一日の終わり、ふと感じる空虚さ
仕事が終わり、ようやく事務所を閉めて帰宅したあと。テレビをつけても、スマホをいじっても、心がどこか落ち着かない。そんな夜が、週に何度もある。誰とも口をきかずに終わる一日だって珍しくない。世間では“孤独のグルメ”だの“おひとりさま”だの気楽な響きで言われてるけど、実際のところ、静けさが重くのしかかる日もある。ふと、「誰かに抱きしめてほしいな」と思う。でもそんな相手はいない。45歳、独身、司法書士。これは、ただの愚痴なのかもしれない。
忙しさの中で見失う自分
毎朝、目が覚めた瞬間から「今日やるべきこと」が頭をよぎる。遺産分割協議書のチェック、登記申請の準備、相続人との面談…。次から次へとタスクが押し寄せて、気づけば一日が終わっている。手を抜いたら即クレームや補正だ。集中して働くのは嫌いじゃないけど、どこかで自分を置き去りにしている感覚がある。忙しいはずなのに、心はずっと寒い。自分が誰かの役に立っている実感よりも、「ちゃんとこなさなきゃ」という義務感ばかりが強くなる。
「今日も誰とも話していない」と気づく瞬間
ある日ふと、スマホの通話履歴を見たら、2日間誰とも通話していなかったことに気づいた。LINEも、仕事の確認だけ。人と話すのが苦手なわけじゃない。むしろ話すのは好きだし、相談されれば親身になって答えるタイプだと思ってる。でも、自分から誰かに連絡することはめったにない。夜、コンビニのレジで「ありがとうございました」と言われて、「あ、今日初めて声をかけられた」と思うような日が、確かにある。
仕事に追われる毎日が生む孤独
司法書士の仕事って、外から見ると「堅実」「安定」と思われがちだ。でも実際は、孤独で地味な仕事だ。ひとつひとつの案件に正確さと慎重さが求められ、プレッシャーも大きい。それに、基本的には一人で黙々と進める作業が中心。お客様との接点も多くはなく、心を許せる仲間が事務所にいるわけでもない。事務員は一人雇っているけど、彼女に愚痴をこぼすのもどこか違う気がして、結局ひとりで飲み込む。
司法書士という職業の「静けさ」
事務所の中は、静かだ。BGMをかけることもあるが、電話が鳴らない時間はひたすらキーボードを打つ音と、自分の息づかいだけが響く。外出して登記簿を取りに行く時だけが、ちょっとした気分転換。でも、それだって作業の一部に過ぎない。誰かと雑談したり、笑い合ったりする時間なんて、ほとんど存在しない。司法書士って、こんなに孤独だったっけ?とふと思う。
電話と書類だけで終わる一日
この前なんて、一日中誰とも顔を合わせなかった。メールとFAXと郵送と、PDFのチェック。誰の声も聞かず、ただ事務所で時間だけが過ぎていった。電話は鳴る。でも、それも確認や修正の連絡であって、感情を交わすような会話じゃない。人と会わなくても仕事が回る。それは効率的かもしれないけど、人として何か大事なものが失われていく気がしてならない。
それでもミスは許されないというプレッシャー
孤独な中で働いていても、ミスは絶対に許されない。公的な書類を扱う以上、1文字の間違いも致命傷になることがある。誰にも相談できず、一人で確認作業を何度も繰り返す。眠くても、疲れていても、正確さを求められる。「人に頼らずにやってきた」と言えばカッコよく聞こえるけど、実際は「誰にも頼れない状況」でやってきただけだ。ミスを恐れて寝つけない夜が、月に何度もある。
誰かと分かち合いたくなる瞬間
ときどき、ふいに思う。「この瞬間を誰かと分かち合いたい」と。たとえば、難しい案件が通ったとき。依頼者から「ありがとうございます」と頭を下げられたとき。そんな時こそ誰かに「お疲れさま」と言ってほしくなる。でも、誰にも言えない。事務所の外に出ても、帰りを待つ人はいない。ただ缶ビールを買って、夜の部屋で一人乾杯するだけ。せめて、その喜びを一緒に感じてくれる誰かがいたら…と思ってしまう。
登記が通ったときの小さな喜び
法務局から戻ってきた通知書。「登記完了」のハンコを見た瞬間、毎回ホッとする。でもその喜びは、ほんの一瞬で終わる。机の端に積まれていく完了書類を見て、「ああ、またひとつ終わったな」と思うだけ。それがルーティンになると、達成感も薄れていく。大きな山を越えても、誰かが「よくやったね」と言ってくれるわけじゃない。たまには誰かに拍手してもらいたい。そんな気持ちになる。
でも、誰もそれを祝ってくれない
たとえば会社員だったら、上司や同僚がいて、成果を分かち合える場面があるのかもしれない。でも個人事業主の司法書士には、そんな場面は少ない。そもそも「祝う」という文化がない。大きな案件を終えても、「次があるから」とすぐに頭を切り替えなきゃいけない。気がつけば、何かを祝うという感情さえ鈍ってきている。気づいた時には、「祝ってもらいたい」なんて言うこと自体が恥ずかしいことのように思えてしまう。
モテないことが辛いんじゃない、分かち合えないことが辛い
「モテない」って言うと笑われるけど、別に彼女が欲しいとか恋愛したいって気持ちより、「自分の時間を分け合える誰か」が欲しい。忙しさにかまけて、人付き合いも疎遠になってしまった。婚活アプリだって一応やってみた。でも、うまくいかない。自分の仕事を理解してくれる人なんて、なかなかいない。「誰かに抱きしめてほしい夜」があるのは、きっと甘えじゃない。自分をちゃんと保つための、本能的な願いなんだ。
「おつかれさま」の一言の重み
誰かに「おつかれさま」と言われるだけで、涙が出そうになることがある。人って、そんなに複雑じゃない。ただ少しの共感と、寄り添う気持ちがあるだけで、救われることがある。だからこそ、この仕事をしていても、「ありがとう」や「助かりました」という言葉に救われる。でも、それが日常になると、だんだんとその重みも薄れてしまう。そんな時にこそ、「誰かに抱きしめてほしい夜」が訪れる。
それでも明日も仕事がある
どれだけ孤独でも、愚痴が止まらなくても、明日もまた登記の準備をして、法務局に行かなきゃいけない。誰にも言えないけど、実はけっこうしんどい。それでも仕事は待ってくれないし、誰かの困りごとを解決できるこの仕事を、心のどこかでは誇りにも思っている。だから、今日も一人で晩酌して、「また明日」と自分に言い聞かせる。そんな日々の繰り返しが、今の自分を形作っている。