「やめてもいいんだよ」と言われた日が、もしもあったなら

「やめてもいいんだよ」と言われた日が、もしもあったなら

「やめてもいいんだよ」なんて、誰にも言われなかった

気がつけば、司法書士としての仕事を続けて20年が過ぎた。でもその間、一度だって「やめてもいいよ」なんて言葉をかけられた記憶がない。誰かに辞めたいと漏らしたこともなかったから当然といえば当然なんだろうけど。それでも、どこかで誰かが気づいて、そんなひと言をくれていたら…と何度も思ったことがある。人は限界が近づくと、ただ「認めてほしい」と願うようになる。その願いが、一言で救われることもあるんじゃないかと、今なら思う。

気づけば、やめる選択肢なんてなくなっていた

独立してからというもの、業務も人間関係も、まるで大きな歯車の中に取り込まれたように進んでいった。朝起きて、案件処理して、相談対応して、帰ってきたら書類確認して…そんな毎日の繰り返しの中で、「やめる」という選択肢はいつの間にか視界から消えていた。生活も、プライドも、周囲からの評価も、すべてこの仕事にくっついてしまっていたから。やめたら、何も残らないんじゃないかって、本気で思ってた。

背負い続けた「責任感」という名の鎧

責任感が強いのは、いいことかもしれない。でも僕の場合、それはただの「鎧」だった。依頼者の期待、家族や周囲からの「しっかりしてるね」という評価、それらに応えることが、自分の存在価値を証明する唯一の方法のような気がしていた。だから無理をしてでも仕事を続けたし、疲れていても弱音は吐かなかった。責任感という言葉に自分を縛って、逃げ場をなくしていたのは、結局自分自身だった。

「続けて当然」みたいな空気に押し潰されそうだった

僕の仕事に対して、周りの人が「大変だね」と言ってくれることはあっても、「やめたほうがいいんじゃない?」なんて言葉をかけてくる人はいなかった。それはきっと、僕自身が「続けることが当たり前です」って顔をしていたからなんだろう。無意識のうちに、「辞めるなんて弱いこと」と自分を追い込んでいた。世間の空気や他人の期待に押し潰されながら、それでも「辞めたら終わり」と思い込んでいた。

司法書士という仕事の「逃げにくさ」

この仕事には、どうしても逃げにくさがある。資格職というのは「専門性」が強い分だけ、自分しかできない仕事が多くなる。そうなると、簡単に人に頼れないし、代わってもらうわけにもいかない。だからこそ、どれだけきつくても「最後までやりきらないと」と思い込んでしまう。気がつけば、ひとりで全部を抱え込んでいた。

専門職ゆえの孤独と「替えがきかない」現実

司法書士は、よくも悪くも「自分の責任で完結する仕事」だ。責任を持って仕事をするのは当然だけど、それが裏目に出ることもある。誰にも相談できず、一人で判断を下す。たとえ自信がなくても「間違っていません」と言い切らなければならない。この孤独感がじわじわと心を蝕んでいく。代われる人がいないから、休めない。体がしんどくても、心が折れても、立ち止まる暇がなかった。

休んだって、誰も代わりにやってくれない

体調を崩したことも何度かあった。でも、結局パソコンの前には自分が座るしかなかった。事務員さんにできる範囲は限られているし、複雑な案件や登記申請は、僕がやるしかない。だから熱が出ても、気力で処理する。結局は自己責任だし、「やらないと仕事が止まる」というプレッシャーが強すぎて、誰にも「助けて」と言えなかった。まるで、自分が回さないと止まる古い機械の部品になったみたいだった。

自分で抱え込むしかない、という思い込み

振り返ると、「相談していいんだ」「頼ってもいいんだ」なんて考えたことがなかった。士業という立場上、他の人に弱みを見せるのが恥ずかしいという意識があるのかもしれない。特に地方では、変に噂が広まるのも怖い。だから、無意識のうちに「自分でなんとかしないと」と思い込んでいた。でもその思い込みが、心をどんどん消耗させていた。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。