メールの返事が怖くて、今日も一通も送れなかった

メールの返事が怖くて、今日も一通も送れなかった

メールひとつに、こんなにも心が削られるなんて

たかがメール、されどメール。毎日たくさんのメールが届く。依頼者から、関係士業から、役所から。そして、それに対して返事をしなければならない。でもなぜだろう、心のどこかが「怖い」と叫んでいる。何かまずいことを書いてしまったら、言い方がきついと思われたら、返事が遅いと怒られたら。そんな思いがぐるぐる回って、つい未読のままにしてしまう。事務員さんに「このメールどうしますか?」と聞かれた時の、あの罪悪感と自責の念。自分でも情けないと思うけれど、それでも返事が怖くて、動けない。

返信しなきゃ、とは思っている

頭ではわかっている。「このまま放っておくと相手に失礼だ」とか、「早く返した方がいいに決まってる」とか、そんな理屈は誰よりも理解しているつもりだ。でも、なぜかその「返す」という行動ができないのだ。まるで電源が切れたロボットのように、画面を見たままフリーズしてしまう。クライアントにとっては単なる業務連絡かもしれないが、こちらにとっては心をすり減らす大仕事だったりする。そんな日々が積み重なって、いつのまにか「メール恐怖症」とも言えるような状態になってしまった。

なのに、指が止まる

文章を打ち始めては、消して、また打って、また消す。「よろしくお願いいたします。」の一言でさえ、「この言い回しは丁寧すぎる?フランクすぎる?」と悩む始末。昔はもっと気軽に書けていたはずなのに、今はもう違う。ちょっとした言葉の端々で、相手の感情を逆なでしてしまった経験が、何度かある。それが心のどこかに刺さったまま抜けない。だから、打ちかけの返信文が溜まっていく。「草稿ばかりで送信できない」という状況に、今日もため息をついてしまう。

未読スルーではない、ただ怖いだけ

世の中では、既読スルーや未読無視が冷たい対応として語られることが多い。でも、違うんだ。ただ怖いだけなんだ。返事をすることで怒られるかもしれないという恐怖、相手を失望させるかもしれないという不安、そして自分のダメさが浮き彫りになることへの嫌悪。それらがないまぜになって、手を止めさせる。これは怠惰でも無責任でもなく、ある種の防衛本能に近い。だけど、それがわかっていても、やっぱり苦しいし、責められると心が折れる。伝わらない辛さに、また一歩心を閉ざしてしまう。

どんな返し方をしても怒られそうな気がする

以前、ある依頼者にメールで事実を丁寧に伝えたところ、「もっと早く言ってくれなきゃ困る」と怒られたことがある。別のときは、「そんな言い方されると不安になる」と言われた。何をどう伝えても、誰かを不快にさせてしまう気がする。まるで地雷原を歩いているような気分で、慎重に言葉を選ぶ。けれど、慎重になりすぎると今度は「遅い」と言われる。どうすればいいのか、答えが見つからないまま、また一通の返信が遅れていく。何通もの草案を下書きフォルダに残して。

過去の経験がフラッシュバックする

小さなミスが大きなクレームに発展したことがある。誤解を生んだ一文で、信頼関係が崩れたこともあった。その度に自分を責め、眠れない夜を過ごした。そういう過去の経験は、ふとした瞬間に脳内で再生される。メールを開こうとしただけで、心拍数が上がることもある。たかがメール、されどメール。そんな些細なトラウマが、今の自分の行動を支配している。「そんなことで?」と言われるかもしれないが、本人にとっては深刻だ。心に根を張った恐怖は、なかなか抜けない。

司法書士という職業とメールの圧

司法書士という仕事は、正確性と信頼性が命だ。それはわかっているし、それが嫌でこの仕事を選んだわけでもない。でも「法律を扱う職業なんだから、ミスは許されない」といった周囲の期待が、自分の中でプレッシャーになっているのも事実だ。メールひとつ取っても、「間違った表現をしてはいけない」「曖昧な言い回しは避けなければならない」と気を張り続ける毎日。その緊張が積もり積もって、結果として「メールの返事が怖い」になってしまったのかもしれない。

「法律家なんだから、きっちり対応して当然」?

依頼者や関係者からの期待は、時に重たく感じる。「プロなんだから当然でしょ?」という無言の圧がある。ミスのない文面、迅速な返信、的確な判断。それを全部一人でこなすのが当然かのような空気。だが、こちらも人間だ。体調が悪い日もあれば、気分が落ち込んでいる日もある。そういう時にまで完璧を求められるのは、正直つらい。自分の感情を押し殺して業務をこなしているうちに、いつしか「メールに返事すること」そのものが苦痛になっていた。

人間だってこと、忘れられてませんか

依頼者も、取引先も、みんな忙しいしストレスもあるのだろう。だけど、「司法書士は人間である」ということが、時々忘れられている気がする。「返事が遅い=不誠実」「すぐ対応できない=無能」そんな短絡的な評価が下されるたび、自分の存在価値に疑問を感じる。責任ある仕事をしているからこそ、気持ちに余裕を持って働きたい。でも現実は、心がすり減るばかりだ。メール一通で傷ついているなんて、情けないと思われるかもしれないけれど、正直な気持ちなのだ。

事務員ひとり、あとは全部自分

うちは地方の小さな事務所。事務員さんが一人、あとは全部自分でやる。電話も、郵便も、登記申請も、そしてもちろんメールも。たった一通のメールに30分以上かけることもあるが、それが積もると業務は滞るし、予定はどんどん後ろ倒しになる。誰かに頼れればいいけれど、結局は「自分でやるしかない」の繰り返し。気がつけば、返信が必要なメールが山のように積もっていて、どれから手をつければいいのかわからなくなる。そうして、今日も返信できないメールが増えていく。

メール対応すら「自分がボトルネック」

返事を遅らせてしまうと、全体の進行が止まってしまう。しかも、それがわかっていながら返せない。自分が「全体の足を引っ張っている」という自覚があるからこそ、ますますプレッシャーになる。「あの件、どうなりましたか?」という催促メールにすらビクつくようになる。いつしか、メール対応が業務の中で最もストレスの大きいものになっていた。返信という行為ひとつに、これだけ心を削られているのに、それを誰にも打ち明けられず、ただひとりで抱え込んでしまう。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。