祝日が増えるたびに、仕事が減らない――司法書士にとっての“赤い日”の憂うつ

祝日が増えるたびに、仕事が減らない――司法書士にとっての“赤い日”の憂うつ

祝日が増えるたびに、仕事が減らない――司法書士にとっての“赤い日”の憂うつ

世間の「休み」に置き去りにされる日常

赤い日がカレンダーに増えるたびに、少しため息が出る。世の中の多くの人が「やった、3連休だ!」と浮かれているのを横目に、私は逆算してスケジュールを調整しはじめる。役所も銀行も止まり、書類のやり取りが滞る。こちらがどれだけ頑張っても「機関」が動かなければ意味がない。それでも、問い合わせは入り続けるし、祝日に合わせて相談したい人も増える。司法書士って、祝日があればあるほど仕事の回転が鈍って、精神的にすり減る職業なんじゃないかと感じるようになった。

祝日は役所も銀行も止まるけど、案件は止まらない

私たちの仕事は、法務局や銀行、市役所といった「平日しか動かない相手」と密接に関わっている。だから、彼らが止まるとこちらも手が出せない。でも、それで安心して家で休めるかというと話は別だ。登記申請の締切や決済の段取りは、祝日関係なく迫ってくる。特に連休前になると「その前に終わらせておいてください」と依頼が急増する。つまり、実質的には祝日の前日が締切の山場となり、いつも以上に忙しい。なのに、結果的に処理はストップして、もどかしさだけが残る。

電話は減るけど、心の負担は増える不思議

祝日は一見すると「静か」でいい。電話も少ないし、事務員も休みでひとりきり。でもその静けさが逆に重たく感じる日がある。連休中に連絡が来ない間も、頭の中は「次の火曜にドッと来るぞ」という不安でいっぱい。いつもより机が片付いているのに、気持ちは散らかっている。誰にも邪魔されずに仕事が進められるのに、手が動かない。周囲が楽しそうな休日ムードを醸し出しているほど、そのギャップに疲れるのかもしれない。

「先生もお休みですよね?」に返す気の利いた言葉がない

祝日前になると、よく聞かれる。「先生もお休みなんですか?」。その言葉に、なんと返していいか毎回困る。休んでないわけじゃない。けど、完全に休んでもいない。事務所には来るし、電話も出るし、調べ物もする。何なら、他士業とのやりとりで連絡が取れないことにイラッとすることさえある。だからといって「いえ、休んでません」と言ってしまうのも、なんだか余裕がないみたいで嫌だ。気の利いた返答を探し続けて十数年、今も正解が見つかっていない。

独立開業=自由じゃなかった

「独立すれば自由がある」と思っていた。でも、実際は違った。特に祝日というものは、開業してからむしろ重荷になった気がする。従業員を休ませる配慮、でも案件の納期は待ってくれない。自由どころか、気遣いの連続だ。そして何より、自分だけが「置き去りにされてる」ような感覚に襲われる。家族の団らん、恋人との旅行、そういう言葉がまぶしすぎて、PCの画面がかすんで見える日もある。

祝日も稼働日になるのが「小さな事務所」あるある

私のような小規模事務所では、祝日だからといって完全に休業というわけにはいかない。依頼人が増えるわけじゃないが、むしろ「休みで予定が空いてるから話を聞きたい」と思う方が相談に来る。大手のように担当が複数いてローテーションを組めるわけでもなく、すべて自分で対応する。たとえ一日家にいたとしても、仕事用の携帯はポケットに入っていて、頭のどこかで「何か起きてないか」と考えてしまっている。結局、心の休みは取れていない。

事務員には休んでもらいたい、でも結局ひとりで出勤

「事務員さんにはちゃんと休んでもらわないとね」。これは自分でもそう思っている。だからこそ、彼女が「ゆっくり休みます」と言ってくれるとホッとする。でも、その瞬間に決まる自分の出勤確定。もちろん嫌で雇ってるわけじゃない。むしろ感謝している。でも、結局ひとりで祝日に事務所の鍵を開けて、静まり返った部屋でメールを整理していると、「なんで自分は…」と、つぶやいてしまう日もある。

通帳記帳も登記完了も止まると、スケジュールが崩壊する

登記完了予定日が祝日や連休にかかると、本当に困る。取引先や顧客は、日付だけ見て「この日までにお願いします」と言ってくるけれど、その裏でどれだけスケジュール調整しているかは伝わらない。銀行の入金確認、郵送書類の到着タイミング、法務局の動き……全部が数日ずれただけで、他の案件に連鎖的に影響する。祝日が悪いわけじゃない。でも、せめて平日に分散してほしい、そう思うのはわがままだろうか。

