鏡の中に映るのは誰だ?
今朝、洗面台の前でふと足が止まった。目の前にあるのは、くたびれた顔をした中年男性。それが自分だと理解するのに、少しだけ時間がかかった。髪は乱れ、目元はどんより、頬はどこか緩んでいる。ああ、これは疲れ果てた「先生」だ。自分で自分の姿を直視できないというのは、思っているより堪える。誰かに責められたわけでもない。ただ、自分自身にがっかりしただけ。それだけなのに、こんなにも気力が削られていく。
疲れた顔と向き合う朝の儀式
司法書士としての仕事は、地味で目立たない。それなのに責任は重く、プレッシャーだけは一丁前だ。夜遅くまで書類と格闘し、翌朝、鏡の前でその代償をまざまざと見せつけられる。ある日なんて、目の下のクマがあまりに濃くて、思わず「お前、誰だよ」と独り言が出た。毎朝のルーティンになっている「鏡チェック」は、もはや自虐タイムに近い。どこまで老けたか、どこまで疲れが出たか。その確認作業だ。
気づかぬうちに刻まれていたクマとシワ
20代のころは、徹夜しても次の日には普通に戻っていた。今は違う。ひと晩無理をしただけで、顔に疲れがしっかりと刻まれる。目の下のクマは、コンシーラーで隠せるレベルじゃない。シワも深くなってきた。「年相応ですよ」なんて言葉が慰めにならないほど、鏡の中の自分は変わっていた。だけど、生活を変える余裕もない。仕事に追われる毎日。知らぬ間に、老いと疲れを積み上げていた。
「最近老けたね」と言われた一言の破壊力
ある登記の打ち合わせのとき、依頼者に「先生、最近ちょっと老けました?」と笑われたことがある。もちろん悪気はなかったのだろう。けれどその言葉は、胸にズドンと突き刺さった。自分でも気づいていたことを、他人に確認されたあの瞬間。愛想笑いで返しながらも、心の中では「見ないでくれ」と叫んでいた。鏡を見るのが怖くなるのは、こういう何気ない一言が積み重なった結果だと思う。
いつからか、自分にガッカリするようになった
鏡の中の顔を見て「こんなはずじゃなかった」と思うことが増えた。理想を描いていたころの自分と、今の自分の落差。そのギャップに気づくたび、朝の身支度は遅くなる。誰が悪いわけでもない。選んできたのは自分の道だ。でも、それでも、どこかで「もっとちゃんとできていたら」と後悔のような感情が湧いてくる。
理想と現実のギャップが胸を刺す
司法書士になったばかりのころは、もっとスマートに仕事を回せると思っていた。人に頼られる自分、信頼される自分。でも実際は、細かいトラブル、理不尽な電話、膨大な事務作業の連続。理想の姿とはかけ離れていて、「これが俺が目指したものか?」と心のどこかで問いかけてしまう。理想を持つことが悪いとは思わない。でも現実の中で、それにすがりつくのは、少しだけつらい。
「もっとちゃんとできるはずだったのに」
開業して10年以上になる。なのに、今でも失敗はするし、クレームに対応して胃を痛めることもある。「もっと経験を積めば楽になる」と信じていたけど、そんな日が本当に来るのかどうか怪しくなってきた。焦る気持ちはあるけど、変に肩に力を入れると、また空回りする。そんな自分がまた、鏡に映る。「なんでこうなったんだろうなぁ」って、つぶやくしかない朝が、増えている。
若いころの自分に、なんて言われるだろう
20代の自分が今の自分を見たら、何と言うだろう。「あれ?お前、それでいいのか?」とでも言いそうだ。でも、こっちはこっちで精一杯なのだ。人の人生を預かる仕事の中で、責任と孤独を抱えて、毎日なんとか立っている。それを若い自分に説明しても、たぶん伝わらない。でも、それでいい。せめて今の自分が、過去の自分を裏切らないように、生きていきたいと思っている。
司法書士という仕事に夢を見たころ
司法書士を目指したきっかけは、「人の役に立ちたい」というシンプルな気持ちだった。相続や登記で困っている人に安心を届けたい。そう思って、何年も勉強して資格を取った。そのときの気持ちは、今でも覚えている。でも、今の現実はどうだろう。書類の不備、役所とのやり取り、クライアントとのすれ違い。正直、「理想と違う」と思う瞬間は少なくない。
「人の役に立ちたい」と思った、あの初心
試験に合格した瞬間のことは、今でもよく覚えている。涙が出るほど嬉しかった。自分が役に立てる存在になれる、そう思えた瞬間だった。でも、今は「今日もなんとか終わった」とホッとする毎日。理想が現実にすり減らされていくのは、寂しい。でも、ゼロにはなっていない。誰かの不安を和らげた瞬間、ほんの少しだけ、あの初心を思い出せる。
でも現実は、電話とクレームと登記ミス
午前中は役所、午後は登記書類の作成、夕方はクレーム対応、夜は翌日の準備。そんな生活が続けば、誰でも疲れる。しかも、ひとつのミスで依頼人の人生に影響が出る。それがこの仕事の怖さだ。だから常に緊張している。そんな中で、ふと鏡を見て「疲れたな」と思うことが、悪い癖のように日常化してしまった。