趣味は仕事です――そう言わないと保てない日常

趣味は仕事です――そう言わないと保てない日常

「趣味は仕事です」と言い放った日の自分に思うこと

「趣味は仕事です」と口にしたのは、たしか去年の正月。親戚の集まりで「最近の趣味は?」と聞かれ、反射的にそう答えていた。別にウケを狙ったわけでも、自慢したかったわけでもない。ただ、ほかに何も思いつかなかったのだ。映画も観ていないし、本も読んでいない。バイクもホコリをかぶったまま。ふと、「趣味って何だっけ?」と、自分の言葉に戸惑ったのを覚えている。

本心か、虚勢か――自問自答の繰り返し

「仕事が趣味なんです」と言うと、周りは「すごいね」「意識高いね」と返してくる。でも本当にそうだろうか。むしろ、「それしかないんだね」と内心思われているんじゃないかと疑ってしまう。別に仕事が楽しいわけじゃない。ただ、仕事に追われるうちに、それ以外のことに目を向ける余裕がなくなっただけ。つまり、本心と虚勢の間にあるグレーな答えだ。

周囲のリアクションが地味に刺さる

「すごいですね〜」という反応、あれが一番こたえる。心のどこかで「ちょっと痛い人だな」と思われているのが透けて見えるのだ。特に若い子たちが言う「プライベートも大事ですよね〜」の声が、まるで遠くの光のように感じる。自分にはもう、そんな選択肢すらないのかもしれない。

休みにすることが、結局“溜まった仕事”という現実

カレンダーに「休」と書いてあっても、そこで休めたことが最近ない。たいてい、前から気になっていた書類の整理や、放置していた謄本の整理に手を出してしまう。なんなら、年末にできなかった事務所の掃除をして「これで気持ちよく新年を迎えられる」などと、自分に言い聞かせる始末だ。

たまの休み=誰にも邪魔されない作業日

平日は電話が鳴るし、急ぎの依頼も飛び込んでくる。でも日曜や祝日は静かで、誰にも邪魔されずに仕事ができる。そうなると、つい事務所に足が向いてしまう。「自宅でゴロゴロするよりはマシ」とか言い訳しながら、PCの前に座っている。そうして気がつけば、もう夕方。何も“遊んで”いないのに、時間は過ぎていく。

カレンダーの「休」の意味が違ってきた

昔は「この日はバイクでツーリング」と予定を入れていた。でも今は違う。「この日は電話が来ないから○○の書類作れるな」と考えてしまう。休みが、仕事の“進行補助日”になってしまった。この感覚が、果たして健全なのかは、もう分からない。

事務所に一人きり。誰にも文句は言われないけど

誰にも指図されず、集中できる環境。それはそれでありがたい。だけど、時々ふと「俺、何やってるんだろうな」と思う瞬間がある。静まり返った事務所で、ひとりキーボードを叩きながら、人生の“楽しさ”について考えている自分がいる。

「趣味って何かあるんですか?」と聞かれる地獄

一番返答に困る質問だ。婚活パーティーでも、地元の知り合いの集まりでも、決まって聞かれる。たいてい「映画です」「料理です」「旅行です」と明るく返されるなか、「あ、趣味は…まぁ、仕事ですかね」と言った瞬間、場の空気がスンと冷える。そう、自分でもわかってる。そこに“色気”がないのだ。

婚活でも合コンでも、この質問で詰む

一度だけ、頑張って「仕事が趣味なんです」と言ってみたことがある。相手の女性は「え〜!すごいですね!」と一応反応してくれた。でもその目は笑っていなかった。きっと内心「この人、めんどくさそう」と思ったに違いない。こっちは真面目に答えただけなんだけど、伝わらないって、虚しい。

「仕事が楽しい」は、もう笑われる時代なのか

昔は「仕事に打ち込んでます」という言葉が美徳とされた。でも今は違う。SNSには「ワークライフバランス」や「副業で人生充実」といった言葉があふれている。仕事が趣味?そんな時代じゃないよ、と言われている気がしてならない。

話を広げようにもネタが仕事のことしかない

「最近どうしてるんですか?」と聞かれても、話せることといえば「登記でちょっと揉めまして…」とか「裁判所からの照会が面倒で」くらい。全然ウケないし、ウケを狙ってるわけでもないけど、場が盛り下がるのは確かだ。仕事が生活のすべてになると、会話すらままならない。

それでも、仕事が嫌いになれない自分へ

こんなに仕事づくめで、人としての“潤い”が減ってる気がしても、それでも仕事をやめたいとは思わない。というか、やめたら自分に何が残るのか、正直わからない。司法書士という仕事が、結局は“自分”を形づくってくれている。文句ばかり言いながら、それでも机に向かい続ける自分を、少しだけ認めてあげてもいいのかもしれない。

孤独でも、役に立てている実感があるから

たとえば、依頼者から「助かりました」と言われた日。その一言が、全部の疲れを帳消しにしてくれる気がする。大げさに聞こえるかもしれないけど、それくらい、自分にとって“仕事”は存在価値の源になっている。人に感謝されることで、自分を保っているのだ。

「仕事しかない」じゃなく「仕事がある」が支えになっている

以前、同業の先輩がポツリと言った。「仕事があるうちはまだ救いがあるよ」と。その時は聞き流したけれど、今はその言葉の重みがわかる気がする。趣味も恋愛も家庭も、どれもないけど、それでも今日もやるべき仕事がある。それが、今の自分を生かしてくれている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。