心がついてこないまま仕事する

心がついてこないまま仕事する

心がついてこない朝の始まり

目覚ましの音で目は覚めても、心は布団の中から出てこない。司法書士という仕事をしていて、こんな朝は正直、よくある。気持ちが追いつかないまま、顔だけは「仕事モード」に切り替えて、事務所に向かう。外から見れば普通に働いているように見えるのかもしれないが、内側ではずっと空っぽのまま。そんな状態で仕事を続けるのは、想像以上に消耗する。

気持ちのスイッチが入らない

通勤途中、コンビニでいつもの缶コーヒーを買う。でもその味すら、最近はほとんど感じない。事務所に着いても、やる気のスイッチは押されないまま。とりあえずPCを立ち上げ、メールを開く。目は文字を追っていても、内容が頭に入ってこない。まるで魂が抜けたままの自分が作業しているような感覚になる。きっとこれは、燃え尽きの一歩手前なんだろう。

机に向かっても、何も始まらない

仕事机に座ったまま、ただ時間が過ぎていく日がある。書類を目の前に置いても、ペンが進まない。予定表に書かれた登記の期限は迫っているのに、心がまるで拒否反応を示している。無理やり書類を書いても、後でミスに気づいて余計に落ち込む。そんな繰り返しが、自分をどんどん責める材料になっていく。

電話のコール音が余計につらい

電話が鳴るたび、ビクッとしてしまう。出なければいけないのはわかっている。でも、あのコール音が、まるで「お前はまだ頑張れ」と強制してくるようで、息が詰まる。結局、取ったあとも声がうわずって、相手に気を遣われてしまう。仕事なのに、どんどん自分が情けなくなっていく。

司法書士という仕事の現実

世間から見れば「士業=安定・立派」と見られがちだが、実際は感情労働の塊のような仕事だ。とくに相続や遺言、成年後見など、人の人生や死と深く関わる場面では、事務的に進めるだけでは済まされない。こちらが心をすり減らしながら向き合わなければならない瞬間が多すぎる。

手続きだけじゃない「人の感情」との付き合い

たとえば相続登記。書類を作成して提出すれば終わり、というわけではない。遺族が抱える怒り、悲しみ、不安……そういった感情を受け止める場面が何度もある。「こんなに大変なんですね」と言われることもあるが、実際に見えない部分で心を使い切っていることはほとんど知られていない。

亡くなった方の家族の想いが重い

「亡くなった父が大切にしていた土地なので…」と泣きながら話す依頼者の前で、私は何度も言葉に詰まった。司法書士として、冷静に処理すべきだとわかっていても、人間としての感情がそれを邪魔する。そういう感情を抑えながら、事務的に処理をしなければならないことに、罪悪感すら覚える。

感謝の言葉が刺さらない日もある

「本当に助かりました」と頭を下げられても、心が反応しない日がある。疲れていても笑顔を作らなきゃいけない。そんな自分が、演技をしているみたいで嫌になる。優しくしたいのに、心がついてこない。そんな自分をまた責めてしまう。

一人事務所の孤独と責任

私は事務員をひとり雇っているが、実質、ほぼすべての責任を自分が背負っている。トラブルがあれば自分の責任。顧客対応も、クレームも、請求も、すべて自分。孤独というより「四方を壁に囲まれた場所にいる」ような感覚だ。

誰にも頼れないプレッシャー

一人で仕事をしていると、何かあっても相談相手がいない。事務員さんに弱音は吐けないし、同業者にもなかなか本音は話せない。だからといって家族に愚痴る相手もいない。結果、全部を自分の中に押し込めて、胃が痛くなる。

事務員にも気を遣って疲れてしまう

彼女には悪いけど、事務員にさえも気を遣ってしまう。「この仕事、面倒かな」「言い方、きつくなかったかな」って、いつも考えてしまう。彼女に辞められたら困るから。でも、そうやって常に気を張っているせいで、気づけば自分がボロボロになっている。

「それでも続ける」自分を認めてやる

正直、辞めたいと思ったことは何度もある。司法書士なんて向いてないんじゃないかと思う日もある。でも、今日もこうして机に向かっている。それだけで、十分なのかもしれない。弱くても、心が追いつかなくても、それでも続けてる自分を、少しだけでも認めてやりたい。

ちゃんと立ってるだけで十分だ

心が動かない日でも、無理せず一歩だけ進めればいい。誰かと比べなくていい。私は私のペースでしか進めないし、そうするしかない。そんな風に思えるようになったのは、何年も心が折れそうになりながら、それでも続けてきたからだと思う。今日も、明日も、多分、同じ気持ちのままだろうけど、それでもやる。それでいい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。