今日もまた、「これって司法書士の仕事ですか?」から始まる一日
朝一番の電話が「これって司法書士の仕事ですか?」だった日には、コーヒーの味すら変わる気がする。どうやら「名義変更」と「相続手続き」と「家の登記」の違いがごっちゃになっているらしい。いや、責めているわけじゃない。一般の人にはその境界が見えにくいのはよく分かっている。だけど、開業して20年経っても、まだその質問をされると、「こっちは何をやってきたんだろうなあ」と、自問自答のスイッチが勝手に入ってしまう。司法書士って、そういう仕事なんだろうか。いや、もう少しちゃんと説明しておきたい。
開業して20年、まだその質問されるの?
開業当初は「これって司法書士で大丈夫ですか?」と言われるたびに、「そうです、任せてください」と爽やかに答えていた。でも、今となってはその笑顔もどこへやら。年々、その「これって」部分が拡大してきて、気がつけば、借金の相談からご近所トラブルの仲裁まで、まるで町の何でも相談所。そりゃあ、名刺に「親切・丁寧」って書いたけど、心の中では「業務外です」と叫んでいる。結局、断れない自分が悪いんだけど。
便利屋じゃないんですけど…って言えない現実
「それ司法書士さんなら分かると思って」「ちょっとだけでいいんですけど」——この二言が出たら、だいたい地雷案件だ。とはいえ、目の前の人は困っていて、冷たく突き放すことなんてできやしない。だから引き受ける。だけどあとで、「やっぱりあれ、行政書士の仕事だったよな」と思ってモヤモヤが残る。結局、仕事の境界線って、優しさの度合いで曖昧になる。便利屋じゃないって言えたら、もう少し気が楽なんだけど。
「それもやってくれます?」に隠された依頼の圧
ある日、「父の土地を売りたいんだけど、農地で…どうすればいい?」と聞かれた。それって、農地法だよな?と脳内で警戒音が鳴る。でも、口から出たのは「一度、内容を確認してみますね」。そう答えると、どんどん資料が送られてくる。行政とのやり取りの代行まで期待されている空気。あの「お願いできませんか?」の柔らかい言葉の奥には、「あなたなら全部やってくれるでしょ?」という圧が詰まってる。正直、重い。
断ると「冷たい」と言われ、受けると「簡単でしょ」と言われる
勇気を出して「それはちょっと対応できません」と断ると、「冷たいんですね」と言われたことがある。逆に、思い切って受けた仕事は、後から「簡単な作業なのに時間かかりますね」とチクリ。どっちに転んでも報われない気がして、結局、夜の酒が増えるばかり。司法書士の本当の敵は、業務範囲ではなく「勝手に設定された期待値」なのかもしれない。
隣の市役所に聞いてほしい話が、なぜかうちに来る
「相続の戸籍が揃わないんですけど…」と相談に来た方に、「これは市役所の戸籍課のほうが早いですよ」と案内すると、「でも市役所は冷たいから」と返ってきた。いや、それでも市役所の仕事ですって…。なぜか、行政の冷たさを和らげるクッション役まで任されてしまう。感情の受け皿にされている気がして、心が少しずつすり減る。でも、誰も責められない。それが一番つらい。
「誰がやるのか」より「あなたがやってくれそう」で選ばれる現場
「◯◯士」の肩書きよりも、「あの人ならやってくれそう」という印象で選ばれている気がする。もちろん信頼されているのはありがたい。でも、それがいつの間にか「無償の労働」や「なんでも対応」に変わっていくのは、どうにも腑に落ちない。資格よりもキャラクターが業務を決める時代なのか。
司法書士、行政書士、税理士…名前だけで選ばれる不条理
「書士」ってつくからか、司法書士と行政書士はよく混同される。中には「書類作成士」と思っている人もいるんじゃないかと思うほど。登記や裁判所関係の書類を扱っていると説明しても、「じゃあ遺産分割協議書も書いてください」と、当然のように言われる。その一言に、「いや、それは行政書士の守備範囲では…」なんて言う余地はない。
「書類のことは全部あなたに」なんて、勘弁してください
役所関係の書類を「全部まとめてお願いできますか?」というパターンも多い。気持ちは分かるけど、そんな万能ツールじゃないんですよ、司法書士って。でも、「それは専門外です」と言うと、不機嫌な顔をされる。面倒なことを「外注」するような感覚で来られると、こちらも人間なので、だんだん心が冷える。
