それでも、ペンを置けなかった日々――司法書士として生きるということ

それでも、ペンを置けなかった日々――司法書士として生きるということ

ペン1本で食っていくと決めたあの日

司法書士になると決めた日を、今でもはっきりと覚えています。別にドラマチックなきっかけがあったわけじゃない。どちらかといえば、他に選択肢がなかったというのが本音です。大卒でもない、実家が裕福でもない。自分にできることを探して、最後に残ったのがこの資格だった。目の前にあったのは、参考書と黒いボールペン1本。無職のくせに、文房具だけはやたら良いものを買ってました。書くことだけが自分の存在を確かめる唯一の手段でした。

きっかけは意地だったのか、希望だったのか

「司法書士って食えるの?」と何度も聞かれました。正直、自分でもよくわからなかった。ただ一つ言えるのは、誰かに認められたかったんだと思います。高校時代も、フリーター時代も、親戚の集まりで肩身が狭かった。だからこそ、「難関資格を取ったんだぞ」と言えることが欲しかった。希望というより、悔しさと意地が原動力だった気がします。合格通知を見たとき、嬉しさよりも「ああ、これで言い訳ができる」と安心した自分がいました。

「資格さえ取れば…」という幻想

合格後に待っていたのは、思っていたよりもずっと厳しい現実でした。開業したら仕事が来ると思っていた。でも、実際は電話も鳴らず、ポストにも何も届かない日が続きました。資格を取っただけじゃ飯は食えない。それはすぐに思い知らされました。チラシを配っても、ホームページを作っても、地域の人はなかなか動かない。やることはやったつもりでも、結果は出ない。資格取得にかけた年月が、ただの遠回りに思えて泣けてきました。

合格の喜びより、始まった現実の重さ

世間では「司法書士=安定」と思われているかもしれませんが、開業当初は地獄です。最初の仕事は、知り合いの紹介でやった登記の補助。報酬はたったの1万円。でも、その1万円がどれだけ嬉しかったことか。ペン1本で受けた責任の重さを実感した日でもありました。それからも不安定な収入に、眠れない夜ばかり。事務所の電気を消してから、暗い部屋の中で「これ、本当に続けていいのか?」と問い続けていました。

地方で司法書士として生きるという選択

都心に出る勇気がなかったわけではない。むしろ、地元でやることに意味を感じたかった。田舎には司法書士が少ない分、必要とされることもあるはずだと信じて。けれど現実は、想像以上に静かで、孤独でした。開業してからの数年間、事務所のチャイムが鳴るたびに心臓が跳ねるような生活。誰かに頼られることがこんなに重く、嬉しいものなのかと知りました。でも、それはごくたまにしかない出来事でした。

人通りのない商店街に、ひっそりと看板を掲げる

事務所のある場所は、昔は賑わっていた商店街。今はシャッター街。そんな中にひっそりと掲げた看板に、どれだけの意味があるのか。自分でもわからなくなる日があります。通行人はほとんどお年寄り。インターネットで調べてくる人は若い層ばかり。つまり、どちらにも響かない立地。それでも、この場所でやると決めたのは、自分の意地でもあったし、諦められない何かがあったからです。

「ここでやる意味」を毎朝問い続けている

毎朝、シャッターを上げるたびに思います。「今日も何も起きなかったらどうしよう」。日報をつけるほどの案件もない日もあります。けれど、それでも事務所を開けて座り続ける。誰かのためというより、自分の誇りを保つため。ペンを持ち続けるということは、仕事がなくても、立場がなくても、自分は司法書士であると信じる行為なんだと気づきました。

たった一人の事務員に支えられて

この仕事、正直一人では続けられなかったと思います。唯一の事務員がいてくれるから、毎日なんとかまわせている。お互い言いたいことがあっても、なるべく飲み込んで、うまくやっていこうとしてるのがわかる。時にはうまく意思疎通できずにギクシャクすることもあるけれど、それでもいてくれることのありがたみは年々増しています。

感謝と気まずさの狭間で

給料のこと、労働時間のこと、全部が理想通りではないことはわかってる。それでも続けてくれる彼女に、何度も感謝の言葉を伝えようとして、結局照れくさくて飲み込んでしまう。お互い無言のまま残業して、ふと顔を上げると、同じように疲れた表情。そんな時「この人がいなかったら、この仕事もうやってないかも」と本気で思う。

本音を言える相手が職場にしかいない

友達とも疎遠になり、恋人もいない今、本音で話せるのは事務員一人だけ。と言っても、お互い多くを語るわけじゃない。ちょっとした愚痴や、昼食時の一言で救われる。寂しいと言えばそれまでだけど、こういう関係性も悪くない。信頼って、口に出すより行動で感じるものだと思うようになった。

この仕事は、人の人生に触れる重さがある

登記や相続、簡裁代理。どれも書類上の作業に見えるかもしれない。でも、その向こうには確実に“人の人生”がある。誰かが亡くなり、誰かが引き継ぐ。誰かが新しく何かを始め、誰かが手放す。自分が関わることで、その人生の一部が少しでもスムーズに流れるようになる。そう思えるとき、この仕事をやっていて良かったと感じる。

書類の向こうにある、誰かの覚悟

たとえば相続登記。亡くなった人の名義を整理するというだけでなく、残された家族が現実と向き合う第一歩になることもある。面談で「もう前を向かないとと思って…」と話す依頼者の目に涙が浮かんでいたのを、今でも思い出す。こちらは法的に淡々と処理する立場だけれど、その覚悟に触れるたびに背筋が伸びる。

自分の言葉で誰かが前を向いてくれた瞬間

ある日、相談に来た高齢の女性が「先生の言葉で救われた」と言ってくれたことがありました。何気ない「大丈夫ですよ、順番にやれば片付きます」という一言。それだけで安心したと言われて、涙ぐまれて、自分のほうが泣きそうになった。専門家としての知識以上に、言葉の重みを痛感した出来事でした。

同じように頑張る誰かへ――このコラムを書く理由

一人で事務所を守り、誰にも愚痴れずに疲れている司法書士仲間がいるなら、声をかけたい。「自分も同じです」と。仕事が好きなはずなのに、投げ出したくなる夜もある。それでも、続けている。それは誇るべきことだと、誰かに伝えたい。そして、このコラムがその一人に届いたら、ペンを握る手に少しだけ力が戻るかもしれないと思って、今日も書いています。

誰かの「わかる」が、今日の自分を救ってくれる

この文章を書いていて思うのは、自分のために書いている部分もあるということです。声に出せない愚痴や弱音を、こうして言葉にすると少し楽になる。そして誰かが「わかる」と共感してくれたとき、書いてよかったと救われる気がする。司法書士だって、一人の人間です。弱くても、疲れていても、支え合っていいはずです。

ペン一本で踏ん張るあなたへ

誰に認められなくても、依頼が来なくても、毎朝机に向かい、書類に向き合っているあなたへ。その姿は、誰よりも立派です。ペン一本にすがるような気持ちで過ごす日々もあるでしょう。でも、それを続けているあなたは、確かに誰かの力になっています。どうか、自分を責めすぎずに、今日も一日、お疲れさまでした。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。