またやっちまった…会話のあとに反省が止まらない司法書士の日常

またやっちまった…会話のあとに反省が止まらない司法書士の日常

なぜか毎回、しゃべったあとにどっと疲れる

人と会話をした後に、どっと疲れを感じることはありませんか?私はもう何年も、ちょっとしたやりとりの後に「変なこと言ってなかったか?」と振り返る癖が抜けません。司法書士という職業柄、言葉選びには敏感であるべきですが、だからといって毎回の反省会が精神的に良いとは限らない。むしろ、自分を責める回数が増えただけのような気もします。今日は、そんな“会話のあとに反省してしまう癖”について、私の事例を交えながら語らせてください。

事務員との何気ない雑談すら後悔することがある

ある日の昼休み、事務員のAさんに「最近忙しそうだね」と話しかけたつもりが、口調が少しぶっきらぼうだったのか、彼女の表情が固まった瞬間がありました。意地悪なつもりなんてまったくなかったんです。でもそのあと、「なんであんな言い方したんだろう」「嫌な感じに受け取られたんじゃないか」と思い悩んでしまいました。雑談すら気を抜けない、そんな日常は、想像以上に神経をすり減らします。

「あの一言、言わなくてよかったんじゃ…」と夜に考える癖

仕事が終わってから夕食をとり、布団に入るまでの間。ふとした瞬間に、その日にした会話が頭をよぎるんです。「あのとき、もっと柔らかい言い方にすべきだったかも」「あの沈黙、気まずかったかも」。そして決まって、自分を責める言葉が頭の中にこだまします。あの一言が誰かを傷つけたのではないかという不安が、眠気よりも先に襲ってきて、寝付きが悪くなるんです。

反省ばかりしていて、自分の発言に自信が持てない

こうした日々が続くと、自分の発言に対する自信がどんどん失われていきます。たとえば、相談者との面談でも「本音を言ったら誤解されるかも」と警戒して、当たり障りのない言葉しか選べなくなってしまう。すると、逆に「なんだか頼りない先生だな」と思われてしまうんじゃないかと、また別の悩みに発展するんです。発言のたびに反省し、反省のたびに萎縮する。まさに負のスパイラルです。

お客様対応でも、後から悩みが始まる

私は日々、相談者や依頼者と話をします。特に相続や債務整理の案件では、相手が感情的になることも多く、こちらも言葉に気を配ります。でも、いくら気をつけても「やっぱりあの言い回しは冷たかったかも」と後から自分にダメ出しをしてしまう。そんな自分が本当に面倒で、たまに無言でいたくなることもあるのです。

「言い方が強かったかも…」と不安になる毎日

たとえば、ある相続の相談で、私が「それは法的に無理です」と答えた場面がありました。内容としては事実ですし、誤解を招かないように言ったつもりでしたが、相手の表情が曇ったように感じて、それから数時間、ずっと「もっと柔らかく説明できなかったのか」と悶々としていました。実際には気にしていない可能性もあるのに、自分の中では大ごとになってしまう。これがまた、疲れるんです。

優しくしてるつもりなのに、逆効果だった気がして落ち込む

相手を傷つけまいと優しいトーンで説明しても、「上から目線に聞こえたかも」と後で自己嫌悪に陥ることもあります。「親切に話そう」という気持ちが空回りして、逆に不快な印象を与えてしまったのでは?という被害妄想。こうして自己評価がますます低くなるので、最終的には「もう誰とも話したくない」という気分になってしまう日もあるのです。

一人になった瞬間に自己嫌悪タイムが始まる

事務所での応対が終わり、車に乗り込んでエンジンをかけた瞬間。「はぁ…やっぱり今日もだめだったな」。たった10分のやりとりの中で、自分の発言を一言一句思い出して反省する時間が始まります。そして、たいてい夕飯の味がしなくなるんです。反省のせいで食欲まで奪われるって、効率悪い生き方ですよね。