愚痴の相手がいない祝日の午後

誰とも話さない祝日の午後。テレビをつけてもバラエティ、SNSを見ればお出かけ報告。そんな中、メールの返信文を打っていると、ふと「これって誰に向けてやってるんだろう」と虚しさがよぎる。愚痴をこぼす相手がいないのは、独身男性の悲しいところだ。せめてラジオでも…と思っても、流れてくるのは「家族の笑顔」「恋人との思い出」そんな話題ばかり。部屋が静かすぎることが、こんなにも精神的に響くとは思ってもみなかった。

「世の中休みだし、ついでに…」の相談が妙に増える

祝日に多いのが、「せっかく休みだからちょっとだけ相談してもいいですか?」という連絡。もちろん相談は大事だし、仕事の一環だ。でも、なんだろう、「ついで」感が強い。こちらとしては一日休もうと思っていたところに、急にそう言われると、断るのも難しいし、応じてもモヤモヤする。祝日になると、なぜか人の距離感がぐっと近づくような気がして、それが妙に疲れるのだ。

ひとりランチが空いててうれしい…でも少し寂しい

祝日はどこも混んでると思いきや、意外と駅前の定食屋は空いている。仕事中にふらっと入ってランチを食べる。いつもより静かで、料理もすぐ出てくる。これはこれで悪くない。だけど、周囲のテーブルにはカップルや家族連れがちらほらいて、その中にスーツ姿で一人いる自分が、なんとなく浮いているようで居心地が悪くなる。誰も見ていないのに、自分だけが「取り残された気分」になるのは、歳のせいだろうか。

街のにぎわいと、自分の静けさがかえって堪える

休日の街は、普段とは違う顔を見せる。イベント、子どもたちの声、雑踏のにぎわい。そんな中、ひとり事務所に戻ると、静けさがやけに身にしみる。音がないことが、こんなにも寂しいとは思わなかった。テレビをつけても、BGMのようにはならず、ただの雑音に聞こえてしまう。にぎやかな祝日ほど、自分の孤独が際立って見えるのが、不思議でもあり、切ない。

たまに出会う同業者のSNS投稿が心に刺さる

「今日は家族でBBQ」「妻と温泉旅行」「久々の完全オフ」。そんな投稿を見るたびに、自分の生活を振り返ってしまう。もちろん比べても仕方ないとはわかっている。でも、同じ司法書士なのに、なんでこんなに違うんだろうと思ってしまう。投稿を見た後、そっとアプリを閉じて、仕事用の画面に切り替える。なんとなく、頑張らなきゃという気持ちと、どうしても湧いてくる羨ましさの間で揺れる。

それでも働き続ける理由

祝日が迷惑に感じても、結局私は働いている。それは責任感なのか、習慣なのか、もう自分でもよくわからない。でも、ひとつ言えるのは、この仕事には誰かの人生の大事な場面に関わる誇りがあるということ。祝日がつらい日もある。でも、それを乗り越えて「ありがとう」と言われたときだけは、報われたような気がするのだ。

休んでも罪悪感、働いても空虚感

祝日に完全オフにすると、なんとなくソワソワする。メールが来てないか、急ぎの案件はないか、そんな不安が頭から離れない。逆に、仕事をしていても「なんで今日も働いてるんだろう」と虚しさが込み上げる。どちらを選んでも、満足感が得られない日。それでもパソコンを開き、依頼に応える自分を、自分で褒めてあげるしかない。

祝日なんかに負けてたまるか、と思ってみる

赤い日を見るたびにブルーになる。でも、そこで「よし、それでもやってやる」と思える瞬間がある。祝日が敵に見えることもあるけれど、それに負けたくないと思う自分もいる。静かな事務所で、地味な作業をコツコツ続ける。誰にも見られていなくても、ここでの努力がきっと誰かの未来につながっている。そう信じることで、また明日もがんばれる。

「誰かのために」は、やっぱり嘘じゃないと信じたい

この仕事は地味だし、感謝されないことも多い。それでも、ときどき「本当に助かりました」と言ってもらえると、すべてが報われた気になる。祝日だろうが関係なく働いているのは、結局、自分のためじゃない。「誰かのために」と言える仕事でいたい。そう思えるから、今日もまた事務所の鍵を開けて、PCを立ち上げている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。