静かな夜と缶ビール──それが僕の終業の合図
誰にも邪魔されない夜、事務所のシャッターを下ろして帰宅する。部屋に灯りをつけると、そこには人の気配がない。テレビもつけず、ただ冷蔵庫から缶ビールを取り出す。その音が、まるで一日を終わらせる合図のように響く。司法書士として一日を駆け抜けた後、誰かと労う時間もないまま缶ビールを開けるのが、いつしか習慣になっていた。
「今日も終わった」と感じる瞬間
缶ビールのプルタブを引く音が好きだ。カシュッという乾いた音が、今日もなんとか無事に乗り切ったという証のように聞こえる。特に何もなくても、何か大きな達成があった日でも、缶ビールは変わらず僕を迎えてくれる。ただし、ビールの泡の中に混じっているのは安堵だけじゃない。静かすぎる部屋の空気が、どこか自分の「空っぽさ」を強調してくる。
晩ごはんよりも、まずビールを開ける理由
料理をする気力もない夜、まず手に取るのが缶ビール。腹が減っていても、それより先に口を潤したい。口に含んだときの苦みが、現実を少しだけ遠ざけてくれる気がする。何かを噛み締めるより、ただ液体が喉を通っていく感覚に身を任せたいだけかもしれない。空腹よりも、心の渇きのほうが先に来るのだ。
冷蔵庫にある缶ビールが“支え”になっている気がして
仕事でどれだけ疲れても、「帰ればあれがある」と思うことで、どうにか気力を保っている。缶ビールがあるだけで、なぜか一日が“完結”したような気になれるのだ。誰かと語らうこともない、ただのルーティン。でもそのルーティンが、この孤独な仕事の精神的な支えになっているというのは、冗談ではなく本当の話だ。
司法書士という仕事がくれる「達成感」と「空虚感」
登記が完了し、依頼人から感謝の言葉をもらう瞬間。間違いなく誇らしい。でも、そこに感情をのせすぎると逆に疲れてしまう。司法書士という仕事は感情を抑える場面が多い。終わった後に残るのは達成感と同時に、妙な空虚さだ。それが、帰宅後のビールの味にまで影響を及ぼすとは、思ってもみなかった。
依頼人の笑顔がある。でも感情を表に出す暇はない
時々、依頼人がほっとした表情で「助かりました」と言ってくれる。それは嬉しい。しかしその直後、頭の中では次の案件の準備が始まっている。司法書士は感情を見せるよりも、処理能力と正確性が求められる職業。だから感動する暇もないし、浸る時間もない。終業後の缶ビールの中に、ようやくその感情がにじみ出るのかもしれない。
目の前の書類に没頭する日々は、満たされているのか?
登記、相続、債務整理……日々の業務は尽きない。誰かの役に立っている実感はあるのに、なぜだか心が満ちない。頭では「やりがいがある」と分かっていても、身体の芯が冷えているような感覚になることがある。集中していれば孤独を感じなくて済むが、夜になるとふと、その“満たされなさ”が顔を出す。
誰にも見せない“愚痴”が、缶ビールの泡に溶けていく
昼間は事務員さんの前で笑っていられる。依頼人に対しても丁寧に対応する。でも、帰宅して缶ビールを開けた瞬間、本音がじわりとあふれてくる。「なんでこんなに神経使うんだろう」とか、「いつまで一人なんだろう」とか。誰にもぶつけられない愚痴が、泡と一緒に消えていく夜がある。
「事務所経営ってしんどいよね」と言ってくれる人がいない
同業者とのつながりがあっても、本音をぶつけ合える仲というのはなかなかいない。結局みんな忙しくて、自分のことで精一杯だ。経営のこと、税金のこと、スタッフのこと……誰かに愚痴ることができたら、どれだけ楽だろうかと思う。缶ビールは黙って聞いてくれるけど、答えは返ってこない。
事務員さんには頼れない。弱音は隠すものだから
うちの事務員さんは気が利く。いつも助かっている。でも、経営者の不安をスタッフに伝えるわけにはいかない。だから一人で抱える。業務の忙しさや不透明な将来について、口に出したいのに出せない。その言葉がどこへ行くのかといえば、やっぱり缶ビールの泡の中に沈んでいく。
それでも辞めたくない理由がどこかにある
いっそ辞めてしまった方が楽なんじゃないかと思う夜もある。でも、辞める勇気もないし、辞めた後の生活が想像できない。今の仕事には、それでもどこか誇りを感じている。苦い缶ビールの向こうに、かすかに見える希望のようなものがあるから続けられているのかもしれない。