「がんばってるね」と言われると泣きそうになる

「がんばってるね」と言われると泣きそうになる

「がんばってるね」の一言が胸に刺さる理由

疲れた顔を鏡で見た朝、電話のベルが鳴り続ける事務所で、「がんばってるね」と言われた瞬間、心の奥がジワッと熱くなった。普段は誰かに評価されるような仕事でもないし、自分でも「これでいいのか?」と自問する日々。だからこそ、たった一言のその言葉が、妙に響く。でも、その響き方が優しいだけじゃなくて、苦しさを伴っているのが自分でも分かってしまう。認められたことのうれしさと、頑張りきれない自分への後ろめたさがごちゃ混ぜになって、涙が出そうになる。言葉の重みって、状況次第でこんなにも違うんだと実感する。

気づかれたことへの安堵と戸惑い

誰にも見られていないと思っていた。日々の業務、書類の山、電話対応、役所とのやり取り。地味で終わりのない繰り返し。でもそんなある日、顧客でも同業者でもない、ちょっとした知人に「がんばってるね」と言われた。驚きと同時に、なんだか申し訳ない気持ちになった。「いや、そんな…」と笑ってごまかしたけど、本当はすごくうれしかった。でもそれ以上に、「よく見てくれていたんだ」と思うと、ちょっとだけ泣きたくなった。自分の存在が見えているって、それだけで救われるんだと痛感した。

見てくれていたんだと思える瞬間

普段、事務所での仕事はほとんどが一人。事務員はいても、別々の作業が多いし、ほとんど会話もない日だってある。だから、誰かが私の頑張りに気づいてくれることなんて、想像もしなかった。近所のコンビニの店員さんが「最近いつも遅くまでですね」と言ったとき、ちょっと驚いた。そんなささいな一言で、「あ、見てくれてたんだ」と思った。その瞬間だけで、少し心が軽くなった。自分の仕事は表に出にくいけど、ちゃんと存在してるって確認できた気がした。

「自分ばかりが頑張ってる」という孤独感の裏返し

頑張っていると、自分だけが必死なんじゃないかという気がしてくる。周囲は楽しそうに見えて、自分だけが置いてけぼりにされているような感覚。実際には、みんなそれぞれの場所で苦労しているのに、その姿は見えにくい。だから、「がんばってるね」と言われると、ふとその孤独感が浮かび上がってくる。なんで俺だけ?って思ってたけど、そんなことないんだって分かるだけで、少し救われる。そして同時に、そんなふうに感じていた自分の心の狭さにも気づいてしまう。

でもその一言が辛さを再認識させる

「がんばってるね」と言われて、うれしい気持ちがある反面、「ああ、自分ってそんなに無理してるように見えるのか」とも思ってしまう。無意識に張っていた気が、誰かの目に触れたことで一気にゆるんでしまうような感覚。普段は気を張っているから気づかないけど、その一言が逆に「もう限界なんじゃないの?」というサインにも聞こえてしまう。だからこそ、ありがたいはずの言葉に、心が痛くなる瞬間もある。

気を張っていた糸が切れそうになる

ギリギリのところで持ちこたえていた心の糸が、「がんばってるね」の一言で、ふっと緩んでしまう。それまで平気だったはずなのに、突然、目の前が滲んでしまうこともある。気づかれないように立ち回ってきたのに、気づかれてしまったことで、かえって脆さがあらわになる。自分が思っているよりもずっと、自分の中はボロボロだったんだと、その瞬間に気づいてしまう。それが、泣きそうになる理由なんだろう。

司法書士の現場で感じる「報われなさ」

地方の司法書士として独立して十数年、仕事はある。でも、それが「充実」とは違う感情であることも多い。登記のミスは致命的だけど、完璧にこなしても誰にも褒められない。そんな日常の中で、「がんばってるね」と言われると、いつの間にか麻痺していた感情が一気に戻ってくる。ああ、自分って、誰かに見てもらいたかったのかもしれない…そんな思いが頭をよぎる。

努力しても見えづらい成果

登記書類一つとっても、正しく出して当たり前。間違えたら責任問題。でも、正しくやっても「ありがとう」すらないのが当たり前の世界。だから、自分のやっていることに意味があるのか分からなくなるときがある。誰のためにやってるんだろう、と。そんな中で言われる「がんばってるね」は、一種の救いでもあるけれど、自分の中にあるむなしさも引き出してくる。

ミスは目立ち、成功はスルーされる

一度でも書類を間違えれば、苦情が来る。下手すれば損害賠償もある。でも、毎日ミスなくやり遂げていることは、誰も評価してくれない。仕事とはそういうものだと分かっているけれど、それでも疲れる。たった一つの見落としで信頼がゼロになる世界で、毎日神経をすり減らしながら作業していると、「自分が何をやっているのか分からなくなる」時がある。

「当たり前」の重圧と戦い続けて

司法書士の仕事は、「当たり前に正確であること」が求められる。だから評価されにくい。でも、それを守るためにどれだけ神経を使っているかは、自分にしか分からない。「当たり前」を守るためにどれだけ不安やプレッシャーと戦っているか、他人には伝わりにくい。だからこそ、「がんばってるね」と言われたとき、その見えない努力が認められたような気がして、涙腺が緩む。

評価されない日常業務の積み重ね

登記、供託、遺産整理…司法書士の業務は地味だ。でもその一つひとつが、人の人生の節目に関わっている大事な仕事。だけど、それを理解してくれる人は少ない。説明する機会も少ないし、説明しても「へぇ~」で終わることが多い。そうやって積み重ねた日々の中で、ふと「がんばってるね」と言われると、それまで張りつめていた気持ちが一気にほどけてしまう。

ただの「書類屋さん」と見なされる悔しさ

「司法書士?ああ、書類書く人ね」そんな言われ方をすると、ちょっと悲しくなる。もちろん書類作成は大事な仕事だけど、それだけじゃない。でもその仕事の本質を理解してくれる人は少ない。努力しても「ただの事務処理」としか見られないと、心が折れそうになる。「がんばってるね」という一言が、そんな見下されがちな日々に少しだけ光をくれる。だからこそ、泣きそうになるんだと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。