沈黙を共有できる誰かが欲しかっただけなのに

沈黙を共有できる誰かが欲しかっただけなのに

話すことが仕事なのに、話したくない夜がある

司法書士という仕事は、説明と説得の連続だ。依頼者には専門的なことをわかりやすく話し、時には感情に寄り添って言葉を選ぶ。それなのに、仕事が終わった夜、自宅に戻ると、誰とも話したくなくなることがある。話すことが仕事だからこそ、オフの時間は沈黙の中にいたい。けれど、ふと「自分の言葉を本当に理解してくれる人はいないのかもしれない」と思う瞬間が、胸を締めつける。誰かと会話しないといけないわけじゃない。ただ、そばにいてほしいだけなのに。

言葉を尽くしても、誰にも届かない気がする

自分では丁寧に説明したつもりでも、依頼者から「で、結局どういうことですか?」と聞き返されることは多い。話し方が悪かったのか、情報量が多すぎたのか…と自己嫌悪に陥る。仕事ではそうやって原因を探して改善できる。でも、プライベートになると、言葉がうまく出てこない。「疲れてるんだよ」と自分に言い聞かせても、内心では誰かに「わかるよ」と言ってもらいたいのかもしれない。けれど、それをうまく言葉にできない自分がもどかしい。

登記の相談も、相続の話も、重たい

毎日扱うのは不動産や遺産、借金の話。笑いながら話せるような内容じゃない。依頼者の目の奥に見える不安や、家族のもつれを感じるたび、こちらの心も重たくなっていく。専門家として割り切ろうとするけれど、人間だから感情はゼロにならない。そんな案件をこなした日の夜は、無理に誰かと会う気力もなくなる。心が疲れたときは、むしろ沈黙のほうが癒される。無理に笑う必要も、相づちを打つ必要もない、そんな時間が欲しくなる。

優しさと無関心は紙一重だと気づいた

「放っておいてくれる人」が心地よいときもある。でも、ふとその沈黙が「関心がないからじゃないか」と不安になることもある。仕事では細やかな気遣いを求められる一方、プライベートではどこまで踏み込んでいいのかわからない。そんなバランスを考えすぎて、誰かといるのが億劫になる。そして結局、また一人で夜を迎える。沈黙を好むのは、優しさに飢えている証かもしれない、と最近思うようになった。

沈黙が気まずいと言われるのがつらい

沈黙の時間を心地よいと感じていても、相手から「なんか気まずいね」と言われると、居心地の悪さが急に押し寄せてくる。自分では「安心してるから黙っていられる」と思っていても、相手にとっては「つまらない時間」なのかもしれない。そんなすれ違いが増えると、人と会うこと自体が億劫になる。「何か話さなきゃ」と焦る自分が嫌になるし、「何か話してよ」と圧をかけてくる相手に疲れてしまう。無言を肯定できる関係は、贅沢なんだと知った。

「何かあったの?」と聞かれるたびに疲れる

ただ静かにしていただけなのに、「元気ないね」「大丈夫?」と聞かれると、余計にしんどくなる。悪気がないのはわかってる。でも、その一言に「普段は明るく振る舞っているべき」という前提がにじんでいるようで、息が詰まる。無理に話すくらいなら、何も言わずに過ごしてくれる人のほうが、よっぽどありがたい。言葉で心を救うこともあるけれど、言葉が重荷になる瞬間もある。それが、日々仕事で言葉を使っている自分にはよくわかる。

一人でいるのが楽な日と、孤独な日

一人の時間が好きだ。誰にも気を遣わず、テレビをつけたまま眠ってしまえる夜は、正直心地いい。でも、同じような夜が続くと、急に虚しさが押し寄せる。外は雨、部屋は静か、連絡はない。そんな夜に「誰かと一緒だったら少し違うのかな」と思う。だけど、いざ人と過ごすと、気を遣って疲れてしまう。一人でいたいけど、独りではいたくない。そんなわがままを許してくれる相手がいたら、どれほど楽だろう。

事務員さんとの距離感にも悩む

事務所は小さい。二人きりでの勤務時間が長い分、空気の読み合いが続く。気まずくなりたくないから、雑談を振る。でも話しすぎてもよくない気がして、加減が難しい。かといって沈黙が続くと、今度は「機嫌悪いのかな」と思わせてしまうのではと気になってしまう。ちょっとした空気の揺れが、ずっと頭を離れない。それが積み重なると、帰る頃にはどっと疲れている。

雑談すら気を使ってしまう小さな空間

「お昼、何食べました?」という何気ない会話にさえ気を使う自分がいる。話しかけるタイミング、相手の機嫌、こちらの表情。全部が気になる。そうして「話さないほうが無難だ」と黙ると、今度は空気が重くなる。小さな事務所という閉じた空間では、沈黙ひとつが壁のように感じられることもある。気を使わず話せたらどれほど楽かと思いながら、今日もまたぎこちない会話を繰り返している。

頼れるけど、心は預けられない

事務員さんは仕事ができるし、信頼している。困ったときにも助けてくれる存在だ。でも、それと「心を預けられるか」は別の話。職場の人間関係には一線を引くべきだと、どこかで自分に言い聞かせている。でも本音を言えば、仕事の話だけじゃなく、たまには愚痴を聞いてもらいたいと思うこともある。けれどそれを望む自分が、なんだか情けなく思えて、また黙ってしまう。

気を遣わずにいられる相手がほしい

疲れているときほど、誰かに気を遣わずにいられる時間がほしい。無理して笑わなくても、無理して話さなくても、ただ一緒にいられる人。そんな相手がいれば、日々のしんどさも少しは軽くなるのにと思う。けれど現実には、そういう相手に出会うのは簡単じゃない。出会っても、こちらが気を遣いすぎて壊してしまうこともある。だから余計に「沈黙を共有できる関係」が、遠くに思えてしまう。

愚痴を聞いてほしいわけじゃない

愚痴を言いたいわけじゃない。ただ、「今日も疲れたね」と言い合えるだけでいい。「なんとなくわかるよ」と一言添えてくれるだけで救われることもある。でも、そんな言葉を引き出すために、こちらが説明や前置きをしなきゃいけないなら、それはもうしんどい。理解してもらうための努力に疲れてしまった。だから、理解されなくても、ただ隣にいてくれる存在が恋しい。

ただ、黙って同じ時間を過ごせるだけでいい

ソファに座って、何も話さずに同じドラマを見ているだけ。コンビニのアイスを一緒に食べながら、ただ夜が更けていく。そんな当たり前の時間が、今の自分には眩しく思える。会話のない時間が、関係の深さを物語ってくれるような、そんな信頼関係が欲しい。ただ一緒にいるだけで、心が楽になる。司法書士という肩書きも、気遣いも全部忘れて、ただ「人」として隣にいられる誰かを、心のどこかでずっと求めている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。