たまには誰かと冗談を言い合いたい

たまには誰かと冗談を言い合いたい

一人仕事の静寂に埋もれて

地方で司法書士事務所を運営していると、毎日が静かな戦いです。朝から晩まで依頼書や登記申請書とにらめっこ。誰とも言葉を交わさずに一日が終わることもあります。事務員さんはいてくれるけれど、忙しい日には「お願いします」「できました」くらいしか会話がない日も。ふと気がつくと、自分が「独り言」をつぶやいていたり、パソコンの画面に向かって苦笑していたり。静かすぎて耳鳴りがするほどの日常が、最近はちょっと重たく感じるのです。

朝の「おはよう」が虚しく響く

朝、事務所に入って「おはようございます」と言ってみる。返事はある。でも、それだけ。昔は誰かが「昨日さあ」と雑談を始めて、ちょっと笑ってから仕事に入ることもあった。でも今は違う。すぐにそれぞれの席に着き、黙々と作業。まるで静かな図書館のような空間で、会話の気配はない。こちらが何か話しかけると「はい」と返ってはくるけれど、すぐに空気がまた静けさに戻る。誰かと冗談を言い合いたい、そんな気持ちが日に日に膨らんでいく。

挨拶の相手はPCとプリンター

「お疲れさま」「よろしくね」「またエラーかよ」…最近、話しかけている相手はほとんど機械。プリンターに「頼むから詰まらないでくれ」と言いながら用紙を入れ直し、パソコンのフリーズにため息をつく。そんなやりとりばかりしていると、なんだか人間との距離が遠くなった気がしてきます。誰かに軽口を叩いたり、突っ込まれたりするだけで、きっと気持ちも軽くなるんだろうなと思うけど、今のこの環境じゃ、それも難しい。

事務員さんとの会話も業務連絡だけ

事務員さんはとても真面目で、仕事が丁寧。でも、その分、雑談がほとんどありません。「こちらの書類、確認お願いします」「次の面談は何時ですか」…そんなやりとりばかり。ふと「週末どうだった?」と話を振っても、「特に何も…」で終わってしまう。僕が無理に盛り上げようとしてるのかなと、自分が滑稽に感じてしまう瞬間もあります。気を使ってるのはわかる。でも、もう少し、砕けた話もしてみたい。そんな贅沢、でしょうか。

沈黙が当たり前になった日常

音のない時間に慣れすぎて、何か話すと逆に違和感すら覚えるようになってしまった。元々おしゃべりな性格ではないけれど、それでも誰かと笑い合う時間がほしい。けれど、今はその余白すら見当たらない。静寂の中で働くことが、当たり前になってしまった自分に少し寂しさを感じている。

笑い声が響かない職場

事務所で誰かが笑う音を、いつから聞いていないんだろう。テレビのバラエティ番組で芸人が冗談を言っていても、それを共有できる相手がいない。「昨日のあれ、見た?」なんて話す場面が皆無だ。ふと、学生時代の友人たちと飲み会で笑い転げた記憶がよみがえる。でも、今は笑う相手も笑わせる余裕もない。笑いって、思っているよりも生きるために必要な要素なのかもしれない。

電話の音だけがにぎやか

「プルルルル…」と鳴る電話の音が、職場で一番大きな音。しかもその電話も、基本的には相談かクレームか依頼の変更。笑い話どころか、胃が痛くなるような話題ばかり。電話を切った後、無言でメモを取る姿が鏡に映ると、自分がだんだん無機質な存在に思えてくる。誰かと「くだらないこと」を笑い合いたい。そんなささやかな望みが、叶いにくいのが今の現実。

冗談を言える関係が恋しい

本音を言えば、冗談を言って、突っ込まれて、照れ笑いするような、そんな関係性が恋しい。仕事の愚痴を笑い飛ばせる人が近くにいたら、もっと違う働き方もできるのかもしれない。堅い仕事だからこそ、そういう「抜け道」が必要なんじゃないかと思う。

