「結婚してないんですか?」から始まる地味なダメージ
依頼者との面談で、ふとした雑談の中に「先生、結婚は?」という言葉が挟まれることがある。悪意はないのはわかっている。雑談の一環、世間話の延長線。だけど、答えたあとの空気が少しだけ変わるのを、僕は何度も感じてきた。「ああ、独身なんですね」と、なぜか少し残念そうに言われるあの感じ。まるで「何かが足りない人」とでも言われたかのような、妙な空気が部屋に漂う。結婚していないというだけで、信頼の前提に小さなヒビが入る。それは、言葉にならないけれど、確かにある。
まず肩書じゃなく家庭の有無を聞かれる不思議
僕は司法書士で、法律の専門家として登記や相続の手続きに責任を持って取り組んでいる。それでもまず、「この人は結婚してるのか」が確認される現実に、やるせなさを覚える。何かの保証になるとでも思っているのか、「家庭がある人=常識人、しっかりしている」というイメージが、根強く残っているように感じる。まるで結婚が社会的な信用スコアの一部になっているような錯覚。資格より、実績より、まずは指輪があるかどうか。その順序に、時々、笑う気力もなくなる。
独身=無責任? その勝手な期待と偏見
「結婚してる人の方が、ちゃんとしてそう」という声を何度か聞いたことがある。独身だと、何かトラブルがあったときに逃げるんじゃないか、責任感が薄いんじゃないか、という偏見があるらしい。でもね、僕は逃げずに、ずっとこの仕事を続けてきた。休日返上で書類を整え、何度も事務所に泊まり込んだこともある。それでも、「独身」というラベルひとつで、説明の必要が出てくる。勝手な期待に応えろというプレッシャーが、じわじわと肩に乗ってくる。
依頼者との距離感、独身だとどうも不利
地元の人たちとの距離感は、意外と「家庭」がバロメーターになることがある。子どもがいれば学校の話、妻がいれば家庭の話。そういう共通点がないと、なんとなく会話が続きづらくなるのだ。結果、「ちょっと話しづらい人」と思われてしまう。仕事の中身は変わらないのに、独身であることが壁になる。これは僕の被害妄想なのか? いや、たぶん、少し現実でもある。
家庭がある人の方が“安心感ある”と言われた経験
以前、ある依頼者にこんなことを言われた。「先生みたいな人が結婚してないって、逆に不安です」——この言葉は、今でも胸に引っかかっている。僕にとっては人生の選択の結果であって、何か問題があって独身を選んだわけじゃない。それなのに、「ちゃんとした人=既婚」というラベルを、当然のように貼られてしまう。安心感とは、経験やスキルではなく、家庭の有無で測られるものなのだろうか。
「夜も電話出られるんでしょ」と言われる独身特有の損
結婚していないというだけで、フットワークが軽いと思われるのも困る。「先生、夜でも電話つながりますよね?」「土日も空いてますよね?」——そんな風に言われるたびに、内心ではため息が出る。僕だって人間だし、休みたい日もある。だけど「独身なら時間あるでしょ」という雑な推測が、こちらの生活リズムをじわじわ侵食してくる。便利に扱われることで信頼されるなら、それはもう信頼ではない気がしてしまう。
職場でも肩身が狭い? 既婚者前提の文化
司法書士業界の集まりでも、結婚しているかどうかが話題にのぼることがある。「子どもがね」「奥さんがさ」といった話題についていけないと、やっぱり少し孤立する。特に地方では、「結婚=一人前」という価値観がいまだに根強い。そういう文化の中では、独身でいることがあたかも未完成であるかのように扱われる。そして、そうした空気の中にいると、自分でも「足りない人間なんじゃないか」と思ってしまう。
「家族の都合」は休み理由として強いけど…
同業の仲間が「子どもの発熱で今日は帰ります」と言えば誰も文句を言わない。でも僕が「今日はちょっと疲れたんで…」と言えば、「まぁ独身だしね」と軽く見られる空気がある。家族という理由があると、すべてが正当化される。逆に言えば、独身には正当な“休む理由”が与えられにくい。そんな理不尽が日常に溶け込んでいる。
独身の休日=ヒマと思われてないか
「休みの日は何してるんですか?」と聞かれるたび、答えに困る。特別なことをしていないと「ヒマそうですね」と言われ、ちょっと充実してると言えば「じゃあ平日もできますよね?」と返される。どっちに転んでも、独身だと損な構造が出来上がっている気がしてしまう。別に僕は、休日をヒマで埋めてるわけじゃない。
