相続登記、書類全部捨てちゃったってよ──司法書士の叫び

相続登記、書類全部捨てちゃったってよ──司法書士の叫び

相続登記の依頼人、開口一番「書類?全部捨てました」

ある日の午前中、電話で「相続登記をお願いしたいんです」と元気に話していた依頼人が、実際に事務所へやってきて第一声。「あ、書類?全部捨てちゃいました!」と笑顔で言った。私は一瞬、自分の耳を疑った。これ、冗談だよな…と祈ったが、どうやら本気だったらしい。相続登記の初動で必要なのは、権利関係を示す書類や被相続人の情報が詰まった資料たち。これを全部捨てていたというのは、たとえるなら地図も方位磁針も持たずに山登りを始めるようなものだ。いや、それどころか、靴も履かずに登る気でいるレベルかもしれない。

なんで捨てる?…から始まる地獄の数時間

「使わないと思って」――これが書類を捨てた理由らしい。しかも数年前のことで、正直なところ本人も何を捨てたのかすら覚えていない。最初は冷静に「じゃあ、まず何を残してありますか?」と尋ねたが、「えっと…茶封筒だけあります!」と胸を張られて、こちらの精神が崩壊しそうになる。ここから始まるのが、役所・金融機関・法務局への問い合わせ地獄。ひとつひとつ書類を再取得し、すべて一からやり直し。しかも、その過程を依頼人がまったく理解していない。頼むから、せめて謝ってくれ……。

固定資産税納税通知書すら「よく分からない」

「市役所から毎年来る茶色い紙?あれも捨てました。場所取るし」――相続登記で最低限必要な、固定資産評価証明を取得するのに、その手がかりすらないとは。ここまで来ると、もうコントである。戸籍を取るために「どこの役所に届出したか覚えてますか?」と聞くと「えーっと…市役所かな?」。いやそれ、全国に何百あると思ってんの……。私が新人だったら泣いてただろう。今は泣かないけど、胃がキリキリする。

「全部わからない」は最強の呪文

「わからないので全部お任せしますね!」このフレーズ、じつは司法書士を一番震え上がらせる呪文。だって、わからない人に説明しても伝わらない。確認しても記憶にない。じゃあどうするか? 全部こちらで推理し、調査し、想定して動くしかない。でも一歩でも読み違えれば、「それは違います」と言われる。そして最終的に「なんでそんなに時間がかかるんですか?」と言われる。どうしても言いたくなる、「いや、そっちが全部捨てたからでしょ」と。

依頼人は悪くない。だけど現場は修羅場

依頼人を責めるつもりはない。一般の人にとっては、相続登記なんて一生に一度あるかないかの出来事で、何を残しておけばいいのかなんて分からない。でも現実問題として、それがこちらにとっては大事件になる。しかも、何度も同じことを説明しても理解されないと、心がすり減っていく。私たちは感情を抑えて対応するけれど、その抑圧が蓄積していくのが、地味につらい。

こっちは書類集めゲームのプレイヤーじゃない

書類の再取得作業は、まるで昔のRPG。情報がない中で町を歩き回って、ヒントを探し、役所という名のダンジョンを探索する。必要なのはスキルじゃなくて、体力と根性と、根気。そして「いや、それはうちじゃ分かりませんね〜」と門前払いを食らったときのメンタルの回復力。依頼人はというと「先生にお願いしてよかった!」とニコニコ。あの…私は冒険者じゃなくて、司法書士なんですが。

「代行」の意味を都合よく捉えられる問題

「代行してください」と言われると、それはあくまで「代理」であって「全部押し付けてよい」わけではない。だけど実際には、書類の意味も内容も確認しないで、「先生の方で勝手にやっておいてください」となる。勝手にできたら司法書士いらないでしょ、と言いたくなる。なのに、「自分でやるのは不安だから頼んだんです」と言われたら、それ以上言えない。この辺のジレンマ、ほんと胃にくる。

やさしく丁寧に説明する自分に腹が立つ日

説明が伝わらないと分かっていても、私は丁寧に説明する。イラついても、声を荒げることはない。なぜかって? それが「プロ」だから。でも、ふとした瞬間に思う。この優しさ、本当に意味あるのか?って。もっと厳しく突っぱねた方が楽じゃないのか? でもできない。結局、自分で自分を追い詰めるタイプなんだよな、私。

