「幸せそう」と言われるたびに、なんだか疲れる司法書士の日常

「幸せそう」と言われるたびに、なんだか疲れる司法書士の日常

「幸せそうだね」の一言に、何を返せばいいのか

「幸せそうだね」と言われるたびに、なんとも言えない気持ちになります。悪意があるわけじゃないのは分かってるんです。ただ、こちらの内情も知らずに言われると、妙に虚しくなるんですよね。朝から晩まで依頼に追われ、休日も電話が鳴りっぱなしで、笑顔なんて自分でつくってるだけ。たまたまタイミングよく会ったときに、たまたま疲れた顔をしてなかっただけで、それが「幸せそう」に見えるらしい。心の中では「何が幸せだよ」と思いながらも、つい「ありがとうございます」なんて返してしまう自分がまた、しんどいんです。

笑顔で受け流す自分に、少しずつ疲れていく

そんな言葉を受け流すことも、仕事の一部だと割り切っていた時期もありました。特にこの仕事をしていると、表情一つで信用が変わることもあるから、なるべく明るく、なるべく穏やかにしてきたつもりです。でも最近は、その笑顔がだんだん苦しくなってきました。演じている時間が長すぎて、ふと気を抜いたとき、自分の顔がどんな表情をしているのか、わからなくなっている。これは演技なのか、それとももう素なのか。わからないまま、人の前ではずっと「感じのいい司法書士さん」でいなきゃならない自分に、正直疲れているんです。

見た目では判断できない「中身の疲弊」

見た目は清潔にしているつもりだし、服装だって地味すぎず派手すぎずを意識している。でも、そんな表面だけで判断される「幸せそう」って、ずいぶん薄っぺらいなと思うことがあります。忙しさに追われてコンビニ飯をかきこむ日々、ふとした瞬間に「このまま倒れたらどうなるんだろう」と考えてしまう夜、全部、笑顔の裏にある現実です。誰に頼れるわけでもなく、自分で背負うしかない。そういう重さを、見た目じゃ誰も気づいてくれないのがまた、寂しさを募らせるんです。

お客さんにも、同業者にも、いつの間にか演技している

依頼者には「この先生に任せれば大丈夫」と思ってもらえるように、なるべく弱音は吐かないようにしてます。同業者にも、忙しい自慢にならないようにしつつ、ちゃんと仕事してますよ風を装う。気づけば、どこでも演技してるんです。素の自分なんて出す場所がない。誰かと話しているとき、自分の言葉が本音なのかどうか、分からなくなるときもある。たまにぽつんと漏れた愚痴に、相手が笑って流すと、「ああ、やっぱり黙ってた方がよかったか」とまた一人に戻っていく。この繰り返しです。

司法書士は「安定してていいね」と言われるけれど

この仕事をしていると、「司法書士って安定してていいよね」と言われることがよくあります。確かに資格職だし、独立もできる。見た目だけで言えば安定しているように映るのかもしれません。でも現実は、そんなにのんびりしたもんじゃない。小さな事務所なんて、営業から実務、クレーム対応まで全部一人で回してる。売上が安定しない月もあるし、相談はあるのに契約にならない日々が続くと、メンタルもだだ下がり。安定してるのは、苦労の多さだけかもしれません。

実際は安定より、ひたすら綱渡り

一人でやっていると、すべてが自分の責任です。体調を崩しても、誰も代わりはいない。売上が悪くても、誰かがカバーしてくれるわけじゃない。何かあれば、すぐに信頼も収入も吹き飛ぶ世界です。案件ひとつで、翌月の資金繰りが変わってくる。新規の依頼が少ない月は、心の中で「やばいな…」と何度もつぶやく。そんな綱渡りのような日々を送りながら、「安定してていいね」なんて言われると、ため息しか出てきません。

休みの日の電話が鳴る音にビクつく

たまの休みにも、電話は容赦なく鳴ります。「至急でお願いしたいんですが…」という声に、断る勇気もなく、また予定を潰す。それが何度も続くと、もう予定を立てるのが怖くなる。日曜にちょっと遠出しようとするときも、着信音が鳴るたびにスマホを睨みつけてしまう。「これ、また仕事かな」「これ、すぐ対応しないとまずいかな」と、休日すら休めない。そんな状態が続いていても、「幸せそう」って言われるんだから、人って本当に他人のこと見てないなと思う瞬間です。

数字のプレッシャーも、人間関係のしがらみもある

この仕事、実はかなり営業色も強いんですよね。紹介が来ないと、未来の収入はゼロになります。だから人間関係も無下にできないし、断りづらい相手とも付き合わないといけない。数字のことも常に頭にあるから、1件1件の相談に妙なプレッシャーがかかる。お金をもらうってことの重さを、独立してからより強く感じています。だからこそ、「司法書士って自由でいいね」なんて言葉が、どこかズレて聞こえてしまうんです。

