話すことが全部、仕事の話だった夜
ふと気づくと、誰かと話していても、口をついて出るのは仕事のことばかり。「この登記どう処理したらいいと思う?」とか、「あの依頼人、また書類忘れてたよ」だとか。そういう話しかできなくなってる自分に、ちょっと怖くなることがある。もっと他に話すこと、ないのか?最近映画は?趣味は?…何も浮かばない。日々の大半が仕事に飲まれて、気づけば会話の中身まで支配されていた。話すことが仕事のことしかないというのは、ある意味プロ意識かもしれないけれど、なんだか人間らしさを失っていくようで虚しくなる夜がある。
「久しぶり」って言われても、まず浮かぶのは案件の進捗
久々に会った知人に「最近どう?」と聞かれて、真っ先に頭に浮かぶのが「相続登記の件、ようやく終わった」だった。普通なら「元気にしてるよ」とか「最近ちょっと疲れ気味」とか言う場面だと思う。でも、私の口から出たのは「いやー、持分の件で揉めててさ」。あれ?これって雑談になってるのか?と後から気づいて恥ずかしくなる。自分では仕事をこなしてるつもりでも、外から見れば“業務報告しかできない人間”になっていたのかもしれない。
プライベートな話題より、未完了の登記が先に出てくる
たとえば夜にスーパーで会った知り合いと立ち話する機会があっても、「あの物件、やっと名義変わったよ」なんてことを話してしまう。他に話題が見つからないのだ。テレビも見てないし、趣味らしい趣味もここ数年ない。そんなとき、ふと相手の顔が「へぇー…」と困ったように曇るのを見て、ああ、やっぱり仕事の話ばかりは退屈だよなと自分でも気づく。でも、その後に続く言葉が見つからない。仕事以外に語れることがない自分が、少し情けなくなる。
頭の中が登記簿で埋まっている自分に気づく瞬間
まるで頭の中が一冊の登記簿みたいに、地目や共有者名義がびっしり書かれている。寝る前も、風呂に入っている時も、「あの案件は申請いつだっけ?」「補正通知が来てたかも」なんてことを考えている。そうなると、当然話すこともその延長になる。友人と話していても、頭の片隅で申請書のミスを思い出してしまう。いつの間にか、司法書士という肩書きが自分の人格そのものを侵食してきたような感覚になる。もはや自分は人間というより“登記の人”になってしまったのではないかと、ふと寂しくなる。
雑談のつもりが、結局「この場合どうなる?」って相談に
仕事抜きで誰かと話そうと思っても、相手が私の職業を知っていると、自然と「ちょっと教えてほしいんだけど…」となってしまう。悪気はないのはわかっている。でも、こっちはせっかくリラックスした会話をしたくて雑談を始めたのに、気がつけば業務相談。しかも無料。ついでに重い話題。そんなことが積み重なると、雑談そのものが億劫になってしまう。気を許せる友人との時間が、いつの間にか「軽い無料法律相談会」になる現実に、正直げんなりしている。
相手は悪気がなくても、仕事モードが発動してしまう
「これってさ、名義変更した方がいいのかな?」とか、「生前贈与ってどうなん?」という話をされると、反射的に頭の中で条文や通達が走る。気づけば話し方も敬語になって、説明調に変わっている。「あ、やっぱり俺、また仕事しちゃってる…」と気づいた頃にはもう遅い。周囲の人は「すごいね、頼りになるね」と言ってくれるけど、それがうれしい反面、なんとも言えない孤独感もある。プライベートの会話ですら“働いてしまう”この体質、もう抜け出せないのかもしれない。
気軽な会話が、業務相談にすり替わるつらさ
本当にちょっとした会話のつもりで「最近どう?」と聞いてみたら、「うちの実家の土地がさ、相続で揉めててね…」なんて返ってくることも多い。こっちは「天気が不安定ですね〜」くらいの軽さでいたかったのに、いつの間にか完全に仕事モード。しかも、無償で何かしらの助言をしないと空気が悪くなる。気軽な会話が気軽でなくなるたび、どんどん人との距離ができていくのを感じる。誰かとただ笑って話せる時間って、いつからこんなに貴重になったんだろう。
仕事の話ばかりになった理由——そういう自分を作ったのは誰か
もちろん誰かに強制されたわけじゃない。自分でこの道を選び、自分で事務所を回して、自分で“いつでも仕事の顔をしている自分”を育ててしまった。そういう自覚はある。でも、ある日ふと気づく。「仕事が人生のすべてみたいになってるけど、それって幸せなのか?」って。誰かと一緒にごはんを食べてても、頭の中では次の案件のことを考えている。その癖が染み付いてしまっている。たまには何も考えず、誰かと笑い合いたい。でも、やっぱり今日も仕事の話ばかりしてしまった。
自営業の責任感が会話まで侵食してくる
自営業は、自分が休めば全部が止まる。それがわかってるから、つい気を張ってしまう。日常の中で、誰かとの会話すらも「何かヒントはないか」「仕事につながるかも」なんて視点で見てしまう。そんなつもりじゃなかったのに、責任感が会話の空気まで引っ張っていく。結果、雑談も営業の一部のように聞こえてしまう。それって、仕事に熱心な証拠かもしれないけど、心が休まらない証拠でもある。どこかで線引きをしなきゃと思いながら、それができないまま今日も喋ってる。
「趣味の話でもしようよ」が、なんとなく言えない
「趣味とかないの?」と聞かれても、ちょっと困ってしまう。昔はあったはずだ。バイクいじり、音楽鑑賞、映画も好きだった。けれど、仕事を優先しているうちに、趣味の時間を削るのが当たり前になった。気づけば「趣味=仕事」みたいな状態に。それでも、「登記簿見るのが趣味です」とはさすがに言えないから、話をぼかしてしまう。「趣味の話をしようよ」と言われても、出てこない自分に軽くショックを受ける。会話って、心の余裕がないと難しいものだ。