日常のルーティンに潜む小さな波紋
登記の仕事というのは、ある意味で単調で、だからこそ恐ろしい。毎日同じような申請書、同じような謄本、同じような確認作業。目を閉じていても手が動くような作業のなかに、ふとした“ズレ”が生まれる。それに気づかないまま提出してしまうことがあるのだ。たとえば先週もそうだった。「この件、登録免許税の計算が違ってますよ」──登記官の一言で冷や汗。自分の確認不足を悔やみながら、また同じ場所に戻って訂正作業をする。やるせなさが胸に広がる。
ルーティンに埋もれる日々の業務
仕事の内容がある程度ルーチン化していることは、効率という面ではありがたい。しかしそれが油断を呼ぶ。毎日が“だいたいこんな感じ”で流れていく中で、確認の目が曇るのだ。あまりにも慣れてしまって、「いつも通りに処理すればいいや」と思ってしまう。まるで同じ風景の中を毎日歩いているようで、気がついたら石につまずいていた──そんな感じだ。ルーチンの中にある危機は、決して侮れない。
同じようでいて、毎日少しずつ違う
司法書士の仕事は、表面的には同じような書類ばかりに見える。けれど実際には、案件ごとにちょっとずつ違う点が隠れている。委任者が法人か個人か、住所の番地表記の揺れ、時には不動産の権利関係そのものにひねりがある。そうした微妙な違いを見落とさずに処理していくことが求められるのだが、慣れてくるとその感覚が鈍ってしまう。油断というのは、仕事の敵だ。
小さな違和感が気づかぬうちに積み重なる
「なんとなく違和感あるけど、たぶん大丈夫だろう」──その判断が命取りになる。以前、軽い気持ちで提出した書類に誤字があり、補正の連絡が来たことがある。恥ずかしいやら情けないやらで、その日はずっと気持ちが重かった。小さな違和感こそ、慎重に扱うべきだったのだ。それが積み重なると、自分自身への信頼を揺るがすことになる。見逃しがちな違和感こそ、大切にすべきだったと痛感した。
登記官の“ひと言”が心に刺さるとき
登記官からのちょっとした指摘が、まるで心を射抜くような衝撃になることがある。忙しい中、ようやく仕上げた書類。やっとの思いで提出したその瞬間、「これ、ちょっと…」の一言が飛んでくる。たとえそれが正当な指摘であっても、その日はもう立ち直れない。こちらの努力をまったく見てもらえていないような気持ちになるのだ。そんな時、ふと「自分、何やってるんだろうな」と思ってしまう。
たった一言で崩れる自信
司法書士という職業は、ある意味で孤独な仕事だ。何かを“教えてもらう”ことは少なく、自分で調べて、考えて、処理していく。だからこそ、登記官の言葉が効く。以前、「これは、ちょっと配慮が足りないですね」と言われたことがあった。確かにそうだった。でもその一言で、自分のすべてを否定されたような気がして、落ち込んだ。誰かに言われる前に、自分で気づければよかったのに。
何気ない指摘がプレッシャーに変わる瞬間
登記官の仕事は厳格で、基本的に「甘さ」はない。だからこそ、その何気ない言葉が刺さる。優しさのない言い方ではないのに、妙に冷たく感じてしまうのは、自分の心が弱っているからかもしれない。以前、書類のミスを「こういうの、けっこう多いですよ」と軽く言われたことがあった。その一言が頭から離れず、「自分だけができていないのでは?」と勝手にプレッシャーを感じてしまった。
書類一枚の向こうにある重み
一枚の登記申請書。その裏には、依頼者の生活、財産、時には人生がかかっている。自分が一つミスをすれば、誰かの予定が狂い、迷惑がかかる。登記官の指摘は、それを未然に防ぐためのものだと頭ではわかっている。だけど感情はそう簡単に割り切れない。「自分がしっかりしていれば…」という悔しさと、「またか…」という絶望感が、じわじわと胸に広がる。
「あの書類、もう一度見直してみて」
そのひと言。何度聞いてきただろうか。業務の合間にふいに飛んでくるこのセリフには、独特の重みがある。自分の確認不足か? 何が抜けていたのか? ぐるぐると頭の中で思考が回り始め、手元の仕事が止まる。その一言が、流れていた時間のリズムを崩す。