「独身=自由でいいね」も、なかなかしんどい

「結婚してないから自由でいいね」って、よく言われます。これも「幸せそうだね」と似た系統のセリフ。だけど現実の独身って、自由というより、孤独と紙一重なんです。誰にも迷惑をかけずに済む一方で、誰にも頼れないという現実がある。病院の待合室で、一人で座ってる自分をふと見たとき、思わず情けなくなったこともあります。自由って、そんなに気楽なものじゃないと思うようになりました。

自由じゃなくて、気を使われてないだけかもしれない

「予定空いてるでしょ?」とか「どうせ一人でしょ?」って言われると、「ああ、自分ってそう見られてるんだな」と感じます。自由というより、単にスケジュールを他人に使いやすい人間になっているだけ。誰も気を使わず、気軽に頼める存在として扱われている。そうなると、もはや「自由」は褒め言葉ではなくて、「配慮の外にいる人」って意味に聞こえてきます。そう思う自分がまた、ちょっと卑屈すぎるのかもしれませんけど。

頼られないことが、こんなに寂しいとは

若い頃は、「誰にも頼られず自由に生きたい」と思っていました。でも、歳をとるにつれて、「誰にも頼られない」ことの虚しさの方が大きくなってきました。困ったときに真っ先に思い浮かぶ相手がいない、自分が真っ先に思い浮かべられる相手にもなれていない。そんな存在の薄さに、ふとした瞬間に涙が出そうになることがあります。だからこそ、せめて仕事だけはちゃんとしようと思う。そうでもしないと、自分の存在意義を見失いそうになるんです。

なんで頑張ってるんだっけ?と思う夜もある

毎日一人で、がむしゃらに働いていると、ふと「何のために頑張ってるんだっけ?」と立ち止まってしまうことがあります。誰かのために頑張ってるわけでもない、自分のためだけにしては、ちょっとしんどすぎる。それでも辞められないのは、責任と、ほんのわずかなプライドがあるからかもしれません。仕事を放り出したら、自分が崩れてしまう気がする。だから今日も机に向かって、書類をめくる。そんな夜を何度も繰り返しています。

でも、やめる勇気もない自分がいる

正直、やめてしまいたいと思ったことも何度もあります。でも、いざ辞めるとなると怖いんです。何をしたらいいかわからないし、自分には司法書士しかないと思っている。そんな自分の狭さもまた情けない。でも、他に何かができる気もしない。気づけばこの仕事が、自分のすべてになっていた。それは誇りでもあり、呪いでもあるのかもしれません。

たまに届く「ありがとう」の一言が、かすかな救い

そんな日々のなかでも、依頼者からの「ありがとう」の一言が、心にしみることがあります。ああ、自分は誰かの役に立てたんだなと思える瞬間だけは、ちょっとだけ救われます。直接的な報酬よりも、その言葉の方が自分にとっては大きな価値がある気がしています。だから、やっぱり今日もまた、少し疲れてても、机に向かってしまうんです。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。

疲れていても仕事は待ってくれない

疲れていても仕事は待ってくれない

今日も机に向かうけど、心はすでに帰りたがっている

朝、目覚ましが鳴る前に目が覚めた。正確には、眠りが浅すぎてほとんど寝た気がしないまま布団から体を引きずり出した。司法書士という職業は、一見デスクワーク中心で体力は使わなさそうに見えるかもしれない。でも実際には、体よりも先に心が削れていく。今日も事務所に行かなければ。依頼者からの電話やメールが待っている。法務局の期限も迫っている。けれど正直、心はもう事務所に行きたがっていない。ただただ、「今日だけは休ませてくれ」と願っている。

朝起きた瞬間からすでに疲れている

毎晩寝る前に「明日はちょっと余裕があるかも」と希望を持って布団に入るのに、目覚めた瞬間にその希望は跡形もなく消えている。あの感じ、なんだろう。まるで借金返済の督促状が寝起きに投げ込まれてくるような圧力。僕の場合、地方の小さな事務所だから代わりの人間はいないし、事務員も一人だけ。だからこそ、どんなに眠くても、どんなに体調が悪くても「自分がやらなきゃ」という思いが常にある。まるで、自分の体力と引き換えに回っている歯車のような毎日だ。

誰も助けてくれない、という現実

「手伝えることあったら言ってくださいね」と言われたことがある。でも、本当に頼んでいいのかと迷ってしまうのがこの業界の難しさだ。法律が絡む仕事は、責任の所在がはっきりしている分、気軽に「じゃあこれやっておいて」とも言えない。結局のところ、自分で抱え込んでしまう。自分が倒れたら終わり。でも誰かが代わりにやってくれるわけでもない。その矛盾と孤独が、日々じわじわと心を蝕んでいく。

「ちょっとだけ休みたい」が永遠に叶わない

何度も思う。「今日だけは休もう」と。けれど、その“今日”に限って大事な登記申請があったり、急な相談の電話が入ったりする。まるで、休もうとする意思を試すかのように仕事は襲いかかってくる。時間に追われる生活が続けば、体も気持ちも麻痺してくる。けれど、それでも仕事は止まらない。誰も「もういいですよ、今日は休んで」とは言ってくれない。

