「よかったら口コミお願いします」が言えない僕の話――地方の独身司法書士、愚痴多めのリアル

「よかったら口コミお願いします」が言えない僕の話――地方の独身司法書士、愚痴多めのリアル

口コミのひとことが言えない、それだけの話なのに

「よかったら口コミお願いします」。たったそれだけの一言なのに、口に出すのが怖くて仕方ない。そんな自分を責めては、また言えなかった…と夜にひとり反省会。口コミひとつで信頼が積み上がるこの時代に、僕の口は妙に重い。司法書士として15年以上やってきたけど、営業の才能はどうやら最後まで身につかなかったようだ。仕事は誠実にやってるつもり。でも、最後の一押しができない。そんな話をすると「気にしすぎですよ」と笑われるが、当人にとっては深刻だ。言えないことで、自分を責める癖がついているからだ。

言えば済む、それはわかってる

頭ではちゃんと理解している。「言えばいいじゃないですか」「喜んで書いてくれる人も多いですよ」。そんなアドバイスもたくさん受けてきた。でも、わかっていることと、実際に言えるかは別問題だ。相手の反応を想像すると、頭の中でブレーキがかかる。自分に自信がないわけじゃない。でも、「よかったら口コミお願いします」と言った瞬間、図々しい人間に思われるんじゃないかと不安になる。たった一言に、心が押しつぶされそうになる瞬間がある。

「自意識過剰ですよ」と言われても

「そんなの自意識過剰ですよ」と笑い飛ばされたこともある。きっとそうなのだろう。でも、そうやって自分を責めることが癖になっている人間にとっては、その「過剰さ」すら一部なのだ。「また気にしすぎてる」と思えば思うほど、自分の声を押し殺してしまう。自分を小さく見せることに慣れてしまっているせいか、「お願いします」と伝えるだけで、心がざわついてしまう。誰も気にしていないことに、自分だけが立ち止まっている。

たった一文に勝てない夜がある

事務所の看板に掲げる言葉を何時間も悩むくせに、口コミの一言すら言えない。そんな自分に呆れてしまう夜がある。事務所で一日中対応して、やっと仕事が終わった後、ふと「あのときお願いすればよかった」と思う。でももう遅い。何度も繰り返す後悔が積み重なって、結局次も言えない。勇気がないだけかもしれない。でも、その勇気を出すタイミングが、毎回一瞬で消えてしまうのだ。笑って話せる日が来るのか、それすらもわからない。

気を遣う性格が邪魔をする

昔から「気を遣いすぎ」と言われてきた。相手の表情や声色を無意識に読んでしまうせいで、必要な一言が言えないことがよくある。司法書士としては丁寧だと褒めてもらえるけど、経営者としては完全に不器用だ。口コミをお願いするのも、相手にとっては数分の手間。でも、その「手間」を強いる自分に、罪悪感を感じてしまうのだ。人にお願いをすることが苦手な性格は、こういう場面で決定的な弱点になる。

お願いして嫌な顔された記憶

一度だけ勇気を出して、「もしよければ…」とお願いしたことがある。お客様は笑顔だったが、目の奥に一瞬だけ、ほんの一瞬だけ「めんどくさいな」という感情が見えた気がしてしまった。それが本当にあったかどうかなんて関係ない。そう“感じてしまった”ことが、次の一歩を遠ざけた。相手に負担をかけてしまったと思い込み、自分の中で自己否定が始まる。やっぱり言わなければよかった、と。

相手に負担をかけたくない…のに苦しくなる

相手に余計なことを頼みたくない――そう思えば思うほど、仕事が終わった後に苦しくなる。「自分の仕事を評価してくれているなら、書いてくれるかも」と頭では思っても、言葉が出ない。むしろ、信頼関係ができたからこそ「無理させたくない」と思ってしまう矛盾。気を遣えば遣うほど、気持ちは孤立していく。そして結局、何も伝えられないまま、また同じ一日が終わっていく。

仕事に追われながら、営業もできない日々

地方の司法書士事務所は、宣伝しないとすぐに忘れ去られる。でも、毎日業務に追われている中で、SNSやブログの更新、口コミのお願いまでは手が回らない。事務員さんは一人だけ。彼女に営業的な仕事まで任せるのは酷だと思ってしまう。結果、すべて自分で抱えることになり、営業が後回しになる。そして月末に「今月、紹介なかったな…」と静かに落ち込むのだ。

お客様対応で精一杯、それでも集客は必要

日中は登記の相談、書類作成、提出、電話対応。お客様の不安に丁寧に応えようとすれば、それだけ時間もかかる。それが終わった後に、ホームページをいじったり、DMを作ったりする気力は残っていない。でも、紹介がなければ仕事は減っていく。集客ができなければ事務所の未来はない。わかっているけど、今の忙しさを乗り越えるので精一杯で、未来の準備ができないまま毎月が終わっていく。

事務員さんには頼めないこの領域

「営業は苦手なので代わりにお願いできませんか」と事務員さんに頼むのは、どこか無責任な気がする。彼女は十分に頑張ってくれている。電話応対、来客対応、書類のチェック…それだけでも感謝しかない。そこに加えて「口コミのお願い」まで振るのは、僕にとって気が引ける。だから結局、自分でやるしかない。でも、それができないから、同じところで立ち止まっている。

「暇になったらやろう」は永遠に来ない

「もう少し落ち着いたら、宣伝のこと考えよう」――これは何度も自分に言い聞かせてきた。でも、その「暇」はたぶん永遠に来ない。現場に出続けていれば、常に何かしらの案件に追われている。書類が片付いても、次の依頼が舞い込む。そのくり返しの中で、後回しになっているのが営業活動であり、口コミのお願いだ。自分で動かない限り、状況は変わらない。それもわかっているのに、動けない。

SNSも苦手、宣伝が苦痛

最近では「SNSで情報発信すれば集客できますよ」と言われることが多い。でも、スマホに向かって自分のことを語るのが苦手だ。文章を書くのは嫌いじゃない。でも「いいね」の数や「拡散」の有無に心をすり減らすのは、もう疲れてしまった。そもそも司法書士の仕事は地味だし、映えるような写真もイベントもない。それをどう「面白く」見せるのかなんて、わからないのだ。

映える生活じゃないし、映す気力もない

カフェで作業、セミナー登壇、成功した相談事例――そんなものは僕の生活にはない。机に向かい、書類と向き合い、昼ご飯も食べ忘れるような日常。それを「発信」したところで、誰が見るのか? という疑念が常に頭をよぎる。だからスマホを開いても、すぐに閉じてしまう。「ちゃんとやってるよ」と言いたい気持ちはある。でも、それを言う方法がわからない。

発信=自分を売る、というしんどさ

情報発信という行為そのものが、どうしても「自分を売ること」と感じてしまう。そして、自分を売ることにどうしても抵抗がある。誇張したり、良く見せようとしたりするのが苦手だ。等身大でいることが信条なのに、発信の場では「強く見せる」ことが求められる。だから、やればやるほど自分が削れていく感覚になる。誰かのためにやっているつもりなのに、気づいたら苦しくなってしまっている。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。