そのひと言が、仕事の流れを止める
「あの書類ですが…」という登記官の声は、まるで時限爆弾のスイッチを押されたかのような緊張感を持つ。瞬時に“何かあったな”と察し、心拍が上がる。提出前に見直したはずの箇所に再び目を通し、頭の中は反省会モードに切り替わる。業務を止めて、書類をひっくり返しながら、気が重くなる。
チェック済みのはずが、見落としが潜む
二重チェックもして、間違いないと思っていたはずなのに。記入漏れ、小さな計算ミス、補正の余地がある書式──どれも、事前に防げたミスばかり。自分の甘さを痛感し、「またか…」と落胆する。チェックリストを強化しても、やはり人間の目は完璧ではないのだと思い知らされる。
自己嫌悪と戦う午後
再提出のために書類を作り直し、押印を再度もらいに走る午後。気温が高かろうと雨が降ろうと、そんなことは関係ない。とにかく動くしかないのだ。心の中では「どうしてあのとき気づかなかったんだ」と何度も自分を責めながら、クタクタになって一日が終わっていく。たった一言で、丸一日の流れが変わってしまうのが、この仕事のしんどいところだ。
登記官との距離感と対応の難しさ
登記官とのやりとりには、絶妙な距離感が求められる。フレンドリーすぎても不自然、かといって距離を取りすぎても情報が得にくい。緊張感のある関係の中で、いかにうまく立ち回るか。これは、経験を積めば慣れるという話ではない。タイミング、空気の読み方、すべてが求められる難しい対応力だ。
馴れ合いにもなれない、よそよそしくもできない
たとえば、何度も窓口で顔を合わせる登記官。雑談をしてもいい雰囲気なのに、仕事の話になると急にピリッとする。こちらも「どこまで踏み込んでいいのか」が分からず、結局ぎこちないやり取りになることも。長く付き合っているはずなのに、いつまでたっても距離が縮まらない。そういう関係性も多い。
正解のないコミュニケーション
登記官が何を望んでいるのか、それは一つの正解があるわけではない。場面や人によって違うし、何よりこちらの伝え方にも左右される。以前、丁寧に説明しすぎて「くどいですね」と言われたことがある。逆に要点だけを伝えたときは「ちょっと情報が足りない」と指摘された。もう、どうすればええんや。
タイミング次第で明暗が分かれる
結局、うまくいくかどうかは“タイミング”にかかっていることが多い。その日の登記官の機嫌、混雑具合、こちらの提出書類の内容。どれが少しでもズレれば、スムーズに進む案件も補正対象になる。「運が悪かったな」で済むこともあるが、積み重なるとメンタルへのダメージが大きい。
気を取り直してもう一度
それでもやるしかない。どれだけへこんでも、依頼者のために仕事を前に進めなければいけない。書類を直し、説明を加え、もう一度チャレンジする。その積み重ねが、この仕事を支えているのだ。登記官のひと言に心を折られたとしても、立て直す力を持たなければ続けていけない。
訂正印と再提出のストレス
何よりも嫌なのが、訂正印をもらいにもう一度訪問すること。依頼者に「すみません、もう一度ご対応を…」と頭を下げるのは、精神的に消耗する。相手の表情が曇るたびに、胃が痛くなる。だが、謝るしかない。そして、自分の未熟さを改めて噛みしめる。
「これが仕事」と割り切れない葛藤
「これも仕事のうち」と頭ではわかっていても、毎回同じようなミスでやり直すたびに、「本当にこれでいいのか」と悩む。もっと効率的なやり方はないのか、そもそも自分が向いてないんじゃないか。割り切れない気持ちと戦いながら、また一歩を踏み出す。
明日もまた、同じやり取りが続く予感
補正、再提出、訂正印、そしてまた登記官のひと言。それでも明日はまた、同じやり取りが待っているのだろう。報われる瞬間なんて、滅多にない。でも、それでも誰かの役に立っているはず。そう思い込まなければ、やっていけない。登記官のひと言が効く日、それは司法書士が試される日でもある。