気づけば、話し相手がいない日々
いつからか、プライベートなことを話す相手が周囲からいなくなっていた。別に仲が悪くなったわけでもなく、疎遠になったという自覚もない。ただ、気づけば「そういえばあの人に最近何話したっけ?」とふと立ち止まる瞬間が増えた。日々の業務に追われているうちに、自然と距離ができてしまったのだろうか。忙しさのせいにするには、少し寂しすぎる気もしている。
昔はもっと気軽に話せたのに
学生時代や修習時代の友人とは、何も考えずに無駄話ができた。夜中に「ラーメン食べに行こう」と誘えばすぐに集まり、将来の話や恋愛話、どうでもいいような話に花を咲かせたものだ。今はどうだろうか。仕事帰りに誰かを誘うことも、近況を聞くことも減ってしまった。SNSで近況を知った気になって、本当の会話をしていない。話しかけるきっかけすら見つからないのが現状だ。
学生時代のような「どうでもいい話」が減った
「昨日さ、コンビニで店員さんに話しかけられてさ…」なんていう、実にくだらない話を延々とできる相手がいた時代。あの空気感が好きだった。話す内容の価値なんて関係なく、ただ誰かとつながっていることが安心だった。今は話す相手がいるかをまず考えてしまう。「この人にこの話しても大丈夫かな」と構えてしまって、結局話さないまま心にしまう。そうやってまた一歩、孤独が深まっていく。
あの頃は誰かに聞いてほしい気持ちもなかった
皮肉なことに、昔は「聞いてほしい」なんて思わずに話していた気がする。気軽に話して、気軽に笑っていた。でも今は「誰かに聞いてもらいたい」「自分の気持ちをわかってほしい」という欲があるのに、それを満たしてくれる相手がいない。期待するから寂しくなる。昔より、話す相手が必要になっているのかもしれない。年齢を重ねて、強がることに疲れてきたのかもしれない。
仕事の話しかできない相手ばかり
年齢を重ね、仕事関係の付き合いが増えるほど、話す内容は限定されてくる。司法書士という職業柄、真面目な話や専門的な話は多いが、そうじゃない話をできる人は極端に減った。「今日は疲れたね」「最近寝つきが悪くてさ」そんなたわいもない話を共有できる相手が思い浮かばない。立場上、相談されることはあっても、こちらが気楽に話すことは難しい。
「先生」と呼ばれることの距離感
「先生」と呼ばれるたびに、少しずつ自分の内面に鎧ができていく気がする。敬意を持って接してもらえるのはありがたい。でもその呼称の裏には、「この人には軽い話はしちゃいけない」という無意識のフィルターがあるように感じる。だからこちらもつい、話す内容を選んでしまう。本当はもっとフランクに話したいのに、期待に応えようとする自分が邪魔をする。
頼られるのはうれしい、でも本音は話せない
頼られることに対して不満はないし、むしろ誇らしい。でも、「しんどい」とか「今日はちょっと元気がないんです」と正直に言える相手はどんどん少なくなっていった。相談を受けることが多くなるほど、自分の弱さを出すことに抵抗が出てくる。誰かの期待に応え続けるうちに、自分の素直な感情を口に出せなくなった。そしてまた一歩、孤独に近づく。
事務所にひとり、黙々と仕事
日常の大半を過ごす事務所も、決して賑やかとはいえない。もちろん事務員さんはいてくれるが、業務上のやりとりがほとんど。こちらが事務所主である以上、どうしても「上下関係」があり、プライベートの話をするには壁がある。ふと顔を上げても、時計の針が音を立てて進むだけの空間。電話が鳴らなければ、無言で一日が終わることも珍しくない。
事務員さんにも話せないことがある
仕事のことなら何でも話せる。でも、心の内を見せるとなると話は別だ。「先生、疲れてませんか?」と気づいてくれる優しさはあるのに、「うん、最近しんどくてさ」とはなかなか言えない。距離を保たなければいけない立場と、近づきたい気持ちがせめぎ合って、結局どちらにも進めないまま黙ってしまう。言わなかった言葉が、胸の奥に沈んでいく。
立場が違うと、気を遣ってしまう
事務員さんとは関係が良好でも、立場の違いはどうしても意識してしまう。仕事の指示を出す側と受ける側。その関係の中で、あまりに個人的な感情や弱さを見せることに躊躇がある。良好な関係を壊したくない気持ちもあり、「上司としてちゃんとしていなきゃ」と勝手に自分を縛ってしまう。結果として、ますます本音は言いにくくなる。
