら、少しだけ落ち着いた。頭の中でぐるぐるしていた不安が、紙の上に出てくると、案外小さく見えるから不思議だ。誰に見せるでもない、感情の掃き溜めみたいなノート。それが、眠れぬ夜の自分を救ってくれている。
「不安を書き出すと安心する」って本当かもしれない
本で読んだ知識だったけれど、実際にやってみたら納得できた。不安というのは、曖昧なままだと肥大化する。でも、それを「言葉」にすることで、輪郭がはっきりしてくる。何に怯えていたのかが見えてくる。正体がわかれば、少しずつ向き合える。眠れない夜には、そんな“整理”の時間が必要なんだと思う。
寝る前に、将来を“設計”しないと決めた
夜の思考は、ネガティブに偏りがちだ。だから、寝る前に将来のことを考えないと決めた。「今どうするか」だけを考えて、寝る。起きてからまた考えればいい。そう割り切ってから、少しだけ眠れるようになった。完璧じゃなくていい。今夜も眠れなかったら、またノートを開こう。それだけで、救われる気がする。
同じように眠れない夜を過ごしているあなたへ
眠れない夜は、誰の人生にもある。司法書士でも、会社員でも、主婦でも、学生でも。年齢も立場も違っていても、不安に押しつぶされそうな夜は共通している。だからこそ、こうして“声”にしてみることに意味があると思った。誰かが「自分だけじゃない」と思えるように。
共感は力になる。愚痴でも誰かの支えになる
僕はよく愚痴をこぼす。でも、その愚痴に「わかる」と言ってくれた人がいたとき、心が軽くなった。人に共感する力は、薬にも似ている。誰かの役に立つなんておこがましいけれど、この文章が、誰かの心にちょっとでも触れたなら、それだけで意味があると思える。
「頑張らなくていい」と言ってくれる人が欲しかった
「頑張ってますね」と言われるより、「無理しないでくださいね」と言ってもらいたかった。そんなふうに思う夜がある。だから、自分も誰かに「頑張らなくていいですよ」と言える人間になりたい。眠れない夜は、そういう“優しさ”を見つめ直す時間でもあるのかもしれない。