なにも言われない、それが一番こたえる日

なにも言われない、それが一番こたえる日

「何も言われない」ことの重たさ

司法書士という仕事は、書類や手続きといった“目に見える成果”が求められる職業です。でも、成果だけで済まないのがこの仕事の難しいところ。依頼人の表情や、発せられなかった一言。そういった“間”や“沈黙”にこそ、重たい空気が宿る日があります。特に地方の事務所となると、顔なじみの依頼人も多く、余計に“空気”で察しようとしてしまう。そんな日々のなかで、実は一番しんどいのは、叱られることでもクレームでもなく、「何も言われない」ことだったりします。

依頼人が静かになる瞬間に感じる圧

かつて、相続登記の手続きで少し時間がかかった案件がありました。正直、急ぎではないとは聞いていたのですが、期日が近づくにつれ依頼人からの連絡がなくなり、逆にそれが不安を募らせました。進捗報告をこちらから送っても、返事はなく、電話もつながらない。感情を読み取れない相手の沈黙に、こちらの心がどんどん追い詰められていくんです。

連絡が来ない=不満?の思考ループ

「何か気を悪くされたのか?」「進め方がまずかったのか?」そんな思考が、脳内でグルグルと巡るようになります。はっきり「まだですか?」と言ってくれれば対処のしようもあるのですが、何も言われないことが一番困る。下手に聞き返すのも、催促されているようでイヤな気持ちにならないかと考えすぎてしまい、結局、どっちにも進めなくなる。まるで深夜の交差点で信号がどちらにも変わらないような、あの感じに似ています。

「順調に進んでると思われてる」のか「放置されてると思われてる」のか

相手の沈黙に対し、「きっと信頼して任せてくれているんだ」と思い込もうとしたこともありました。でもその一方で、「いや、これはあきらめられてるのかも…」と考える自分もいる。信頼と失望のどちらかを“無言”という曖昧な包装紙に包んで渡されたような感覚で、そのたびに胃がキュッと縮むんです。書類を一枚めくる手が止まってしまうこともあります。

ひと言「お願いします」さえ重荷に感じる日もある

ある日届いた短いメール。「ご対応よろしくお願いします。」たったこれだけなのに、その一文に込められた期待と圧力に、肩がずっしりと重くなった気がしました。「お願い」という言葉の裏に、「ちゃんとできてるんでしょうね?」という気配を勝手に感じ取ってしまう。きっと向こうはそんなつもりはなかったのでしょうけれど、こっちは常に不安と戦っているのです。

言葉ではなく“間”がプレッシャーになる現場

面談の場でも、沈黙がもたらす圧力は想像以上です。相手が黙って考えているだけかもしれない。でも、こちらはその時間を「何かまずいことを言ってしまったのか?」と感じてしまう。とくに、最初はにこやかだった依頼人が、急に真顔になる瞬間には、心臓がヒュッと冷えるような感覚に襲われます。声がないだけで、空気の密度がぐっと重たくなるんですよね。

面談時の沈黙が心拍数を上げる

数ヶ月前、新規の依頼で面談したときのこと。こちらが手続きの説明をしている間、依頼人は何度も頷いていたのに、急に言葉が途切れて黙り込みました。その瞬間、「何かまずい説明をしたか?」「納得いってないのか?」と心拍数が跳ね上がったのを覚えています。実際はただ考え事をしていただけだったらしく、最後には満足して帰っていかれましたが、こちらは冷や汗でスーツの背中がびっしょりでした。

「早くしてね」の目線が刺さる

書類を確認している最中、横に座っている依頼人の視線が静かにこちらを見ている。言葉ではなく、その目線が「それ、あとどれくらいかかるの?」と言っている気がして、手が震えたことがあります。時計をチラッと見る仕草も、肩の動きひとつも、すべてが無言のメッセージに見えてくる。たった15分のやり取りが、1時間分の疲労をもたらすような気分になるんです。

Zoomや電話越しでも伝わる“間”の圧

コロナ禍以降、面談の多くがZoomや電話になりましたが、そこでも“間”の怖さは健在です。説明をした後、少しでも返事が遅れると「分かりにくかったか?」「怒らせたか?」と瞬時に思ってしまう。表情が見えない分、逆に想像が膨らみすぎて、自己嫌悪のスイッチが入りやすいんです。声がない空間に、自分の不安だけが響いていくような時間です。

独立してから感じた「無言の評価」

開業して10年以上が経ちますが、依頼人との関係は本当に繊細です。感謝の言葉もクレームもなく去っていく依頼人が一番怖い。特に、紹介ではなくネットから来た依頼人がリピーターにならなかったとき、「あれ、何かまずかったんだろうか」と思い出しては寝つきが悪くなります。評価は言葉で返ってこないと、いつまでも心に引っかかるんです。

