「柔らかさがない」って言われて落ち込んだ

「柔らかさがない」って言われて落ち込んだ

「柔らかさがない」と言われた日、全部が嫌になった

たった一言で一日が崩れることがある。あの日、事務所でクライアントに言われた「あなた、柔らかさがないですね」という一言が、まさにそれだった。仕事として必要な説明をして、正確さを意識して話していたつもりだった。でもその言葉を投げられた瞬間、自分の全部が否定されたような気がして、胸がギュッと苦しくなった。柔らかくないって、そんなに悪いことなのか?人を怒らせたり、冷たくした覚えはないのに。むしろ、丁寧すぎるくらい気をつけているのに。

事務所での何気ない一言に心が折れた

普段は感情をあまり出さずに接するようにしている。それが司法書士としての“あるべき姿”だと、自分の中で決めてきた。だけど、その日たまたまいらした中年の女性が、書類を見て言った。「言ってることはわかるけど、なんか…柔らかさがないのよね」。その言葉に、返す言葉も見つからなかった。事務員も苦笑いしてて、余計に気まずくなった。すぐに気持ちを切り替えようとしたけど、内心では「またか…」という落胆が渦を巻いていた。

クライアントとのやりとりに滲む“距離感”

たしかに、相談に来る人は不安や焦りを抱えていることが多い。そんな中で、こちらが淡々と手続きを説明するだけでは、相手にとっては“冷たく”感じるのかもしれない。でも、こちらとしてはミスなく進めることを第一に考えているわけで、感情表現にまで気を回す余裕がない日もある。特に立て込んでいるときなんかは、「笑顔の一つくらい出してくれれば…」と言われても、それどころじゃない。だけど、それって言い訳だよな、とも思う。

丁寧にしてるつもりなのに…なぜ伝わらない?

手続きの説明も、時間配分も、文書チェックも、誰よりも丁寧にやってるつもりなのに。だけど、それが“感じのいい人”には見えないのだとしたら、なにか根本的にズレているのかもしれない。自分の中では優しさの表現だった無口さや、正確性へのこだわりが、相手には「近寄りがたい」とか「とっつきにくい」と映るのかもしれない。優しさの表現って、こんなにもすれ違うものなんだと実感する瞬間だった。

司法書士という肩書きがつく“無口な鎧”

この仕事をしていると、どこかで「間違えちゃいけない」というプレッシャーが常にある。だからこそ、自然と無口になるし、感情を抑える癖がついてしまう。新人の頃はもっと砕けた話し方もしていた気がするけど、いつのまにか“冷静であること”が自分の身を守る武器になっていた。でもその鎧が、誰かを遠ざけていたとしたら…。自分自身が守るためにまとったはずのものが、気づけば孤立の原因にもなっていた。

厳格さが求められる仕事で“優しさ”を出す難しさ

登記も相続も、不動産の手続きも、1ミリの間違いも許されない。だからこそ、厳しさと正確さが求められる。でも、クライアントは“人”だ。人には気持ちがあるし、不安もある。その感情に寄り添うことができなければ、いくら手続きが完璧でも「この人に頼んでよかった」とは思ってもらえないのかもしれない。でもね、ほんと難しいんですよ。どこまで寄り添って、どこで線を引くか。その匙加減が未だによくわからない。

誰も教えてくれなかった感情の使い方

司法書士試験では、民法も商法もたたき込まれたけど、「人との向き合い方」なんて誰にも教わらなかった。優しくするって、どうやるんだ?それって、笑顔を見せること?共感の言葉を返すこと?でも、不器用な自分には、それがぎこちなくなってしまう。だから余計に距離が生まれて、また「柔らかさがない」と言われてしまう。その繰り返しに、正直疲れてしまう。

本当は誰よりも人に気を遣ってるつもりなんだけど

声を荒げたこともないし、横柄な態度も取っていない。それでも、「なんか冷たい」とか「事務的すぎる」と言われると、自分の何を直せばいいのかわからなくなる。本当は、誰よりも人に気を遣っているつもりなのに。それが伝わらないとき、自分の存在自体を否定されたような気持ちになる。そうやって、また殻にこもってしまう。

口下手と不器用が作る“誤解の壁”

自分は本当に口下手で、不器用だ。冗談もうまく言えないし、相手の気持ちに寄り添うような言葉を咄嗟に出すこともできない。そのくせ、何か言おうとすると空回りする。結果、沈黙してしまって「怖い」と思われる。そんな壁ができてしまって、関係がギクシャクする。気がつけばまた一人で空回りして、勝手に傷ついてる。

優しさが伝わらないときの自己嫌悪

本当は、ちょっとした気遣いや、さりげないサポートもしてるつもりなんだ。でも、相手が気づかなければ、それは“ない”のと同じ。見えない優しさは、評価されない。そんなふうに考えてしまって、ますます自分に自信が持てなくなる。「なんで俺、こんなに空回ってるんだろう」と、自分を責める夜もある。

「柔らかさ」って結局なんなんだろう?

笑顔で話すこと?共感すること?それとも、話しやすい雰囲気?「柔らかさ」という言葉が、あまりにも曖昧すぎて、どう努力すればいいのかわからない。それでも求められる以上、逃げるわけにはいかないけれど、自分にとっては“正解のない問い”のように感じてしまう。

優しい言葉よりも、結果がすべて…じゃないの?

ミスのない登記、スムーズな相続手続き。それが司法書士の仕事の本質じゃないのか?と、自分に言い聞かせてきた。でも、それだけじゃ足りない。人は“感情”でも動く。正確な書類だけじゃ、満足はしない。そんな当たり前のことに、ようやく気づき始めた。

正しさと優しさは両立できるのか

厳格であることと、優しさを持つことは、両立できるのか?自分にはまだ答えが出せない。でも、どちらか一方に偏りすぎると、きっとバランスを崩してしまう気がする。だからこそ、模索し続けるしかないのかもしれない。

それでもやっぱり、柔らかくありたい

落ち込んで、悩んで、それでもまた人と向き合う。それがこの仕事だし、生きていくということなんだと思う。完璧にはなれないけれど、せめてもう少しだけ、柔らかくなれたらと思う。誰かにとって、ちょっとでも話しやすい人でありたい。

“冷たい”と思われないためにできること

話すスピードを少し落とす。相手の目を見てうなずく。たったそれだけのことでも、印象は変わるのかもしれない。自分にできる範囲で、無理せずやれることから少しずつ試している。変われるかどうかはわからないけれど、努力しないよりはマシだ。

少しずつでも、自分の殻を割っていく

これまでずっと、感情を抑えてきた。でも、少しだけ表情に出してもいいのかもしれない。ミスを恐れて、厳しさを武器にしていたけれど、それが人を遠ざけていたなら、もうその武器はしまってもいいのかもしれない。

愚痴りながらでも、人と関わり続けたい

愚痴っぽい性格も、不器用なコミュニケーションも、たぶん簡単には変えられない。でも、だからといって人と関わるのをやめたくない。落ち込んでも、また立ち上がって、誰かと向き合っていきたい。司法書士として、人として、少しずつでも“柔らかさ”を身につけていけたら、それだけで十分だ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。