一人の昼食がデフォルトになっていた

一人の昼食がデフォルトになっていた

気づけば、いつも一人で昼を食べている

昼休みになると、気がつけば誰にも声をかけず、静かに玄関を出るのが当たり前になっていた。かつては誰かと一緒に食べることもあったのに、最近はそれが面倒になり、誰かと食べるという選択肢自体が頭に浮かばなくなっている。自分が望んだ孤独なのか、それとも慣れてしまっただけなのか、答えは出ない。ただ、ふと立ち止まって考えると、こんなにも一人が日常になってしまったことに、少しだけ寂しさを感じる。

最初はたまたまだった「一人ランチ」

一人での昼食が習慣になったのは、忙しさと気遣いからだった。事務員に「今日は自分で外に行くから」と言ったのが最初で、それが2回、3回と続いた。もともと外で食べるのが好きだったし、仕事の切れ目なく電話がかかってくる状況では、気楽に一人で出るほうが効率が良かった。けれど、気づけば「たまたま」が「いつも」になっていた。

事務所の近くにある定食屋で過ごす時間

歩いて3分の場所にある小さな定食屋が、今の昼食スポット。メニューも値段も変わらず、店員さんも顔なじみにはなっているけれど、言葉を交わすことはない。テレビの音と、他の客の箸の音だけが響く空間で、黙々とご飯をかきこむ時間が続く。悪くはない。けれど、これが「癒し」かと言われると、そうではない気もしてくる。

同じ席、同じメニュー、同じ顔ぶれのない日常

定位置になった壁際の席に腰をおろし、決まったメニューを注文する。日替わり定食の札を一瞥し、無難な焼き魚定食を選ぶ。周囲の客は毎回入れ替わるため、気まずさもなければ、会話もない。なんとも言えない「無」の時間。それが安心なのか、それとも心が麻痺しているのか、自分でもよく分からないのだ。

誰かと食べる機会の減少とその理由

誰かと食べる、ということが減ってしまったのは、自分の内面の問題だけではない。仕事柄、常に「相談される側」であり、人のペースに合わせ続ける日々が続くと、昼くらいは気を張らずに過ごしたくなる。会話の中に気を遣う余裕がなくなり、いつのまにか自分で自分に「一人の方が楽」と言い聞かせていた。

事務員との距離感と昼休憩のすれ違い

事務員とは仲が悪いわけではないが、年齢差や役割の違いから、気軽に誘って昼に行くほどの距離感ではない。そもそも、仕事のペースがずれていて、こっちが昼に出ようとしたタイミングで彼女は電話中だったり、外出していたり。何度かタイミングを逃すうちに、自然と「別々でいいか」という空気が定着してしまった。

お客様との距離感を保つという名の孤独

顧客対応の仕事では、心を開きすぎると誤解を生むこともある。食事の場に誘われたこともあるが、トラブル回避のため断ってきた。信頼関係を築くことと、プライベートな距離感を守ることの両立は難しく、結果的に「昼は一人で」と決めてしまう。それが、どこか孤独に繋がっていたとしても。

一人の昼食が心に与える影響

一人で昼を食べる時間は、確かに気楽ではある。しかしその裏に、誰かと気軽に話す機会の喪失や、自分の状態に気づく「きっかけ」が失われていることに、ある日ふと気づく。心の沈殿物のようなものが、静かに溜まっていく感じ。何も考えずにいたはずの時間が、実は自分を蝕んでいる可能性もあるのだ。

孤独のスパイラルに気づかぬふり

一人の昼食が当たり前になると、誰かを誘う勇気すら薄れていく。何かと理由をつけて誘わないまま、「まあ、今日も一人で」と納得したふりをしている自分がいる。そのうち、「誘ってもらえない自分」が当たり前になり、「誰も誘わない自分」が完成する。気づけば孤独に慣れ、孤独を強化してしまっているのだ。

「気楽さ」の裏にある、言葉のない時間

誰かと話す時間は、ただの雑談でも意外に心を整えてくれる。しかし一人の昼食では、言葉が存在しない。スマホを見るふり、考え事をするふりをしていても、実際は空っぽな時間が流れていくだけ。その空白に気づいてしまったとき、急に胸が重くなる。言葉がないことが、こんなにもしんどいとは。

誰とも話さないまま午後を迎える違和感

昼食を一人で食べた日は、午後の仕事に妙な空気を感じる。自分のテンションだけが低空飛行で、周囲と波長が合わない。電話対応でさえ、うまく声が出ない時がある。「なんだか今日は言葉が出てこないな」と思って振り返ると、午前中から誰とも会話をしていないことに気づく。そんな日は、特に長く感じるのだ。

共感や対話が遠ざかる日々

対話がない日々は、どこかで自分自身を削っているような気がする。誰かの悩みに答えてばかりで、自分の話をする場がないと、次第に「感情」が鈍っていく。そうなると、悩みにも以前ほど共感できなくなってくる。司法書士という仕事の根幹が揺らぐような感覚すら覚えることがある。

相談される側であり続ける重圧

「相談される」というのは、信頼の証でもあるけれど、実は重たい役割でもある。誰かの気持ちに寄り添いながら、解決策を提示しなければならない。だけど、自分の心が疲れていたら、それすらもうまくできない。昼に誰かと話すだけでも、そのバランスが少しだけ整うことに、最近になってようやく気づいた。

「自分の話」をする場がない苦しさ

仕事では「聞く」側に徹しているからこそ、たまには自分の思いを口に出したくなる。でも、その場がない。友人に会う機会も減り、家に帰っても話す相手はいない。「最近どう?」と聞いてくれる存在のありがたさに気づいたのは、それが日常から消えたからだった。昼の何気ない会話が、心の命綱だったのだ。

それでも、ほんの少しの希望を持ちたい

完全に孤独を打破することは難しいかもしれない。だけど、ほんの小さな変化から始めてみようと思うようになった。一人で過ごすことを否定するのではなく、「選択肢」を取り戻すこと。少しだけでいい、誰かと話す、誰かと笑う、そんな時間があってもいいのではないかと思えてきた。

昼食という習慣を見直すタイミング

毎日の昼食は、何となく過ごしてしまいやすい時間だ。でも、そこにこそ自分の「心の調子」が現れているのかもしれない。毎日は無理でも、週に一度、月に一度でも、「誰かと一緒に食べる日」を作ってみる。それだけで、ほんの少し自分の世界が広がる気がするのだ。

月に一度だけ誰かと食べてみる挑戦

ハードルを下げて、「月に一度、誰かと昼を食べる」と決めてみた。仕事仲間でも、古い知人でもいい。最初の一歩は勇気がいるけれど、「一人が当たり前」という思考から抜け出すための、小さな実験。たったそれだけで、午後の気分が少し明るくなるのなら、やってみる価値はあると思った。

「一人」を選ぶのと「一人しかいない」は違う

自分で「今日は一人で食べよう」と選んだ日と、「誰もいないから一人で食べるしかない」という日では、心のありようがまるで違う。前者には余裕があるが、後者にはどこか虚しさが残る。選べる状態にあること、それ自体が豊かさだと思う。だからこそ、誰かと食べる選択肢も、大事にしていきたい。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。