静かな祝福、ロウソクと書類に囲まれて
誕生日というのは、本来誰かに祝ってもらってこそ意味があるものなのかもしれない。でも今年の僕は、事務所の蛍光灯の下、ひとりショートケーキのロウソクを見つめていた。笑ってしまうくらい、静かな祝福だった。ロウソクの灯りが、手元の登記申請書を照らす。書類とケーキの組み合わせは、なんとも不釣り合いで、なんともリアルだった。
気づけば今日も一人だった
いつの間にか、誰かと一緒に過ごす時間が希少になっていた。朝からひっきりなしに電話が鳴り、登記の修正に追われ、気づけば夕方。カレンダーを見て「あ、誕生日だったっけ」とつぶやいた。祝ってくれる人がいないという寂しさよりも、誕生日すら仕事に飲み込まれている現実が、じわりと心に染みた。
おめでとうと言ってくれる人は…いない
LINEは静まり返り、Facebookも非表示にして久しい。事務員さんも気づかなかったようで、定時きっかりに「お先に失礼します」と帰っていった。責める気持ちはない。彼女にとって、僕の誕生日なんて関係のない日だ。そう思えば思うほど、自分の存在の小ささに気づかされる。
事務員さんは定時で帰りました
「今日は誕生日だから、ちょっと飲みに行こうか」なんて言える関係ではない。仕事はしっかりやってくれるし、僕もそれで満足していたつもりだった。でも、この日はちょっとだけ、もう少し人間らしいつながりがあってもよかったのかもしれない。そんな感情が、ふと心をよぎった。
ケーキを買う自分がちょっと切なかった
帰り道のコンビニで、冷蔵ケースの中にあった苺のショートケーキを手に取った。誰かのためにじゃない、自分のためのケーキ。レジで「スプーンはおひとつでよろしいですか?」と聞かれ、「はい」と答える自分が、どこか虚しかった。
司法書士という仕事は、祝日も誕生日も無関係
この職業に就いてから、季節の行事や記念日というものに鈍感になった気がする。祝日も関係なく、お客さんのスケジュールに合わせて動く日々。誕生日も、ただの一業務日として淡々と過ぎていく。忙しいことは悪くない、むしろありがたい。でも、何か大切なものを置き去りにしている気がしてならない。
納期の迫る登記、タイミング悪い電話
誕生日当日、午前中に届いた一通の補正通知。内容を確認し、役所に電話し、クライアントに謝罪し、修正作業に取りかかる。昼ご飯は食べ損ね、ようやく一段落ついたのが17時過ぎ。その間、誰かに「おめでとう」と言われることもなく、ただただ仕事に追われていた。
「今日、誕生日なんです」なんて言えない
そんな日に限って、「ちょっと急ぎなんですけど…」という問い合わせが重なる。でもこちらが「今日は誕生日なんで」とは口が裂けても言えない。言ったところで、仕事は待ってくれない。だからこそ、誰にも気づかれず、黙ってケーキを食べるしかなかった。
ケーキを前に、クライアントに謝っている自分
机の上のケーキを前に、スマホで通話をしながら「本当に申し訳ございません」と頭を下げる自分がいた。なんとも滑稽で、なんとも現実的。ケーキの生クリームは少し溶けかけていて、どこか自分の気持ちと重なって見えた。
ケーキの甘さと、胸に残るしょっぱさ
一人きりのケーキは甘い。でも、心の中はちょっとだけしょっぱかった。思えばこの10年、自分の誕生日に誰かと一緒に過ごした記憶はほとんどない。忙しさを理由に、関係を築く努力を怠ってきたツケなのかもしれない。
コンビニで見つけた苺のショートケーキ
華やかでもない、特別でもない。でも、その小さなケーキが、少しだけ僕を救ってくれた気がした。たった一つのロウソクを立てて、火はつけずに、ただじっと見つめていた。無言のまま、ほんの数分だけ、仕事のことを忘れられた瞬間だった。
ロウソクを立てたけれど、火はつけなかった
火をつけて、願いごとをする勇気がなかった。願ったところで、何も変わらないと思っていた。けれど、翌朝、机の上にあったケーキの箱を見て、少しだけ笑った。「ま、今年もなんとか生き延びたな」と。
でも、誕生日を忘れずにいた自分に救われた
誰にも気づかれなかったけど、自分だけは忘れなかった。自分の人生の節目を、自分で認識することの大切さを、少しだけ思い出した。誰かに祝ってもらうことも、もちろん嬉しいけれど、自分で自分をねぎらうことだって、悪くない。
誰かの誕生日を祝う余裕は、果たしてあるのか
日々の忙しさにかまけて、僕自身も誰かの大切な日を見落としていたかもしれない。祝われない寂しさを知って、初めて「祝う側」の意味がわかった気がした。来年の自分の誕生日までに、誰かの心をあたためられるような人間でいたい。
来年も一人かもしれないけれど
それでも、ケーキを買って、ロウソクを立てようと思う。仕事に追われ、誰にも気づかれず、また一人きりかもしれない。でも、自分を祝える自分でいたいと思った。それが、司法書士としても、一人の人間としても、必要なことのような気がしている。
それでもロウソクは立ててみる
誰かと分け合うケーキも素敵だけど、一人で味わうケーキも悪くない。ロウソクの灯りは一瞬でも、そこに込めた思いは、きっと来年に続いていく。そんなささやかな希望を抱きながら、僕は今日もまた、登記簿の山に向かう。