笑い合える誰かの存在

「冗談言ってる暇あるの?」と自分でツッコミを入れたくなるけれど、だからこそ冗談が必要なのだ。張り詰めた空気を柔らかくしてくれる、潤滑油のような存在。それが笑いであり、冗談を言い合える人なのだと思う。昔の同僚で、どんなに忙しくても一言ふざけてくれる先輩がいた。あの頃は、忙しさの中にも笑いがあった。あの感覚、取り戻したい。

昼休みの会話は「独りごと」

昼休み、コンビニ弁当を机で食べながら「また唐揚げか…」とつぶやく。誰もツッコんでくれない。自分で自分にツッコミを入れて苦笑するだけ。「誰かに話しかけたいな」と思っても、話しかける相手がいないのだから仕方がない。そんな昼休みがもう何年も続いている。たまには「これおいしそうだね」なんて会話がしたい。でも、ここには相手がいない。

ちょっとした一言で救われた過去

「先生、最近顔色悪いですよ〜」なんて軽口を叩かれて笑ったことがある。その一言で、なんだか肩の荷がふっと軽くなった。冗談は時に、真面目な言葉以上に心を癒してくれる。あれはたしか、補助者の若い子だったか。今はもう辞めてしまったけれど、彼女の一言がどれだけ救いだったか、今ならよくわかる。そういう存在って、大きい。

雑談の効能を実感する瞬間

無駄に思える雑談ほど、人を支えてくれるものはないのかもしれない。効率一辺倒では、心が置いてけぼりになる。ふとしたときに交わす言葉、それがどれだけの価値を持つのか、今は痛いほど感じている。

緊張の糸がほぐれる「くだらなさ」

「今日、ネクタイ曲がってますよ」そんな一言で空気がほぐれる。意味のないような冗談、くだらない指摘。だけどそれが、重くなりがちなこの仕事に一筋の光を差してくれる。日々の業務で張りつめた神経も、その一言でリセットされることがある。くだらないこと、大事にしたい。

不安や疲れを笑いに変える力

この仕事、不安も多いし、責任も重い。でも、笑える誰かがそばにいてくれると、それすらも「まあ、なんとかなるか」と思える。笑いには、前向きな力がある。だから、たまには誰かと冗談を言い合いたい。そういう時間が、今の自分には必要だ。

それでも言えない「寂しい」なんて

本当は寂しい。けれど、司法書士という肩書きがそれを素直に言わせてくれない。周囲の期待、社会的な目線。色々なものを背負っていると、冗談すら重たく感じてしまう。でも、きっと同じように感じている人もいるはずだ。

司法書士という「堅い」イメージ

司法書士というと、真面目で堅い、そんなイメージがある。それに応えようとするあまり、感情を表に出すことを躊躇してしまう。ふざけたら信用されないのでは、と余計な心配をしてしまう。でも、それって自分を追い詰めるだけじゃないかとも思う。

真面目でいなければならない呪縛

「先生なんだから」「失礼があってはいけない」そんな言葉が、ずっと心のどこかにある。だからこそ、冗談一つ言うのにも勇気がいる。だけど、人間味を失ったら、仕事にも支障が出る気がする。もっと自由に、自分らしくいられる空気が欲しい。

感情を抑える癖が抜けない

悲しいときも、悔しいときも、嬉しいときも、それを外に出すことが減った。何事も冷静に処理しなければならない、そう思い込んでいる自分がいる。でも、それじゃ人としての温かみが薄れていくばかり。もっと、心でつながれる会話がしたい。

冗談のセンスが錆びついていく

昔はもう少し、気の利いたことを言えていた気がする。けれど今は、冗談の一つも思いつかない。人と話さない時間が長すぎて、言葉の選び方すら忘れてしまったようだ。そんな自分に気づくたびに、少しだけ寂しさを感じている。

笑わせ方を忘れた自分に気づく

笑わせたい、でもどうしたらいいのか思い出せない。昔はもっと自然にできていたのに。今は、「面白くないことを言ってしまうのでは」と先に心配してしまう。そうやって、自分の言葉を飲み込んでいく。だからこそ、たまには誰かと冗談を言い合いたい。その小さな願いが、今日も胸の中にくすぶっている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。