「ついででいいんで」と言われて1時間潰れる日々
「ついでで…」と始まる話に、簡単なものなんてほとんどない。「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」と言われて話し始めた相談が、結果的に1時間超えていたなんてザラにある。話すことで相手の気持ちが軽くなるならそれは意味のある時間。でも、こっちも仕事中だし、抱えてる案件は山積み。誰か「ついで」の定義を明確にしてくれないだろうか。
ほんとのことを言えば、こっちだって誰かに聞きたい
「これって司法書士の仕事?」という問いは、実は自分にも投げかけている。法律がどうとかじゃなくて、気持ちの上で「これ、自分で抱え込むべきなんだろうか」と迷うことが多すぎる。独りで判断して、独りで進めて、独りで反省して…そりゃ、疲れる。
「これ、ほんとに自分の仕事?」と毎日ぐるぐる考える
例えば、ある相続の案件で、親族間の不和に巻き込まれたことがある。完全に感情のもつれで、登記とは無関係。けれど、なぜか調整役を任されてしまった。「司法書士として」ではなく、「人として」動いたのは間違いない。でも、帰り道、ふと「これって本当に俺の役割だったんだろうか」と虚しさが襲ってくる。気持ちを切り替えるのが下手な自分もまた、面倒くさい。
事務員にも聞けず、相談できる人もいないまま
うちの事務員は本当に頑張ってくれてる。でも、やっぱり所長の悩みって打ち明けにくい。気を遣わせてしまうし、下手をすれば辞められる。だから一人で抱え込むことになる。同期の司法書士とも疎遠になり、気がつけば、誰にも愚痴れないループに入っていた。SNSに書けば炎上、飲み屋で言えば酔っ払い扱い。どこにこのしんどさを置けばいいんだろう。
モヤモヤを飲み込みながらも、なんとかやってます
結局、どれだけモヤモヤしても、翌日にはまた事務所に来て仕事をしている。誰かに頼られて、誰かの助けになって、それでも時々、「この仕事が好きなんだ」と思える瞬間があるから、不思議だ。文句を言いながらでも、続けられているのは、きっとどこかで意味を見つけているからだろう。
愚痴の一つもこぼさなきゃやってられない
「弱音を吐いたら負け」なんて言葉、信じちゃいけない。弱音は出していい。愚痴だって言っていい。むしろ、司法書士みたいに孤独な仕事こそ、誰かに「わかる」と言ってもらうことで保たれている。今日もこうして文句を言って、少しだけ気が軽くなった自分がいる。
でも、ありがとうの一言で救われることもある
ある依頼者が、「先生がいてくれて本当によかった」と言ってくれた。その一言で、しばらくのあいだ、心があたたかかった。業務範囲がどうとか、報酬がどうとか、そういうことじゃなくて、人として認めてもらえた気がした。その気持ちが、何よりの報酬だった。
依頼者の一言が、心のどこかに残る
感謝の言葉って、じわじわ効いてくる。翌日の忙しさの中でふと思い出すと、不思議と力が湧いてくる。あの一言を思い出せる限り、この仕事は続けられる。そう思える言葉が、ほんの少しでも心に残っていれば、それでいい。
誰かの役に立ってると思える瞬間に報われる
自分の存在が、誰かの助けになっている。そう思えたときにだけ、司法書士という仕事の意味が明確になる。だからこそ、今日もまた、境界があいまいな仕事に挑むのかもしれない。
司法書士の仕事の輪郭は、きっと自分で作っていくしかない
法律が定める業務範囲も大切だけど、結局、現場で感じる“重み”や“意味”は、自分で決めていくしかない。答えはマニュアルには載っていないし、人それぞれ。迷いながらでも、選びながら、進んでいくしかないのだ。
曖昧な境界線の中で、自分なりの「線」を引く
どこまでやるか、どこで断るか。それは毎回、自分自身に問うしかない。他人の判断基準を借りても、現場では通用しないことが多い。だからこそ、自分の中で納得できる「線」を持つことが必要だと、最近ようやく気づいてきた。
「これって司法書士の仕事ですか?」の答えは、人の数だけある
たぶんこの問いに、正解なんてない。でも、自分なりの答えを持っておくことで、少しだけ前に進める気がする。そしてその答えは、日々の経験の中でしか育たない。だからこそ、今日もまた問い直す。「これって司法書士の仕事ですか?」って。