本当はもっと雑談したいのに
「昨日テレビで見た料理が美味しそうで…」そんな何気ない話をもっとしたい。仕事の合間の雑談が、心の潤いになることを知っているからだ。でも、そういう時間を作る余裕もなく、作る勇気もない。本当はもっと、他愛のない話で笑いたいだけなのに、それがとても難しい。笑うのに理由なんていらなかったあの頃が、少し恋しい。
忙しさにかまけて、人との距離が開く
毎日仕事に追われていると、どうしても人とのやりとりを後回しにしてしまう。「今度連絡しよう」「落ち着いたら会おう」そんな言葉が積み重なって、結局何も変わらないまま時間だけが過ぎていく。自分から距離を置いておきながら、孤独を感じるなんて都合がいい。でも、それが今の現実だ。
飲みに行く時間も、誘う余裕もない
飲みに行く時間も気力もなくなって久しい。たまに誘われても、「また今度にしようかな」と断ってしまう。次の約束はなかなか来ない。そんなやり取りを何度も繰り返すうちに、誘われること自体がなくなっていく。自業自得なのかもしれないけれど、ふと「最近誰とも飲んでないな」と気づくと、胸にぽっかり穴が開く。
話すことで気持ちが整理されていた
人と話すことで、自分の中のモヤモヤが少しずつ整理されていたのだと思う。誰かに聞いてもらうことで、自分自身の気持ちに気づくこともあった。今はそれができなくなっていて、ただ感情が溜まっていくだけ。吐き出す場所がないのは、意外としんどいものだ。
誰かに聞いてもらうだけで楽になることも
何かを解決してほしいわけじゃない。ただ聞いてほしいだけなのに、それすら叶わないときがある。「あーそうなんだ」って一言返してもらえるだけで、心が軽くなることもあるのに、それができる相手がいない。「聞いてくれる人」がいるだけで、どれほど救われることか。たった数分の会話に、思っている以上の力がある。
相談じゃなくて「つぶやき」でいい
「相談」だと思うと、相手の時間や気遣いが気になってしまう。でも本当は「ただつぶやきたい」だけなんだ。「最近、ちょっと疲れたな」くらいの一言をこぼせる場所があれば、それだけでいい。そのつぶやきがどこかで拾われて、「わかるよ」って返ってくるだけで、生きやすくなる。そんな場所を、自分でも見つけていきたい。
同業者同士でも、本音は出せない
司法書士同士で集まっても、なかなか本音は話しにくい。近いからこそ、見栄や競争心が出てしまう。弱さを見せると「この人、大丈夫か」と思われるんじゃないかと不安になる。気にしすぎかもしれない。でも、そういう気持ちが心にブレーキをかけてくるのだ。
競争心、見栄、プライドが邪魔をする
「最近仕事どう?」と聞かれて、「順調ですよ」としか答えられない。本当は不安だらけなのに。競争の激しい業界で、自分の弱さをさらけ出すことが怖いのだ。誰もがそれなりに背伸びをして、強く見せている。その空気の中で、本音なんて出せるはずがない。たとえ同業でも、いや、同業だからこそ、壁がある。
「しんどい」と言いにくい空気感
「忙しいけど充実してるよ」そんなセリフが挨拶代わりになっている。でも本音は、「忙しすぎてもう限界」だったりする。そんな一言を吐き出す勇気がない。笑顔の裏で、みんな少しずつ壊れていく。そんな業界の空気が、少し息苦しい。誰か一人でも本音を言ってくれたら、少しは安心できるのに。
それでも、言葉にしなければ届かない
誰かに伝えたい思いがあるなら、やっぱり言葉にしなきゃ始まらない。黙っていたら、誰にも気づかれない。誰かとつながりたいなら、こちらから手を伸ばすしかない。勇気がいるけど、少しだけ自分の殻を破っていきたい。誰かの共感が、自分の癒しにもなるのだから。
誰かの共感は、こちらから差し出すことで始まる
「自分だけじゃなかった」と思える瞬間が、人を救う。だから、まずはこちらから言葉を差し出してみる。このコラムも、誰かがふと読んで「わかる」と思ってくれたら、それだけで意味がある。共感は、待っているだけでは得られない。差し出すことで、初めて返ってくるものだと思う。
このコラムが、どこかの誰かのきっかけになれば
ただの独り言かもしれない。でも、誰かに届いてほしいと思っている。同じように感じている司法書士さん、これからこの仕事を目指す人、別の業界で頑張っている人、誰でもいい。この文章が、あなたにとって「自分だけじゃない」と思える小さなきっかけになれば、それが一番うれしい。