祝日に一人でいると、やっぱりちょっと切ない
カレンダーの赤い日、商店街のにぎわいや家族連れを横目に、自分は誰とも会話せずにコンビニで弁当を買って帰る。そんな自分がふと虚しくなることがある。誰に責められてるわけでもないのに、「こうあるべき」から外れている自分を、静かに責めてしまう。
独身のまま、信用を積むにはどうすれば
だからこそ、僕は日々の仕事に真剣であろうと思う。家族がいる人と同じように、責任を持って向き合う。結婚してないからといって、手を抜く理由にはならないし、抜いてきたつもりもない。だけど、現実として「独身だからちょっと不安」という目があるなら、それを少しずつ覆していくしかないんだと思う。
仕事で結果を出しても“人として信用できるか”の壁
契約書を完璧に仕上げても、登記を即日完了させても、「いい仕事するね」だけでは終わらない。「でも独身なんだよね」——このひと言で、全部が一段下に置かれてしまう感じ。そういう壁を感じたことは、一度や二度じゃない。信頼って、仕事の出来で築くべきじゃないのか? いつも自問自答している。
結婚してない=孤立してると思われる不条理
「独身=孤独=人間関係に難あり」みたいな三段論法で見られていることもある。僕だって少しはひねくれてるかもしれない。でも、たまたま今は独身でいるだけで、それがすべての評価につながってしまうのは、やっぱり不条理だ。
愚痴になるけど、本音で言いたいこと
正直に言えば、こういう話は誰かにする機会もないし、したところで「気にしすぎじゃない?」で終わることも多い。でも、実際にこういう気持ちで日々仕事してる人間もいるんだということは、どこかに残しておきたい。誰かの励ましにはならなくても、誰かの共感にはなるかもしれないから。
人柄と信頼は本来、無関係なはずなのに
僕は、真面目に、誠実に、対応してきたつもりだ。でも、それでも「信用できる人ですね」と言われるのは、既婚の同業者の方ばかり。信頼と人柄が無関係なわけじゃないけれど、少なくとも婚姻歴が決めるものではないはずだ。どうしてそれが、今も基準のひとつになっているのだろう。
家族がいないことを「欠けてる」と言わないでほしい
独身でいることは、足りないことじゃない。選んだ道でもあるし、たまたまの結果でもある。どちらにせよ、「何かが欠けてる人」みたいに見られるのは、本当にこたえる。全力で働いている今の自分が、何かの“未満”扱いを受けるのは、やっぱり悲しい。
「独身のままでいいの?」は余計なお世話
善意だとわかっていても、「独身のままでいいの?」という言葉には少し傷つく。それは、今の生活を否定するような響きを持っている。結婚が幸せのゴールだなんて、もう令和なんだから、少しは違う価値観を認めてほしい。
でも、こんな独身司法書士でも頑張ってます
日々、黙々と案件をこなし、事務員と二人三脚で事務所を支えている。派手な成功はないし、SNSでバズるようなこともない。でも、地元の誰かの役に立っているという実感が、僕を少しだけ前向きにしてくれる。
小さな事務所で、地味に続けてきた日々
10年以上、何度も壁にぶつかりながら続けてきた仕事。たまに愚痴りたくなるけど、それでも信頼される一歩は、地味な積み重ねだと信じてる。だから今日も、書類とにらめっこしながら、黙々と。
信頼は、時間をかけて育てるしかない
独身だろうが既婚だろうが、信頼されるには時間がかかる。肩書や家庭環境ではなく、行動で積み上げるしかない。それは遠回りだけど、嘘のない道。僕はこのやり方で、これからも歩いていくつもりだ。
同じような立場の人へ、伝えたいこと
もし、あなたが独身であることで少し肩身の狭い思いをしているなら、この記事を読んで、少しでも「自分だけじゃない」と思ってもらえたらうれしい。みんながそれぞれの形で、毎日を頑張っている。ただそれだけで、十分価値がある。
独身だろうが既婚だろうが、信頼されるときはされる
結局のところ、誰にだって偏見はある。だけど、それを超えて信頼される瞬間は、確かに存在する。それを信じて、今日も淡々と、僕は司法書士としての仕事に向き合っている。
愚痴をこぼせる相手がいないなら、ここでこぼして
誰にも言えない愚痴があるなら、僕のように文章にして残してみてほしい。それだけで、ちょっとだけ気持ちが軽くなるかもしれない。人生はうまくいかないことばかりだけど、こうして誰かとつながれるなら、それでいいと思える日もある。