夕暮れの帰り道、誰にも会わず
仕事を終えて事務所の戸締まりをする頃には、空はすっかり暗くなっている。地方の街は夜になると人通りも少なく、帰り道は静寂に包まれる。その静けさが、なぜか自分の生活そのものを映しているようで、胸が苦しくなる瞬間がある。駅までの道のり、車に乗り込む前に見上げた空には星も少なくて、「今日もまた、誰とも会わなかったな」とため息をつく。別に誰かと話さなければいけないわけじゃない。でも、誰とも関わらなかった一日って、意外と心に堪えるものだ。
事務所を出ると、もう日は沈んでいた
「よし、今日はここまで」とデスクの電気を消す頃には、窓の外はすっかり闇に包まれている。冬なんかは特にそうで、外に出た瞬間に「あれ、もうこんな時間か」と驚くことも多い。近くのカフェや弁当屋も閉まっていて、なんとなく取り残された気分になる。これは自営業あるあるかもしれない。残業してるのも自己責任。でも、やることが多すぎて気がつけば日が暮れている、という状況は、孤独を際立たせるには十分だ。
電気を消す瞬間の、虚しさ
最後の蛍光灯を消す瞬間、事務所に静寂が広がる。昼間はせわしなく動いていた空間が、いきなり冷たい箱に変わるような感覚。あの瞬間が、妙に寂しい。事務員さんももう帰っていて、誰にも「お疲れ様」と声をかけることもなく、自分だけが残っている。長く続けていれば慣れるかと思ったが、今でもあの一瞬の虚しさには慣れない。むしろ年々強まっている気すらする。
「今日も誰とも話さなかったな」
電話も来客もない一日というのは珍しくない。黙々と書類作成や登記情報の確認に追われて、気がつけば言葉を発したのは「ハンコ…どこだっけ…」と独り言だけだったりする。そんな日が続くと、自分の存在が社会から切り離されているような感覚になることがある。特に、誰かと会話をしたくてたまらない日ほど、そういう日に限って誰からも連絡が来ない。不思議なものだ。
コンビニの明かりだけがやけに眩しい
帰り道、唯一明るく人の気配があるのがコンビニだ。入店すると温かい空気と照明が迎えてくれるが、その明るさが逆に虚しさを浮かび上がらせる。陳列されたお弁当やスナック菓子、レジ横の肉まん。どれも手軽で便利だが、「これで今日の晩飯か」と思うと、自分の生活の貧しさを感じずにはいられない。
夜食を買うことが習慣になっていた
最近はもう、自炊なんてまったくしない。夜遅く帰ってきて、何も作る気力がわかず、気づけば毎日のようにコンビニのレトルト食品を買っている。気休めに野菜ジュースやサラダを追加するけど、結局はジャンクな生活になっている。健康診断の数値が気になる年齢になってきたのに、やめられない。便利さと引き換えに、何か大事なものを失っているような気がしてならない。
レジで「温めますか?」と聞かれるだけの会話
店員さんに「温めますか?」と聞かれ、「はい」と答える。それが今日一日で唯一の人との会話だった、なんて日も珍しくない。笑えるようで笑えない。たかが一言、されど一言。その一言がなければ、本当に誰とも言葉を交わさずに一日が終わっていたかもしれない。会話というもののありがたみを、こんな形で痛感する日々だ。
ふとした瞬間に襲う、強い孤独感
孤独って、常に感じているわけじゃない。仕事をしているときはむしろ無心で、そんな暇もない。でも、ふとした瞬間、何の前触れもなくズンと重くのしかかってくる。特に誰かと喜びを分かち合いたいときや、愚痴を聞いてほしいとき、その相手がいないと実感した瞬間はこたえる。強がって「慣れてるから」と言い聞かせてきたが、やっぱり心はごまかせない。
誰かと分かち合うことの少なさ
たとえば、難しい案件が無事に完了したとき。誰かに「やったよ!」と言いたくなる。でも言う相手がいない。それどころか、「また次の案件が来てます」と追い立てられる。努力が報われたときに、それを見てくれている人がいないというのは、思っていた以上に虚しい。目に見える成果があっても、心の中はぽっかりと空いたまま。
業務の話ばかり、心の話はどこへ
事務員さんがいてくれるのはありがたい。とはいえ、業務の話以外をすることはほとんどない。気を遣わせたくないし、自分自身もあまりプライベートを語るのが得意じゃない。だからこそ、事務所内で「心の会話」が生まれることは稀だ。効率的な職場ではあるけれど、人としてのつながりが希薄なのは否めない。
事務員さんとの距離感も、難しい
雇う側と雇われる側。どうしてもそこには一定の距離がある。信頼してるし感謝もしてる。でも、あくまで仕事の関係。何かを相談したり、弱音を吐いたりするような関係ではない。これが家族経営ならまた違ったのかもしれないけど、今の状態ではその距離感を崩すのは難しい。それがまた、自分を孤独にさせている原因の一つだと感じている。