気づけば、ため息が癖になっていた

気づけば、ため息が癖になっていた

気づけば、ため息が癖になっていた

気づいたら、ため息ばかりの日々になっていた

ふとした瞬間、自分が深くため息をついていることに気づいたのは、コンビニの駐車場で缶コーヒーを買った帰りだった。特に理由があったわけでもない。ただ、呼吸のように「ふぅ」と吐いていた。その日だけじゃない。振り返れば毎日何度もため息をついていた。仕事が詰まっている日も、暇な日も関係なく。まるで呼吸と同じように、日常に染み付いてしまったため息に、自分の心がどこか疲れていることを教えられた気がした。

自分では頑張ってるつもりなんだけど

朝から晩まで、登記のチェック、相談の対応、報告書の作成、そして事務員さんへの指示。決して楽な仕事ではないけれど、誰かがやらなければならない。自分では「ちゃんとやってる」と思っている。でも、誰かがそれを評価してくれるわけでもないし、誰かが「お疲れさま」と声をかけてくれるわけでもない。ただ一日が終わっていくだけ。それでも自分なりに誠実にこなしているつもりだが、報われなさが心に重くのしかかる。

「頼れるのは自分だけ」なんて、もう疲れた

事務員さんはとても真面目で、しっかりしてくれている。でも、最終判断や責任はやはり僕にかかってくる。依頼者に言われた無理な要望、突然のトラブル、締切に追われるプレッシャー……それらに対して、常に冷静に、迅速に対応しなければならない。相談できる上司もいない。共に悩んでくれる同僚もいない。経営も、実務も、全部が肩にのしかかってきて、「一人でなんとかしなきゃ」と歯を食いしばる日々が続いている。

事務員さんにも気を使いすぎてしまう自分がいる

自分がしんどいときこそ、事務員さんの前では無理にでも笑顔でいようとしてしまう。無駄に気を遣って、「ごめんね、こんなに仕事振っちゃって」と言いながら、自分の分までカバーしようとする。たまには愚痴の一つもこぼしたいけど、言えば空気が悪くなりそうで躊躇してしまう。こうして自分の感情を押し込めていくうちに、どこにも逃げ場がなくなって、気づいたらまた、ため息だけが漏れている。

朝起きて、深呼吸じゃなくてため息が出る理由

目覚ましの音が鳴ると同時に、布団の中でつく最初の呼吸。それが深呼吸ではなく、ため息だと気づいた時、ちょっとしたショックを受けた。身体はまだ疲れが残っていて、心も「また今日が始まるのか」と重たい。やりたくない仕事があるわけじゃないのに、心が軽くならない。これは「好き」とか「嫌い」とかではなく、きっと「限界のサイン」なんだろうと、ようやく理解しはじめた。

仕事のストレス?それとも孤独?

ストレスが原因なのか、それとも誰とも本音で話せない孤独が原因なのか、自分でもよくわからない。ただ、どちらも確実に心をすり減らす要因であることは確かだ。仕事中は忙しくて気が紛れる。でも一人になった途端、押し寄せてくる寂しさや虚しさに、ふと涙が出そうになることもある。人とつながっているはずなのに、どこかで切れている。そんな不安定な感覚が、ため息という形で表に出てくる。

忙しいけど、誰にも必要とされていない気がする

依頼の電話は鳴るし、相談もある。でもそれは僕個人というより、”司法書士”という肩書きに対して来ている気がする。誰かが僕を「人として」頼っているという実感が持てないまま、淡々と処理していく仕事。だからこそ、「感謝」の言葉やちょっとした笑顔があると、それだけで救われる。けれど現実は、多くの依頼者が「やってもらって当然」という空気をまとっていて、ますます気持ちは空回りしていく。

依頼は来るのに、感謝の言葉がないと虚しい

特に登記のような書類仕事では、「終わって当たり前」になりやすい。きっちり期限までに仕上げて提出しても、何のリアクションもなく「ありがとうございました」さえないとき、心のどこかがポキッと折れそうになる。感情を求めてはいけない職業なのかもしれない。でも、僕も人間だ。「助かりました」の一言で、何日も頑張れることだってあるのに、それがもらえない日々が続くと、自分の存在意義すらわからなくなる。

それでも、この仕事を続けている理由

ため息を繰り返しながらも、僕はこの仕事をやめていない。なんだかんだで、司法書士という仕事が嫌いではない。むしろ、誠実に向き合えば誰かの役に立てるという感覚は、僕にとって大切なものだ。自分が目立たなくても、派手な仕事でなくても、「あの人がいて助かった」と思ってもらえるなら、もう少しだけ頑張ってみようと思える。

誰かの困りごとを、そっと支えられる誇り

華やかさはないが、確かに必要とされている。そう実感できたのは、ある年配の方から「あなたが担当で本当に良かった」と言われた時だ。書類の説明を何度も繰り返し、丁寧に付き合った時間が、ちゃんと伝わっていた。その瞬間、心の中にじんわりと温かいものが広がった。ああ、この仕事には意味がある。小さくても確かな意義。それを支えにして、また机に向かえる。

感謝されることは少なくても、意味はある

人は感謝を求めすぎると疲れる。でも、まったく無視され続けるのもつらい。司法書士の仕事は「縁の下の力持ち」だ。目立たないし、忘れられる。でも、確かに誰かの人生の節目に関わっている。登記や遺言や相続――その書類一つで、大きな安心を与えられることがある。派手じゃなくても、誠実にやることで価値を生む。それだけは信じていたい。

「ありがとう」の一言が、1週間の救いになる

最近、依頼者から手書きのメモをもらった。「わかりやすく説明してくれて助かりました」たったそれだけの一言が、信じられないくらい心に響いた。報酬よりも、何よりも、その言葉が救いになった。その日一日、いつもより少しだけ背筋を伸ばして過ごせた。ため息の代わりに、ちょっとした鼻歌が出ていた気がする。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。