事務員さんが一番気の毒だった話

この依頼で一番大変だったのは、実は私じゃない。うちの事務員さんだ。電話して役所に確認して、住基の移動の履歴を追いかけて、郵送で書類請求して。何度も相手にキレられ、それでも笑顔で「ありがとうございます」と言っていた。よく辞めないな、と本気で思う。いや、内心ではもう何度も辞表書いてるかもしれないけど。

優しすぎる彼女の「確認の電話地獄」

役所に電話してもたらい回しにされることがある。彼女はそれを毎回、根気強くやってくれる。しかも「なんか感じ悪い人でした」とか一切言わない。私なら5件目くらいで受話器を投げそうになるのに、彼女は「次はこちらにかけてみますね」と淡々と。たぶん、彼女がいなかったらこの登記、終わってない。

「なんでこっちが怒られてるんでしょうかね?」

一番辛かったのは、依頼人の親族に「書類が遅い」と怒鳴られた時のこと。「あの…こちら、全部書類捨てられたところから始めてまして…」という釈明は届かない。ただ「すみません」と謝るだけの事務員さんの背中を見て、私はなんとも言えない気持ちになった。帰りにコンビニで彼女にプリンを買って渡したが、「ありがとうございます」と一言。もっと感謝したいのは、こっちの方だ。

自分のミスじゃないのに、自分の胃が痛くなる現象

よくある話だけれど、「自分の責任ではないのに疲弊する」というのは、この仕事の宿命かもしれない。特に相続系は、依頼人も心に余裕がない。だからこちらが感情を引き受ける場面が多くなる。でも、ふと「自分の人生これで良かったのか?」なんて思ってしまうのも、また事実。胃薬が手放せない毎日だ。

「先生、まだですか?」に込められた恐怖

「まだ終わってないんですか?」と軽く言われる一言。たぶん悪気はない。でも、それがどれだけこちらにプレッシャーを与えるか、知ってほしい。こっちは夜中に役所のウェブページを開いて、管轄や様式を調べてる。それでも遅れてしまうことがある。完了を待ってるのは分かる。でもせめて、「急かす」ではなく「相談する」というスタンスでいてほしい。じゃないと、ほんとに壊れそうになる。

結局なんとかするけど、それがまたつらい

最終的には、なんとかする。なんとかしてしまう。それがまた良くないのかもしれない。だって、次も「どうせ先生がやってくれる」で始まるから。だから最近は、手を抜くことも覚えようと思っている。でも、それがまたできないんだ。律儀に頑張ってしまうから、結局また胃が痛くなる。

「すごいですね!」と言われても嬉しくない

書類が全部整って、登記が完了したとき、依頼人に言われた。「すごいですね、全部やってくれて!」正直、褒められてるのに嬉しくなかった。むしろ、「これが普通と思わないでほしい」と思った。でも口には出せない。ありがとうと微笑むだけ。司法書士は、今日も黙って全部やるのである。

もしこれを読んでる若い司法書士志望の方へ

こんな記事を読んで、「やっぱりこの仕事やめとこうかな」と思った人もいるかもしれない。でも、現実はこんなもんだ。きれいごとだけじゃ回らない。でもね、不思議と続いてしまうのは、この仕事が人間くさいからなんだと思う。

理不尽の海を泳ぎ続ける覚悟、ありますか

どんなに準備しても、想定外の波は来る。理不尽も、無知も、無関心も押し寄せてくる。でも、それに立ち向かって、少しずつでも前に進むことに喜びを感じられる人。そんな人なら、きっと司法書士に向いてる。たとえモテなくても。

それでもこの仕事を続ける理由があるとしたら

書類が揃って、無事に登記が終わって、依頼人が「助かりました」と言ってくれたとき。その瞬間だけ、ちょっとだけ救われる。それだけのために、やってるのかもしれない。いや、ほんと、たまにだけど。

…たぶん、それでも人が好きなんだと思う

結局のところ、私は人が好きなんだと思う。だから、どんなに疲れても、この仕事を辞めない。愚痴ばかり言いながらも、また次の依頼を受けてしまう。これが司法書士ってやつなんです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。