外出の予定を忘れる

外出の予定を忘れる

忙しいから?歳のせい?外出予定をすっぽかす日々

最近、外出の予定をうっかり忘れてしまうことが増えてきた。相手に連絡すらせずにすっぽかしてしまったと気づいたときの、あの胃の裏がひゅっとなる感じ。忙しさのせいだと思いたいが、年齢のせいもあるのかもしれない。書類の締切や依頼者との電話対応には敏感なくせに、自分の用事となると見事にすっぽ抜ける。司法書士という仕事の特性上、「他人の用事」は覚えていられるのに、自分のことは後回しになりがちだ。

「うっかり」は職業病?

登記の期日や依頼者からの電話、裁判所の期日など、司法書士として忘れてはいけないことが多すぎる。その結果、自分の予定はどんどん記憶の後回しにされていく。ある日、友人と食事の約束をしていたのに、当日気づいたのは夜の9時過ぎ。友人からのLINEを見て血の気が引いた。「今日は無理ってことかな?」と一言。胸が痛かった。忘れようと思って忘れたわけじゃないのに、それは言い訳にしかならない。

頭の中が登記と電話でいっぱいになる

朝から晩まで、登記のチェックや法務局とのやり取り、依頼者からの電話対応に追われる日々。事務員さんも頑張ってくれてはいるが、基本的には自分の頭で管理している。だからこそ、頭の容量は常に満タンだ。そこに「歯医者の予約」や「区役所での手続き」なんて個人的な予定が入り込む余地がない。頭の中で優先順位をつけて処理しているつもりでも、結果的に「自分のこと」は弾かれてしまう。

予定を忘れたことに気づくのは、だいたい夕方

「あれ、今日って何かあったような…」と思い始めるのが夕方になってから。手帳を開いてやっと、「あ、病院だった!」と気づく。もう閉まってるし、当然キャンセルの連絡もしていない。こういうことが続くと、自分が信用ならなくなってくる。小さな失敗の積み重ねで、自己肯定感がじわじわと削られていく。人からの信頼だけでなく、自分からの信頼まで失っていくような感覚だ。

カレンダーアプリも手帳もあるのに忘れる理由

スマホのカレンダー、紙の手帳、ホワイトボード…いろいろ試してみたけれど、それでも予定を忘れる。単に記入しただけではダメで、「確認する習慣」がなければ意味がない。でもその確認すらも、日常の雑務に追われて後回しになる。結局、自分の予定管理がいちばん甘くなっているのだ。

「通知を見たけど頭に入ってなかった」の罠

スマホから「〇〇に行く予定があります」と通知がきても、ちょうど依頼者からの電話中だったり、登記簿を確認している最中だったりして、内容が頭に入ってこない。「見た」けど「認識していない」まま通知を閉じてしまう。数時間後に「あれ?通知きてたな」と思い出しても、すでに遅いことが多い。通知に頼りきるのではなく、自分の中で「この予定を忘れたらやばい」という危機感を持つ仕組みが必要だと痛感している。

スマホを過信した結果がこれ

カレンダーアプリにすべてを任せていた頃、「これで忘れないだろう」と安心しきっていた。でも、実際には通知のタイミングが悪かったり、通知が多すぎて埋もれたりして見逃してしまう。あるとき、法務局での面談を忘れ、先方からの電話で初めて気づいた。背筋が凍った。その時点で「スマホは万能ではない」とようやく思い知った。道具に頼りすぎず、やはり最終的には自分の意識の問題だと認めざるを得なかった。

書いても見る暇がないという本末転倒

予定は書いている。手帳にもホワイトボードにも。しかし、書いたことに満足してしまい、それを「確認する」ことが習慣になっていない。朝一番で予定を確認する時間すら取れず、気づけば夜。結局「見なければ意味がない」という当たり前すぎる事実にぶち当たる。確認する時間をあえて作ることが必要なのだが、それがまた難しい。日々に追われすぎて、予定の管理にまで気が回らないのが現実だ。

外出忘れのせいで信頼を失った話

外出予定を忘れることで、一番辛いのは「信頼を失うこと」だ。どれだけ普段頑張っていても、たった一度のすっぽかしで相手の印象はがらりと変わる。友人ならまだしも、仕事でやってしまったときのダメージは計り知れない。しかも、司法書士という職業は「信頼」がすべて。自分にとっては一度のミスでも、相手にとっては「信用ならない人」になるきっかけになってしまう。

