ひとり事務所の日常と、その重み
朝、事務所のカギを開ける瞬間からすでに気が重い。たった一人で回している司法書士事務所。事務員さんはいるけれど、実務は基本的に全部自分でやる。登記、不動産、相続、商業登記……どれも間違えられない重たい仕事ばかり。だから一つひとつ慎重に、時間をかけて、確認して、確認して、確認する。そんな繰り返しで一日があっという間に終わる。帰るころには、椅子の形が自分の形に沈んでるくらい動いていないこともある。
朝のルーティンが崩れるだけで、全部ダメになる気がする
私は毎朝、同じ道を歩き、同じコンビニでおにぎりと缶コーヒーを買う。それを車の中で食べながら、事務所へ向かうのがルーティンになっている。だけどそのコンビニが休みだったり、雨で道が混んでいたりすると、もうその日一日が「崩れた」と感じてしまう。自分でも面倒な性格だとは思うけれど、変化に弱いのだ。ほんの些細なことで集中が乱れると、書類の確認も遅れるし、気分も落ちてくる。
「また今日もか」とつぶやく朝
時計の針はいつも通りなのに、心のどこかがズレている朝。そんな日がある。予定していた案件の連絡が来ない、書類の不備に気づいてしまった、あるいは事務員が体調不良で休む――そんな些細なことで、「また今日も、うまくいかないんだろうな」と勝手に思い込んでしまう。実際はそこまで悪くない日でも、朝の気持ち次第でどんよりした一日になってしまうことがある。
机の上の書類が、今日の気分を決めてしまう
事務所に入って最初に目に入るのが、山積みの書類。整理されていても「多いな」と思うし、散らかっていれば「もうイヤだ」とため息が出る。どこかで「この山をひとつひとつ片付ければ終わる」とわかっていても、心がついてこない。そんな朝は、ひとつの書類を手に取るまでに10分以上かかることもある。結局、その日がどうなるかは、自分のメンタルよりも、机の上の「景色」に左右される。
誰にも相談できない決断の瞬間
司法書士の仕事は、決断の連続だ。そしてその多くは、自分ひとりで下さなければならない。たとえば、法務局の対応一つにしても、依頼者との関係一つにしても、「これで良い」と判断する責任がある。そんなとき、誰かに「この判断で大丈夫?」と聞ける相手がいればどれだけ楽か。でも現実は、いつも自分だけがその答えを出さなくちゃいけない。責任が重いだけじゃない。孤独も重い。
「これでいいのか」と何度も問いかける夜
家に帰ってからも頭の中はぐるぐるしている。提出した書類、本当に間違いはなかっただろうか? 依頼者の希望通りに進めて、本当にそれでよかったのだろうか? そんな問いかけを、自分の中で何度もリピート再生する。テレビを見ても、食事をしても、ふとした瞬間に「あれでよかったのか」と思い返してしまう。心からリラックスできる夜なんて、いつ以来だろうか。
間違えたらすべてが自分の責任という現実
誰にでもミスはある。でも司法書士という仕事では、「間違えました」では済まないことが多すぎる。特に相続や不動産の手続きは、遺族の感情も絡むし、法的にも金銭的にも影響が大きい。だから、誰にも相談できないままプレッシャーと戦いながら、「自分を信じて進むしかない」と心の中で言い聞かせる。だけど正直、自分を信じきれる日は少ない。
答えを出すのは、いつも自分しかいない
私には上司もいない。同僚もいない。顧問でもなければチームでもない。だから、どんなに些細なことでも「決める」のは自分。Aにするか、Bにするか、どちらも正解かもしれない。でもどちらも間違っているかもしれない。その判断を、毎日積み重ねている。これは地味だけど、確実に精神を削る作業だ。たまには、「それでいいですよ」と背中を押してくれる誰かがいてくれたらいいのに、と思う。
「ありがとう」と言われるために続けているのか
報酬が欲しくてこの仕事をやっているわけじゃない。でも「ありがとう」のひと言が、時にすべての苦労を救ってくれることがある。ただ、その「ありがとう」も年々減っている気がして、ふと「何のためにやっているのか」と考えてしまう。事務所の灯を絶やさないためだけに働いているような、そんな気分に陥る日もある。
報われたような気がしても、疲れは取れない
依頼者から「助かりました」「本当にありがとうございます」と言われると、一瞬、胸の奥があたたかくなる。けれど、その気持ちは長くは続かない。すぐに次の案件が押し寄せてきて、「ありがたさ」よりも「忙しさ」が勝ってしまう。報われたはずなのに、頭は休まらない。むしろ、「あれもこれもちゃんとしなくては」と焦りが加速する。それが続くと、「やっぱり自分には向いてないのかも」とさえ思ってしまう。
依頼者の言葉が心に刺さるとき
良い言葉だけじゃない。「そんなに時間がかかるの?」「もっと安くできないの?」――そんなひと言が胸にグサッと刺さることもある。言われたくて言われてるわけじゃないと頭では分かっていても、やっぱり心はザワつく。特に一人で抱えていると、愚痴を言う相手もいないから、その言葉がどんどん頭の中で大きくなる。気づけば、「あの人のために、こんなに頑張ったのにな」と自己否定へつながっていく。