リピーターにならない理由は教えてもらえない

数年前に登記をしたお客様がいました。何度かやりとりをして、無事完了。とくに問題もなく、最後には「ありがとうございました」と言って帰られました。でもその後、親族の登記は別の司法書士さんに依頼されていたのを知ったとき、内心ぐらっときました。「あのとき、何か気に入らなかったのか…?」と何度も頭の中であの会話をリプレイしました。反省しようにも、手がかりがないのが一番つらいんです。

声にならない不満が一番こわい

はっきり不満を言ってくれる人のほうが、こちらとしてはありがたい。改善の余地があるし、納得してもらえる道を探せます。でも、「あ、そうなんですね」と静かに終わるタイプの方が本当の意味でこわいんです。心の中に渦巻くモヤモヤが、こちらに何も伝えられないまま終わってしまう。だからこそ、こちらは常に「何か不快にさせていないか?」と気を張り詰めてしまうんです。

フィードバックがない=合格点じゃないかもしれない

無事に登記が完了し、書類を返却しても、何の感想もない依頼人。「ありがとうございました」だけで終わると、「あれでよかったんだろうか」と考え込んでしまいます。こちらとしては一つひとつ丁寧にやったつもりでも、それが相手に伝わっていなかったら意味がない。だから、静かに完了するほど、「まだ試されてるんじゃないか?」という疑心暗鬼になってしまうのです。

「ちゃんとしてますよね?」の確認も来ない怖さ

普通なら進捗確認の問い合わせが来てもおかしくない案件で、何の連絡も来ないと、かえって怖くなります。「あの人、もう見限ったのかも」「問い合わせる気力も失ってるのかも」とネガティブな妄想が止まりません。司法書士という仕事は、信頼の上に成り立つはずなのに、その信頼が静かに崩れているような気がして、夜中にため息が漏れます。

安心させてあげるのがこちらの仕事なのに

本来、司法書士は依頼人を安心させるための存在です。なのに、こちらがプレッシャーを感じすぎて余裕を失っていると、それが逆に相手に伝わってしまう悪循環になります。安心させようとすればするほど、言葉が空回りするような場面も増えました。だからこそ、まずは自分の心の余裕を保つことが、仕事の質にもつながるのかもしれません。

プレッシャーとの付き合い方を見直してみる

“無言の圧”とどう付き合っていくか。これは技術や経験とは別の、精神面での課題です。気にしすぎるのはよくない。でも、全く気にしないとそれはそれで信頼を損なう。ちょうどいい“受け止め方”を探して、今日も机に向かっています。40代も半ばを過ぎて、自分の心との向き合い方にも変化が必要だなと感じる今日このごろです。

期待されていることの裏返し…と無理やり思ってみる

「無言」はもしかすると、信頼の証なのかもしれない。そう思い込むことで、少し心を軽くできる日もあります。依頼人が「ちゃんとやってくれるだろう」と信じてくれているからこそ、いちいち口を出さないのかもしれない。そう思えるようになっただけでも、昔よりは成長した…と思いたいところです。

「何も言わない=信頼」…そうだったらいいな

実際、こちらから「何か気になる点はありますか?」と尋ねると、「特にないです。先生にお任せします」と言ってくださる方もいます。そういうときは、心からホッとします。「無言」が不安の証じゃなく、信頼のサインである可能性をちゃんと受け止められるようになれば、少しはラクになれるんじゃないかと思うのです。

でも実際は“怒ってる人ほど黙る”って知ってる

ただし現実には、「怒ってる人ほど黙る」ということもある。これはもう、経験上よく知っています。だから、楽観的に構えすぎることもできない。だからこそ、こっちはバランスを取るしかない。信じたい気持ちと疑う気持ちの間で、今日もまた静かに悩んでいる。それが、司法書士という仕事のしんどさのひとつなんじゃないかと思います。

自分を追い込みすぎない工夫も必要

無言のプレッシャーに押し潰されそうなとき、自分を責めないための工夫も必要です。定期的に進捗を送る。短くても報告する。相手の反応に期待しすぎず、自分のやるべきことを丁寧にやる。それだけでも、心の負担は少し減ります。結局、最後まで仕事をやりきることが、自分を救う道なんだと思います。

メモ、進捗報告、ひと言だけのLINEでも効果あり

「登記の進捗、順調です」とたった一文でもLINEで送るだけで、依頼人の安心感は違います。そして、返信がなくても気にしすぎないこと。無反応でも伝わっていると信じる。それが、自分を守る術です。こっちが崩れたら、仕事は回らない。だからこそ、日々の小さな工夫が、明日の自分を少しだけラクにしてくれるのです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。