「今日来るって言ってたのに…」という圧倒的な敗北感

ある依頼者との約束をすっぽかした日、先方からの電話に出た瞬間の「来るって言ってたのに…」という一言が刺さった。言い訳も通じない。何より、自分がその約束を心から忘れていたという事実が、敗北感を増幅させた。謝っても許されたとしても、関係性に亀裂が入ったことは否めない。忘れた自分を責める夜が何度あったことか。信頼を取り戻すのは、失うよりも遥かに難しい。

相手が優しいほど自分が情けなくなる

怒ってくれる相手ならまだいい。問題は、優しく「大丈夫ですよ」と言ってくれる相手だ。こちらが全面的に悪いのに、なぜか気遣ってくれる。そのたびに、自分のだらしなさが身にしみて、申し訳なさで胸がいっぱいになる。やさしさに甘えたくないのに、甘えてしまう。だからこそ、「絶対に次は忘れない」と何度も決意するのだが、同じ過ちを繰り返してしまう。

再発防止に燃えるが、燃えるだけで終わる現実

予定を忘れて落ち込むたび、「次こそは!」と心に誓う。新しいアプリを試したり、リマインダーの設定を増やしたり、対策は一応講じる。でもしばらくすると、それらの習慣が薄れ、結局また元通り。燃え上がる反省の炎はすぐに鎮火し、ルーティンに飲み込まれていく。継続できない自分にまた落ち込むという負のループ。どうしたら「忘れない人」になれるのか、いまだに答えは見つかっていない。

自分の予定より他人の書類のほうが優先される仕事

司法書士という職業は、常に他人の手続きと向き合っている。登記、相続、裁判所提出書類…とにかく人のための用事ばかりだ。だからこそ、自分の予定は後回しにされがちで、ついには忘れ去られることもある。「忙しいからしょうがない」と自分に言い訳しつつ、本当はどこかで「これじゃいけない」と思っている。

依頼者のことは忘れないのに、自分の通院は忘れる

依頼者の登記完了予定日はしっかり覚えている。書類の提出期限も忘れない。でも、自分の通院日や市役所の手続きなど、個人的な予定になるととたんに記憶から抜け落ちる。ある日、歯医者の予約をすっぽかしてしまったとき、受付の人からの「次からはちゃんとお願いしますね」という言葉が、地味に堪えた。どこかで「自分のことぐらい適当でいい」と思っている自分がいるのだ。

「自分のことを後回し」がクセになってしまった

長年の習慣なのか、自分の用事を後回しにするのがクセになっている。目の前の仕事を優先するあまり、「あとでいいや」と思っていたことを忘れてしまう。この「あとで」が厄介で、結局何もせずに終わることがほとんどだ。人のための用事を優先すること自体は悪いことではないが、自分の生活や健康を犠牲にしてまで仕事を回している今の状況には、さすがに疑問を感じ始めている。

忘れないための工夫が、むしろ負担になる矛盾

忘れないように工夫しているつもりが、その工夫自体がプレッシャーになっていることがある。リマインダーを何重にも設定すると、「あ、また通知きた…」と逆にストレスに。手帳に細かく予定を書き込むと、見るたびに「やらなきゃ」が積み重なって疲れてしまう。忘れない工夫が「やることを増やす結果」になるという矛盾に気づいてしまった。

通知を5回設定しても、慣れれば意味がない

「朝9時、12時、15時、1時間前、30分前」と通知を5回入れていたことがある。最初は驚くほど効果的だった。でも、人は慣れる生き物。数日経てば、通知が来ても「はいはい」と流してしまうようになる。結局、通知の数を増やすのではなく、「なぜこの予定が重要なのか」を自分の中で明確にすることのほうが大切なのだと、頭ではわかっている。問題は、その意識すらも流されていくことだ。

紙に書いても、見なければないのと同じ

手帳に丁寧に書いた予定も、開かなければ存在していないのと同じ。たまに開いて、「あ、これ昨日だった…」と気づいて呆然とすることも。手帳を書くこと自体が目的になってしまって、活用できていない。見直す時間を作る、それを習慣にする――この「たった2ステップ」ができない。シンプルなことなのに、実行に移すのが一番難しいと感じる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。