完璧主義と気の弱さの板挟み

私はどちらかというと、気が弱くて相手の顔色をうかがってしまうタイプです。それでも、司法書士という肩書きがある以上、しっかりして見られたいという気持ちもある。そのせいで、「こうあるべき」「こう言うべき」という理想像が自分の中にあって、それと現実の自分のギャップに苦しむ日々です。

良かれと思って話したことが、あとで足を引っ張る

たとえば、ちょっとしたジョークを交えて空気を和ませようとしたら、相手が一瞬真顔になった。それを見た瞬間、「やっちまった」と全身の血の気が引く感じがします。笑ってほしかっただけなのに、もしも失礼に感じていたら…と不安が押し寄せてきます。善意のつもりが裏目に出たと感じる瞬間ほど、ダメージは大きいです。

会話を録音して反省したくなる衝動

本気で、自分の会話を録音して聞き返したくなる時があります。「なんであんなこと言ったんだ」と思うのは、記憶が曖昧だからだと割り切れればいいのですが、モヤモヤが残ると、つい証拠を探したくなるんです。でもそんなことをしても、結局はまた自分を責めるだけなんですよね。わかってはいるけど、やめられない。

「次はもっと気をつけよう」の繰り返しに疲れる

反省のたびに「次こそは…」と意識しても、数日後にはまた同じようなことで悩んでいる。まるで終わりなきトレーニング。しかも報われることはない。会話って、そんなに綿密に調整しながらするものなんでしょうか?そんな疑問すら感じることもあります。

誰にも言えない「自分会議」は毎晩開催中

仕事が終わって部屋に戻ると、テレビもつけずに一人反省会が始まります。会話の一つひとつを反芻して、「もっとこう言えばよかった」「この表情はどういう意味だったのか」と考え始めたら止まらない。誰かに相談したくても、こんな話をしても理解されない気がして、結局一人きり。だからこそ、今この文章を書いているのかもしれません。

反省会が終わるころには、日付が変わっている

何度も思い返しているうちに、時間だけが過ぎていきます。気づけば深夜1時、2時。眠いのに、頭が冴えてしまって寝つけない。次の日の朝は重たくて、布団から出るのに時間がかかる。この悪循環を断ち切るのは、簡単ではありません。でも、自分を責めすぎるのはもうやめたい。最近は、そんなふうに思うようにもなってきました。

「あの人どう思っただろう」が頭から離れない

結局、気になっているのは“他人の目”なんですよね。相手にどう思われたか、そればかりが頭に残ってしまう。相手が何も気にしていない可能性の方が高いのに、自分の中で「悪く受け取られた」と決めつけてしまう。そんな妄想の中で、自分自身の首を絞め続けている気がします。

じゃあどうすればいい?反省をやめる方法なんてあるのか

答えなんて、正直まだ出ていません。ただ、最近は「反省する=優しい証拠」と考えるようにもしています。反省するのは、誰かを傷つけたくない気持ちがあるから。だから、完全にやめる必要はないのかもしれない。そう思うだけでも、少し気が楽になることがあります。

そもそも“反省癖”は悪いことなのか

自己嫌悪と反省は違う、ということを意識するようになりました。反省は前に進むための思考だけれど、自己嫌悪は自分を否定するだけ。そこを区別できれば、反省癖もうまく付き合えるのかもしれません。大事なのは、自分に優しくすること。わかっていても難しいですけどね。

「気にしすぎ」って言われても、こっちは本気でしんどい

人から「気にしすぎだよ」と軽く言われると、さらに孤独感が増すんですよね。そうじゃなくて、ちゃんと悩んでるんだって分かってほしいだけなんです。でもそれを説明するのもまた難しくて…。だからせめて、同じように悩んでいる人に「わかるよ」と伝えたい。自分に言い聞かせる意味も込めて。

少しだけラクになれた工夫の話

最近やっているのは、「反省ノート」をつけること。反省したいことを、あえて紙に書き出すんです。不思議と、頭の中のモヤモヤが少し静かになります。全部は解決しなくても、言葉にするだけで気持ちが軽くなる。そんな小さな習慣でも、日々の負担は確実に減っている気がします。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。