誰かといたくても、一人でやるしかない──司法書士という孤独な選択

誰かといたくても、一人でやるしかない──司法書士という孤独な選択

この職業、なぜこんなにも孤独なのか

司法書士という仕事は、見た目には静かで落ち着いた印象かもしれません。けれど実際の現場では、毎日のように決断を迫られ、目立たぬところで神経をすり減らしています。そしてなにより、決断も作業も、すべてが「自分一人」に委ねられている場面が多い。人と関わることはあっても、深い人間関係にはなりにくく、ふと気づけば「今日一日、誰ともまともに会話していないな」と思う日さえあります。孤独が当たり前になっているこの仕事の現実を、今日は少し掘り下げてみたいと思います。

依頼者とは一線を引く距離感

依頼者の中には、たまに世間話をしてくれる方もいます。でもそれは「仕事の一部」としての関わりであって、友人のような親密さにはなりません。例えば、相続の相談をしてきたご高齢の方。初回の面談ではいろんな思い出話もしてくれたのに、仕事が終わればそれきり。こちらから連絡するのはもうマナー違反ですし、「また何かあれば」と言っても、たいていは何もありません。相手の人生の大事な場面に関わるからこそ、あえて距離を置かれる。そんな寂しさが、この職業にはつきまといます。

同業者とも深くはつながれない事情

仕事の性質上、同業者と頻繁に会って情報交換する機会はあります。ただし、それはあくまで「業務上の付き合い」にとどまることがほとんど。たとえ同じ悩みを抱えていても、それを口に出すことにためらいがあるのが司法書士の世界です。変に弱音を吐けば、実力がないと思われるんじゃないか、信頼を失うんじゃないか。そんな不安が先に立って、結局は深い関係にはなりづらいのです。

情報交換以上にはならない関係性

とある会合で、初めて顔を合わせた司法書士仲間と「この時期は忙しいですよね」と軽く話したことがあります。そのときは笑い合って、名刺交換もして、LINEも交換しました。でもその後は音沙汰なし。こちらから連絡して雑談でも…と思うこともありますが、踏み出せずに終わります。相手も同じように思っているのかもしれませんが、互いに「忙しいだろうな」と遠慮してしまう。この微妙な距離感が、孤独を深める原因にもなっているのです。

一人で考え、一人で決め、一人で責任を負う

司法書士は、とにかく「最終判断を自分で下さなければならない」仕事です。書類の形式から言い回しのニュアンス、リスクの判断まで、常に自分の知識と経験を頼りにします。事務員には相談できますが、責任は自分に返ってくる。正解がひとつとは限らない世界で、正しいと信じて一人で進む孤独感は、なかなかに重たいものです。

失敗できないというプレッシャー

例えば、登記の申請で日付を一日間違えたらどうなるか。たったそれだけで相手方に多大な迷惑がかかり、自分の信用は地に落ちます。再発行、再手配、謝罪――すべてが自分の責任です。誰かに「これはこれで大丈夫だよ」と言ってもらえる仕事じゃない。だからこそ慎重になり、孤独と向き合う時間が増えてしまうのです。

誰も最終判断には加われない

以前、重要な会社登記の場面で、条文の解釈に迷いました。法務局にも確認しましたが、最終的な判断はあくまで「先生の判断です」と言われたとき、正直震えるほど不安でした。誰も責任はとってくれない。相談しても、返ってくるのは「ご判断にお任せします」。この「自分だけが責任を背負う」感覚が、司法書士をどんどん孤独にしていくんだと実感します。

「確認しました」と言われても、責任は自分に返ってくる

たとえば法務局に「この内容で問題ありませんか?」と確認して、「確認しました」と言われたとします。でもそれは「責任を持ちます」という意味じゃないんですよね。万が一、それが間違っていたとしても、処分されるのは自分。この理不尽にも似た構造が、精神的にじわじわと効いてきます。相談しても、結局は一人で全部抱え込むしかない現実があるのです。

忙しさが、人との距離をさらに遠ざける

忙しければ孤独を感じないかというと、そんなことはありません。むしろ逆で、忙しければ忙しいほど、誰かと話す時間や余裕が奪われていきます。誰かに会いたいな、誰かとごはんでも、なんて思っても、仕事が終わる頃にはすっかり夜。明日も朝から予定が詰まっている。そんな日々の繰り返しに、ふと空虚さを覚えることもあります。

仕事が終わる頃には店も閉まっている

先日、珍しく少しだけ早く仕事が終わった日、「今日は外でごはんでも食べよう」と思って駅前に出たんです。でも、空いていたのはチェーンの居酒屋だけ。周りはグループ客ばかりで、なんとなく一人で入りづらくて、そのままコンビニでおにぎりを買って帰りました。なんでもない日常ですが、そのときの虚しさは今でも覚えています。

気軽に誰かと話す時間がない日々

「飲みにでも行きましょう」と気軽に言える人がいないんです。友人も同業も、気がつけばみんな家庭を持ち、夜は家族サービスの時間。自分のように独り身で、かつ話せるような間柄の人が近くにいないと、本当に言葉を発しない一日がある。誰かと他愛もない話をしたくても、その「誰か」がいないんです。

それでもこの仕事を選び続ける理由

じゃあ、やめたいかと言えば…それもまた違うんですよね。孤独は確かにある。むしろ日常。でも、それを超える瞬間があるんです。依頼者からの「ありがとう」。小さな信頼。何年も経ってから届く一通の手紙。それらが、自分が誰かの人生に深く関われた証として、心に残り続けています。

誰かの人生の一部に深く関われる重み

登記や相続の仕事は、書類作成だけに見えがちですが、実際には人生の節目に立ち会う仕事でもあります。結婚、新居購入、相続、そして別れ。その一つひとつに、司法書士として関わるたび、自分の仕事が「必要とされている」と実感します。孤独の中にも、確かな存在意義があるんです。

「ありがとう」が、唯一心を救ってくれる瞬間

本当に嬉しかったのは、ある依頼者が仕事の完了後に「これで心が軽くなりました」と言ってくれたとき。その一言で、何日も悩んだことや、夜遅くまで作業した疲れが吹き飛びました。やっぱりこの仕事、続けててよかったなと。報酬じゃなくて、こういう言葉が一番の報酬なんだと思います。

たまに届く手紙や小さな差し入れが沁みる

去年の冬、小さな和菓子の詰め合わせを持って来てくれたご高齢の依頼者がいました。「寒いから甘いものでも食べて」と一言添えて。その気遣いが、ものすごく沁みました。事務所で一人、あったかいお茶と一緒にその和菓子を食べながら、「たまには誰かに見られててもいいな」とふと思いました。孤独なこの仕事にも、そういう灯りみたいな瞬間がちゃんとあるんです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。