依頼は止まらず、登記も止まらない

登記は待ってくれない。申請期限、法務局の開庁時間、依頼者の希望スケジュール――すべてがこちらの都合などおかまいなしに進んでいく。昔、一度だけ締切前日に高熱を出して寝込んだことがある。でも布団の中でも頭はぐるぐると回転していて、「あの書類、間に合うか」「補正が来たらどうしよう」と不安が止まらなかった。結局、翌朝フラフラになりながら法務局へ出かけた。そのときの達成感より、ただただ「誰か代わってくれ」という無力感の方が強く記憶に残っている。

休日に来る着信の恐怖

日曜の午後、ようやく久しぶりに録画していたドラマを観ようとした矢先、スマホが鳴る。番号を見て、依頼者とわかる。出たら終わる。何かトラブルだ。出ないという選択肢もある。でも、出なければ不信感を持たれるかもしれない。その一瞬の迷いのうちに、着信は切れた。結局、観ていたドラマの内容はまったく頭に入らず、気持ちだけがざわざわしたまま日曜が終わってしまった。

「出たら最後」だからこそ、出たくない

一度電話に出れば、そこからメール、LINE、書類の確認……と、次々と「休日ではなくなる」スイッチが押されてしまう。だから怖い。何気ないワンコールが、休みを崩壊させる合図になることもある。急ぎで大事な案件もある。でも、なぜ土曜の夕方や日曜の昼に限って電話がかかってくるのか。運命を恨みたくなるときさえある。

無視すればいい? それができたら苦労しない

「無視すればいい」「折り返せばいいだけでしょ?」と言う人がいる。でも、それができない性格だからこの仕事をしているのかもしれない。依頼者との信頼関係は壊れやすく、誤解も生じやすい。だからこそ、無視することへの罪悪感が膨らむ。たった一本の電話が、精神的に何倍も重くのしかかるのだ。休日は心の休みであるはずなのに、逆に緊張とストレスで終わる日も少なくない。

事務員一人でも、ありがたい…でも限界はある

うちの事務所には長く勤めてくれている事務員さんが一人いる。それだけで本当に助かっているし感謝している。でも、任せられる範囲にも限界があるし、負担をかけたくないという気持ちもある。だからつい、仕事を一人で抱えてしまう。そしてまた、自分が疲弊していくという悪循環。小規模事務所の経営者は、孤独との戦いでもある。

全部任せられるわけじゃない

登記の書類一つとっても、最終確認や押印、責任の所在はすべて自分にある。信頼していても、やはり「もし何かあったら」と思うと、最後の最後まで手放せない。結果的に、夜遅くまで自分だけ残って確認作業をしている。きちんとした人に限って、自分でやらないと気が済まない性分なのかもしれない。

「先生、ちょっといいですか?」が刺さる日

忙しいときに限って「先生、ちょっといいですか?」と声をかけられる。その「ちょっと」が、実は30分以上の話になることもある。そして話し終わる頃には、自分の仕事がさらに後ろ倒しになっている。わかってる、相談してくれるのはありがたい。けれど、正直な気持ちを言えば「今日だけはそっとしておいてくれ」と思う日もある。

体調が悪くても、代わりはいないという絶望

熱があっても、胃が痛くても、ぎっくり腰でも、とにかく出勤するしかない。誰かに任せるという選択肢がないということは、つまり「働けなくなったらすべて止まる」という意味でもある。これは、体調不良そのものよりも、精神的に追い込まれる理由になる。

熱があっても、登記は待ってくれない

38度の熱があった日の記憶は、いまだに鮮明だ。汗をかきながらキーボードを打ち、なんとか申請を完了させた。でもその後、ぐったりと椅子に沈んで動けなくなった。誰も褒めてくれないし、休んだ分の補填もない。ただ「間に合った」という事実だけが残る。これが士業か、と苦笑いするしかなかった。

病院に行く時間すら惜しい

「行った方がいいですよ」と言われるけど、病院に行くことで一日潰れることもある。午前中いっぱい待たされ、診察してもらい、薬をもらって、戻ってきたら午後が終わっている。だったらもう少し我慢して仕事してしまおう、と考えてしまう。でもそれを繰り返すうちに、確実に身体はすり減っていく。

寝ていても、頭の中で締切が鳴っている

ようやく布団に入っても、思考が止まらない。「あの書類、あれでよかったか?」「法務局から補正が来るかもしれない」など、心配事が次々に浮かんでくる。眠りにつくまでに何度も寝返りを打ち、結局また眠れぬまま朝を迎えることもある。体が休んでいないことに、心が追いつけなくなっていく感覚――これが一番しんどいのかもしれない。

それでもやめられない理由がある

こんなにしんどいのに、それでもこの仕事を続けている自分がいる。理由は明確じゃない。ただ、依頼者の「助かりました」という一言や、登記が無事に完了したときの安堵感。そういった小さな達成感が、疲れの中にぽつんと灯る。もしかしたら僕は、自分の限界を試し続けているのかもしれない。でも、誰かの役に立てるなら、それはそれで悪くない――そんなふうに、自分を言い聞かせながら今日もまた仕事に向かう。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。