あの案件のことをまだ引きずってる

あの案件のことをまだ引きずってる

終わったはずの仕事が、まだ頭から離れない

もう何ヶ月も前に終わったはずの案件。それなのに、寝る前やぼーっとした瞬間にふと頭の中に蘇ってくる。「あれで本当によかったのか?」「他にやれることはなかったか?」そんな問いかけが、いつまでも心の中でこだまする。司法書士の仕事は結果が書類として残るから、「終わった」ことは明確なはずなのに、気持ちは簡単に切り替えられない。完了の印鑑を押した日から、本当の苦しみが始まることだってある。過ぎたことを悔やんでも仕方がないとわかっていても、引きずってしまう。それがこの仕事の厄介なところだ。

夜中にふと蘇るあの一言

真夜中、トイレに起きた後に寝付けなくなることがある。そんな時に思い出すのは、依頼人のあの一言。「もっとちゃんと説明してほしかったです」。決して怒鳴られたわけじゃない。でもその静かな不満の言葉が、何度も何度も頭の中で再生される。あの時、もう少し時間を取って話せばよかったのか? 忙しさを言い訳にして、丁寧さを欠いていたのか? 自分では精一杯やったつもりでも、相手がそう感じなかったのなら、それは「足りなかった」ことになる。その一言の重みは、時にミス以上に心に刺さる。

依頼人の「がっかりした」の破壊力

一度、相続手続きの依頼で来られた60代の女性に、「思ったよりも事務的ですね」と言われたことがある。特に冷たくしたつもりはなかったが、彼女にとっては、人生の節目に関わる大切な場面だったのだ。形式的なやりとりに終始してしまった自分の対応を、あとから何度も思い返した。あのとき、もう少し声のトーンを柔らかくすれば…とか、お茶くらい出せば…とか。そういった小さな後悔が積み重なると、「司法書士って、何なんだろう」と自分の存在意義まで揺らいでくる。

何度もシミュレーションしてはため息

「あのときこう言っておけば」「別の手順を提案していれば」――。終わった案件について、頭の中で何度も何度もシミュレーションしてしまう。現実はもう動かせないのに、脳内では何度も巻き戻して、違う展開を試そうとする。結末が変わるわけでもないのに、ただ自分を責める材料を探しているだけかもしれない。気づけば深夜2時、布団の中で大きなため息をついている。翌朝の仕事のことを思うと、余計に自分が嫌になる。こんな悪循環から抜け出す方法があれば知りたい。

たった一件で、自信が音を立てて崩れる

司法書士の仕事は、日々の積み重ねだと思っている。だからこそ、ひとつの失敗や行き違いが、これまでの積み上げを一瞬で崩してしまうような気がしてならない。「この道でやっていけるんだろうか」と自問する夜もある。誰かに相談するのも気が引けるし、同業者には弱みを見せたくない。自信を持つことは大切だとわかっていても、その自信がどれだけ脆いかを思い知らされる出来事が、何気ない一件に潜んでいたりする。

「ミスじゃないのに」心の中の言い訳

あの案件、法的には何の問題もなかった。書類も完璧だったし、期限内に手続きも済ませた。でも、依頼人の不満げな表情が頭から離れない。「ミスはしてない」と自分に言い聞かせながらも、どこかで「でも…」と続けてしまう。そんな自己弁護と自己否定のあいだで揺れ続ける。結局、自分の中のモヤモヤが解消されない限り、案件は終わっていないのかもしれない。だから、「終わったのに引きずる」という現象が起こる。

説明責任の重さと感情のはざまで

司法書士として、説明責任を果たすのは当然のこと。でも、それをどんな言葉で、どんなトーンで伝えるかによって、受け手の感じ方はまったく変わってくる。あの案件でも、僕は必要なことをすべて説明したつもりだった。でもそれが、相手の心に届いていなかった。法律と感情の間にあるこの距離感。その橋渡しができなかった自分に、強い無力感を覚えた。制度の正しさと、人の感情がぶつかり合う場面では、正しさだけでは足りないと痛感する。

司法書士は「終わった案件」から自由になれない

他の業種なら、「終わったことは忘れよう」で済むかもしれない。でも、司法書士の仕事はそう簡単には気持ちの整理がつかない。なぜなら、僕たちが扱うのは、人の人生や財産に直結する事柄ばかりだからだ。完了の印を押しても、心の中では「本当にあれでよかったのか?」という問いがずっと消えない。だから、目の前の仕事に集中しているふりをしながら、心はまだ過去の案件をさまよっていることがある。

書類は片付いても、心は片付かない

書類棚には、すでにファイルされた完了済みの案件がぎっしりと並んでいる。それを見るたびに「終わった仕事の山」を確認しているようで、少しだけ達成感もある。でも、一つ一つのファイルに、忘れられないやりとりや、引きずっている後悔が詰まっている。物理的には完了していても、精神的にはまだ片付いていない。そんな案件が、どれだけあることか。業務の整理整頓と心の整理整頓は、まったく別物なのだ。

机の上は綺麗でも、心の中は散らかってる

事務員さんに「先生、今日机片付いてますね」と言われて、ちょっとだけ嬉しかった。でもその時、心の中では「いや、机の中より心の中の方が散らかってるよ」と思ってしまった。ファイルの順番は整っていても、感情の整理はそう簡単にはいかない。怒り、後悔、不安、孤独、やるせなさ…机の引き出しにしまえたらどんなに楽だろうかと思う。だから今日も、綺麗な机の前で、心の中の混沌と向き合っている。

「あれでよかったのか」反芻の連続

完了の連絡を入れたあと、電話を切ってから10回くらい「言い方これでよかったかな」と反省してしまう。無意識に反芻するクセが抜けない。「あれでよかったのか?」の問いに、毎回明確な答えがあるわけでもないのに、心が勝手に再審請求を始める。時には、自分が自分を罰しているような感覚にさえなる。自分で自分を許せない、というのが一番しんどい。こういう日が続くと、もう誰かに「大丈夫だよ」と言ってほしくなる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。