「真面目そうだよね」で片付けられた数々の出会い
恋の始まりすら感じさせない終わり方がある。「真面目そうだよね」。言葉としては悪くない。褒めているようにも聞こえる。でもその裏には「恋愛対象ではない」という意思が隠れている気がする。司法書士という職業柄、信用が命。だからこそ、人からは“信頼できる人”と見られることが多い。でも、そこには“ドキドキ感”や“面白さ”は含まれていない。何度も経験してきた、「真面目そう」止まりの出会いに、ため息がこぼれる。
その一言が持つ“終わり”のニュアンス
「真面目そう」という評価をされたとき、人はそれをどう受け取るだろう。自分はもう慣れたけれど、初めてその言葉を言われたのは30代前半だった。仕事帰りに誘われた飲み会で、たまたま隣に座った女性に、会話の終わり際にそう言われた。「真面目そうな人って、安心するけど恋愛対象にはなりづらいよね」って。笑って言われたその言葉に、心のどこかが凍りついたのを今でも覚えている。
褒め言葉に見えて、恋愛対象外のサイン
「真面目そう」は、第一印象では決して悪い評価ではない。むしろ信頼や誠実さを感じさせるワードだ。でも恋愛となると別だ。多くの人が求めるのは刺激だったり、安心感にプラスされた何か、であることが多い。「真面目そう」は、その“何か”がないという意味でもあるのだろう。自分のキャラクターが恋愛市場でどう見られているのか、改めて突きつけられる一言だった。
「いい人止まり」という現実
あまりにも多くの「いい人だと思うんだけど…」という言葉を聞いてきた。その後には決まって「でも…」が続く。きっと自分にも原因はあるのだろう。冗談がうまく言えない。急に距離を縮めることができない。仕事の話になると真面目になりすぎる。だから「いい人」で終わってしまう。でも、これが自分なのだ。変えようとしても変わらなかった。努力しても、恋だけはどうにもならなかった。
真面目に生きて、なぜ恋は報われないのか
高校時代の恩師に「真面目にやっていれば、いつか誰かが見てくれる」と言われた。その言葉を信じて、司法書士を目指し、必死で働いてきた。でも40代半ばを迎えて気づいた。見てくれていたのは、恋の相手ではなく、登記簿と法務局の職員たちだけだった。
司法書士としての誠実さが、仇になる瞬間
この仕事は嘘をつけない。約束を守らないといけない。だからこそ、仕事外でもそのスタンスがにじみ出てしまうのだろう。恋愛において、もう少し軽さや柔らかさが必要だと分かってはいるけど、それがどうしてもできない。面白く振る舞おうとしても、どうしても“真面目感”がにじみ出てしまうのだ。
嘘をつけない性格が、距離を生む
嘘をつけないというのは、時に残酷な武器にもなる。気になる人がいても、誘い文句一つにも本音が出てしまう。「今度、もしよかったら食事でも…」なんて言い方になってしまう。もっと気の利いたことを言えたらいいのに、と思いながらも、変に取り繕うことができない。結果、距離は縮まらず、相手は去っていく。
「誠実」は人柄であって、魅力ではない?
誠実さは人として必要な資質かもしれない。でも恋愛においては、それだけでは足りないことを痛感する。ドキドキやワクワクを感じさせる何かが、誠実さとは別のラインにあることが多い。まじめに生きてきたつもりだけど、そのせいで“恋人候補”から外されるのなら、いっそ不誠実なふりでもすればよかったのかと、考えてしまう夜もある。
職業としての「信頼感」と、恋愛での「距離感」
司法書士としての仕事は、クライアントとの信頼関係がすべて。誤字一つでも信用を失うことがある世界だ。その厳しさが身についてしまったからか、人との距離感も「慎重すぎる」ほど慎重になってしまう。恋愛では、その堅さが逆に障壁になるのだ。
書類には好かれても、女性には響かない
書類ならいくらでも完璧に処理できる。登記も、相続も、商業登記も、自信を持ってやれている。でも、女性との会話となると、どうにも噛み合わない。緊張してしまうし、相手の反応をうかがいすぎて、自分らしさを出せなくなる。書類にはミスがない。でも、自分の言葉は、どこかズレてしまう。
堅実すぎる仕事が、会話の引き出しを奪う
仕事の内容は基本的に“真面目”の塊だ。だから話題も偏りがちになる。法務局や登記の話なんて、普通の人は面白くも何ともないだろう。趣味も特にない。最近は帰宅後にYouTubeをぼーっと見るのが習慣になってしまった。そんな自分が、恋愛の話題で盛り上がれるはずもない。だから、また「真面目そうだよね」で終わる。