ひとりランチの味は、今日も心にしみる

ひとりランチの味は、今日も心にしみる

ひとりランチの味は、今日も心にしみる

ランチタイムが好きじゃない司法書士です

世間では「お昼休みはほっと一息」と言うけれど、私にとってランチタイムは少し憂うつな時間です。誰かと一緒に食べるわけでもなく、会話に花が咲くわけでもなく、ただ腹を満たすだけの作業。そんなふうに感じる日が、最近ますます増えています。事務員さんは一人いるけれど、お互いに距離感を大事にしているというか、必要以上に干渉しない関係なので、一緒にご飯を食べることもない。近所の定食屋に入って、隅の席に座って、スマホを眺めながら定食をかきこむ。誰に咎められるでもないのに、なぜか少し申し訳ないような気持ちになるのが、また面倒なんですよね。

一人の席に広がる静けさ

カウンター席に座ると、向かいには誰もいない。左右にも人はいるけれど、誰も話しかけてこないし、もちろん自分から話しかけることもない。たまに隣の席から漏れ聞こえる笑い声に、妙に敏感になってしまう。楽しそうに話すサラリーマンのグループを見ながら、「ああ、自分にはこんな昼休みは当分ないだろうな」と、ひっそり思う。決して誰かといたいわけじゃないのに、誰かといたかった気持ちが急に押し寄せてくる。静けさって、時に心を刺すんですね。

にぎやかな店内に混じる孤独感

特に土木系や営業の人たちが多い定食屋では、12時を過ぎると一気ににぎやかになります。笑い声、電話の音、注文を飛ばす店員の声。でも、そんな活気の中でぽつんと食べていると、自分だけ周波数が違うような感覚になるんです。こっちはただ食べるだけの時間、あっちはコミュニケーションの時間。壁一枚の違いなのに、埋められない距離を感じるのが不思議です。まるで透明人間になったみたいな気分。

スマホを眺めても心は埋まらない

孤独を紛らわせようとスマホを開いても、SNSは仕事の愚痴や自慢話ばかり。テレビを見ても食欲をそそるだけで、結局は今目の前の「一人」が際立ってしまう。YouTubeで無理に笑える動画を探しても、気がつけば手は止まっていて、ただ画面をぼーっと眺めているだけ。スマホがあっても、孤独が消えるわけじゃない。ただ、それを少し和らげる役には立つけれど、根本的には変わらないんですよね。

「今日はコンビニでいいか」…自分に言い聞かせる日々

忙しさにかまけて「今日のランチはコンビニでいいか」と済ませることも多いです。むしろ、それが一番気楽かもしれない。人の目も気にしなくて済むし、食べ終わったらすぐ事務所に戻って仕事に集中できる。でも、それって「楽しむ」という感覚とはまったく違って、ただ時間と空腹をやり過ごす手段に過ぎない。毎日がそんな繰り返しだと、ちょっと心が乾いていく気がします。

誰かと食べるって、贅沢なのか?

司法書士という仕事は、意外と「人と深く関わらない」ことが多いです。相談を受けても、その場限りだったり、事務的な会話で終わったり。だからこそ、ランチの時間に誰かと普通の話をするだけでも、心のバランスが取れそうな気がします。でも、その「普通」が贅沢なんですよね。たった30分の食事時間に、何を贅沢言ってるんだと自分でツッコミつつ、やっぱり人と食べたいと思うこともあるんです。

仕事仲間との「昼飯文化」がない日常

都会の事務所だと、同業者や取引先とランチを取る文化もあるようですが、田舎の司法書士はそういうネットワークが極端に少ない。ましてや一人でやってると、誰かと行く機会なんてめったにない。たまに税理士さんとばったり会って、挨拶だけして別々に食べる、みたいな間の悪いシーンもあります。仕事仲間と「昼飯文化」がある人がうらやましくなる瞬間ですね。

事務員さんとの距離感の正解がわからない

雇っている事務員さんとは、悪くない関係です。でも、ランチに誘うような間柄かというと、微妙。こちらも気を遣うし、相手も遠慮する。年齢も違うし、性別も違うし、なんとなく「お互い一人で食べましょう」という空気が自然に流れています。でもその結果、やっぱり自分は今日も一人で食べるわけです。仲が悪いわけじゃないのに、なんだかそれがさみしく感じる瞬間ってありますよね。

午後の眠気より重たいのは、満たされない気持ち

食後の眠気はよくあるけれど、それよりも気になるのは「このままでいいのか」という満たされなさ。別に、毎日が不幸というわけではない。でも、何かが足りない。仕事はちゃんとやってるし、収入だってゼロじゃない。それでも、「ひとりで食べるランチの味気なさ」が日常に刺さると、なぜだか人生全体が虚しく見えてしまうんです。

美味しさだけじゃ解消できない感情

たとえば少し贅沢して1,500円のランチを食べても、孤独感は変わらない。むしろ「この値段を出してまで一人で食べてる自分って…」と、余計にへこむことすらある。食事って、味や栄養以上に「誰と食べるか」が影響するんですよね。おにぎり1個でも笑って話せる相手となら、ずっと幸せな時間になるのに、今の自分にはそれがない。たまにそれが、無性に寂しくなるんです。

「一人でいるのが楽」ではなく「慣れただけ」

一人が好き、と言い聞かせてきたけど、それって本当に好きなのか、ただ慣れただけなのか、自分でもわからなくなるときがあります。一人は気楽だし、気を遣わなくていい。でも「気を遣わなくていい」という理由で一人を選んでいるなら、それは少し寂しい選択なのかもしれません。気楽さの裏には、誰かと深く関わる勇気を失っている自分がいるのかもしれませんね。

ひとりランチの虚しさを埋めるのは、たぶん人とのつながり

結局のところ、ランチの時間に感じる虚しさは「人とのつながりの希薄さ」なのだと思います。食事って、ただの栄養補給じゃなくて、心を整える時間でもあるはず。その時間を分かち合う相手がいないと、どんなに美味しくても何かが足りなく感じる。忙しい日々の中でも、誰かと少し話す時間があるだけで、気持ちがふっと軽くなるんですよね。

「司法書士って孤独な職業ですね」と言われて

以前、研修会で知り合った若い司法書士志望の方に、「司法書士って孤独な職業ですね」と言われたことがあります。そのときは笑ってごまかしたけど、後でじわじわ響いてきました。たしかに、誰かと一緒に動く仕事でもないし、日々の判断や責任はすべて自分にかかってくる。孤独じゃないはずがない。だけど、だからこそ、その孤独をどう受け止めるかが大事なんだと思います。

誰かと語る場がほしいけれど、どこにもない

地域の士業ネットワークもないし、相談できる同業者も少ない。SNSに愚痴を書くのも違うし、気軽に本音で語れる場所って、本当にないんですよね。そういう場があればいいのにとずっと思ってきたけれど、自分から作る勇気も出ない。せめて、この記事が誰かの心に寄り添えたら、そんな思いで書いています。

せめてこのコラムが、誰かの居場所になれば

一人でランチを食べている人、一人で事務所を回している人、そして一人で悩みを抱えている人。そんな人たちにとって、このコラムが少しでも「自分だけじゃない」と感じてもらえる場所になったら嬉しいです。司法書士という仕事は孤独かもしれない。でも、その孤独を分かち合える場所があるなら、少しは救われる気がします。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。