孤独って、仕事があるからこそ余計に沁みる

孤独って、仕事があるからこそ余計に沁みる

仕事が忙しいのに、ふと感じる「ぽっかり感」

毎日やることは山積みで、気がつけば夕方になっている。依頼の電話、申請書類のチェック、登記情報の確認、事務員とのやりとり。やることは次から次へとあって、暇なんてない。それなのに、不思議と胸のあたりにぽっかりと穴が空いたような感覚になるときがある。仕事に追われることで、逆に自分の孤独に蓋をしてきたのかもしれない。でも、その蓋は時々勝手に開く。帰り道の暗さや、コンビニ弁当を一人で食べるとき、そんな瞬間に「孤独って、仕事があるからこそ沁みるんだな」と痛感する。

依頼が絶えない毎日、それでも心は満たされない

登記の依頼は多く、紹介も少しずつ増えてきた。忙しいのはありがたい。地方でもちゃんと食べていける仕事をしている、それは誇れることだと思う。でも、依頼が終わった瞬間に感じるのは達成感じゃなくて、空虚感だったりする。事務所には感謝の言葉や書類の山は残るけど、それらは決して心を満たしてくれるものではない。どれだけ案件をこなしても、何かが足りない。最近は、その「何か」が人とのつながりなのかもしれないと気づき始めている。

達成感と虚無感の狭間で

登記が無事に終わったときのあの「終わったな…」という感覚。それは達成感というよりも「やっと終わった」という安堵に近い。誰かに褒められるわけでもなく、労われることもない。それが仕事だから当然なんだけど、それでも誰かに「お疲れさま」って言ってもらいたくなる夜もある。ひとりで完結する仕事だからこそ、完了の瞬間にこみ上げるのは充実感じゃなくて、ぽつんとした寂しさだ。虚無感に慣れすぎると、それが日常になってしまうのが怖い。

他人の問題に没頭するほど、自分が遠のく

依頼者のために奔走する日々。時には家庭の問題、時には相続で揉める兄弟の仲裁。こちらはただの書類仕事ではなく、まるで感情の渦に巻き込まれているような場面もある。人の人生に関わることはやりがいでもあるけれど、他人の問題に深く入り込めば入り込むほど、自分のことは後回しになる。帰宅後、ふと「自分は何のためにこんなに頑張ってるんだっけ?」と考えてしまう瞬間がある。依頼者の人生の一部に関わっても、自分の人生は置き去りのままなのだ。

仕事があるから寂しくない?本当にそうか

よく「忙しければ寂しくない」と言われる。確かに、暇よりはマシだと思う。でもそれは、孤独を感じる暇がないだけで、孤独が消えているわけじゃない。むしろ、忙しさが去った瞬間、何倍にもなって返ってくるような感覚がある。誰かと過ごす時間が日常にある人なら、ちょっとした愚痴や小さな喜びを共有できる。でも独身で一人暮らしの私は、パソコンに向かって黙々と作業する時間が長くなるほど、「誰にも必要とされていないんじゃないか」と思ってしまうことがある。

電話もメールも来るけれど

一日中スマホが鳴っている。LINE、メール、通話、Slack…「連絡が多い=孤独じゃない」って思われがちだけど、全然そんなことない。連絡は全部「仕事」であって、「会話」じゃない。誰かと笑いながら昼飯を食べるでもなく、週末の予定を話すわけでもない。声は聞こえるけど、心は通ってない。それが積み重なると、心の温度がどんどん下がっていくのが分かる。忙しいけど、ずっと一人で冷えた部屋にいるような感覚になる。

会話があっても「交流」がない

事務員とは仕事の話をする。依頼者とは登記や相続の話をする。行政書士や税理士と電話で情報交換もする。でも、それは全部「業務上必要な会話」でしかない。天気の話をしても、そこに感情はないし、深く踏み込むこともない。人と話していても、「独り言の延長」に感じる瞬間がある。人とのつながりが薄いというのは、話す量じゃなくて、心が通ってるかどうかなんだと思う。毎日誰かと話しているのに、孤独を感じるのはそのせいだ。

土日が一番つらい、という事実

平日は忙しさに紛れてごまかせる。でも、土日になると一気にそれが押し寄せてくる。まるで音のない空間に閉じ込められたみたいに、自分と向き合わされる。テレビをつけても面白く感じないし、スーパーで買い物しても誰とも目を合わせないまま帰る。ふと「自分、今日ひとことも声出してないな」と気づくと、寒気がする。仕事があるから孤独じゃないと思っていたのに、仕事がないことでむしろ孤独が露わになる。これが独身司法書士の現実なんだと痛感する。

休みが「休み」にならない独身司法書士の現実

休みの日にはゆっくりしようと思う。けれども、結局は仕事のことが頭から離れない。気がつけば登記情報をチェックしていたり、依頼者の資料を読み返したりしている。別に誰に強制されているわけでもないのに、仕事以外にやることが見つからない。休みの日こそ、本当の意味で「孤独」と向き合わされる。そして、その静けさが心に沁みる。テレビのバラエティ番組の笑い声が、自分の部屋に空しく響いているとき、何のために仕事してるんだろうと考えてしまう。

誰とも話さないまま日が暮れる

一日中、スマホも鳴らず、玄関のチャイムも鳴らない。出かけてもレジで「ポイントカードお持ちですか?」と言われるくらい。そんな日が当たり前になると、心がどこか麻痺してくる。夕方、ふとベランダから空を見て、「今日は何してたっけ」と自分に問いかける。答えはない。ただ時間が過ぎただけ。誰とも話さない日が続くと、自分が世界から切り離されたような感覚に陥る。そして「このままでいいのか?」という問いだけが、心に残る。

趣味があっても満たされない理由

一応、読書や映画は好きで、休みに観たり読んだりする。でも、どれも「時間を埋めるため」の行動になっていることに気づく。映画が終わった後、深いため息が出る。「面白かったな」じゃなくて、「ああ、今日も終わっちゃったな」と思う。趣味は孤独を一時的に忘れさせてくれるけれど、根本的な孤独を癒やしてくれるわけじゃない。人と何かを共有することが、こんなにも人間にとって大切なものだったんだと、独り身で改めて思い知らされる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。