誰にも見られない努力に、光が差す日は来るのか
一日が終わっても、「何をやったのか覚えてない」日々
忙しさにかまけて、毎日があっという間に過ぎていく。朝起きてから夜帰るまで、事務員とのやり取りと電話と登記の処理に追われ、「今日、何をやったんだっけ」と振り返る頃にはもう深夜。自分の仕事が世の中にどう役に立っているかなんて考える余裕もない。ただただ、目の前の依頼をこなしていくだけの毎日。そんな生活が、もう何年も続いている。
朝から晩まで、でも充実感はどこにもない
「今日は早めに終わるかな」なんて思う日ほど、急な相談が飛び込んできて、結局終電間際に事務所を出ることになる。食事もコンビニ弁当か、冷めたおにぎり。誰のために頑張ってるのか、自分でもわからなくなる。充実感なんて幻想で、ただ生き延びてるだけの毎日が続く。
「頑張った気はする」でも成果が見えない虚しさ
登記が通ったからといって、「ありがとう」と言われるわけでもない。むしろ、書類に不備があればこちらが責められる。正確に、誠実に、必死でやっても評価されることはない。「誰にも見られてない努力」って、本当に報われることあるのかと、ふと立ち止まりたくなる。
見積りも請求も登記も、感謝の言葉はほとんどない
時にはクレームの方が多いくらいだ。「こんなに費用がかかるんですか?」「もっと早くできないんですか?」。事務員が肩身狭そうに電話を受け、僕は頭を下げる日々。努力の先にあるのは感謝じゃなく、疑念や不満ばかり。これじゃ、心が擦り減っていく一方だ。
誰にも知られずやっている努力が報われることなんてあるのか
誰かに褒められたくて仕事してるわけじゃないけど、まったく見られていないというのも、やっぱりしんどい。事務所にこもりきりで、誰とも深く関わらず、コツコツやってきた自分の努力が、いつか何かの形で報われるのか。そんな淡い期待を抱きつつも、現実は何も変わらない。
「見てる人は見てるよ」なんて慰めはいらない
誰かが言った。「見てる人は見てるよ」って。でも、それって本当にそうなのか? 誰も見てないから、こうして孤独で、こうして疲れてるんじゃないか。目立つ人が得をして、上手にアピールできる人が評価される世の中で、黙々と仕事をこなす人間はどこまで行っても背景の一部に過ぎない。
そもそも見られるような舞台に立っていない気がする
司法書士なんて、世の中の人から見れば「地味な存在」。目立たず、騒がず、誰かの手続きを裏側で支えているだけ。そもそもスポットライトが当たる場所に立ってないんだ。そんな場所でいくら努力しても、見られることはない。報われたいと思うこと自体が、贅沢なのかもしれない。
努力は報われるのではなく、続けられる人が報われる
結局、報われるかどうかじゃなくて、続けるかどうかなんだろう。でも、それがまたキツい。続けられる人ってのは、どこか鈍感だったり、諦めがうまかったりする。僕みたいに、いちいち気にしてしまうタイプは、心がすり減って、長くはもたないんだよ。
でも「続けられる人」って、案外鈍感なんじゃないか
周りを気にせず、やることだけやる。文句も言わず、反応も求めず、ただ動き続ける。そういう人を見ると、正直うらやましい。でも同時に、羨望と距離を感じる。僕にはできない。感情が先に動くから。納得できないまま続けるのは、苦痛でしかない。
陰で頑張ってる人ほど、壊れるのも静か
誰にも迷惑をかけず、弱音も吐かず、黙って働いてる人ほど、ある日突然いなくなる。そういう人を、何人も見てきた。気づかれない努力を続けて、気づかれないまま消えていく。そんな未来が、自分のすぐ近くにあるようで、正直怖い。
音を立てずに壊れていく…そんな自分に気づいていないふり
疲れていても、「大丈夫」と笑ってみせる。無理してるのを自分でも分かってるけど、それを認めるのが怖い。音もなく、静かに、誰にもバレないように壊れていくのは、思ってる以上に簡単なんだ。だからこそ、誰かに「頑張ってるね」と言ってもらいたかった。
思い切ってやめたこともある、でも後悔はしていない
過去に一度、思い切って業務の一部を外注に切り替えたことがある。「自分で全部やらなきゃ」って思い込んでいたけど、もう無理だった。でも結果的に、それは正解だった。頑張りすぎないって選択肢があることに、初めて気づいた。
無駄に感じた時間が、今の判断を支えている
そのときの後悔や反省が、今の「線引き」の感覚を育てた。全てを完璧にやる必要はない。報われることばかり追い求めると、自分の価値を他人に明け渡してしまう。そんなことを、遠回りしてようやく学んだ。
「報われたい」という気持ちは、弱さなんだろうか
誰かに認められたい、感謝されたい、褒められたい。それを口に出すと、「甘えるな」と言われるかもしれない。でも、それが人間だろう。弱さかもしれないけど、それを抱えたまま生きていくのが、僕らの仕事じゃないかと思う。
心の奥では誰かに褒めてほしいと思っている自分
仕事をしていても、書類を出しても、「すごいですね」なんて言われることはない。だからこそ、たまに事務員から「お疲れさまでした」と言われただけで、泣きそうになる。認めてほしい。たった一言で、救われることがあるんだ。
でも、褒めてくれる人は、なかなか現れない
だからこそ、自分で自分を褒めることを覚えないといけない。でも、それが一番難しい。他人の評価でしか自分を測れなくなってると、自分で自分を認める力がどんどん削れていく。だから今日も、ちょっとだけ自分を甘やかすことから始めてみる。
努力を「見せる」のが上手い人が勝つ世界かもしれない
SNSで仕事の実績をアップして、称賛を集める人もいる。それも一つの戦い方だと思う。でも、自分には向いてない。写真を撮る暇もない。画面の前でキラキラしてる時間があるなら、目の前の依頼人に集中したい。ただそれだけなんだけど、それが評価される世の中ではない。
SNSにあげる暇もないくらい、現場は忙しい
今日も、ひとりで黙々と書類を整えて、登記所に走る。昼飯を抜いたまま夕方を迎える日もある。でも、それを写真に撮って「頑張ってます」と言うこともできない。ただ、終わらせるだけ。報われないかもしれないけど、それが自分のやり方なんだと思う。
それでも、誰にも見られない努力をやめない理由
誰にも気づかれない、褒められない、評価されない。それでも努力をやめないのは、自分だけは知っているからだ。今日も頑張った、ちゃんとやった。それだけで、なんとかギリギリの場所に踏みとどまっていられる。だから、今日もまた、見えない努力を重ねている。
見返りはなくても、誇れる自分でいたい
「報われるかどうか」よりも、「誇れるかどうか」。それが今の自分の支えになっている。誰かのためじゃなく、自分のために、自分が納得できるように働く。それが、司法書士としての僕の小さな矜持なのかもしれない。
最後に報われるのは、「自分で認めた自分」だけかもしれない
人生は誰かのためにあるようで、結局は自分との勝負だ。誰にも見られなくても、褒められなくても、自分だけはちゃんと見ている。それだけが、今の自分を救ってくれる。そんなふうに思える日が、少しずつ増えてきた。
自己満足でいい、でもその自己満足はとてつもなく難しい
自己満足で終われたら楽だ。でも、それが一番難しい。「まだ足りない」「もっとやれる」と自分を責め続ける毎日。それでも、「よくやったな」と言える瞬間を目指して、今日もまた誰にも見られない努力を続けている。