帰り道のコンビニで買うビールがご褒美

帰り道のコンビニで買うビールがご褒美

帰り道のコンビニ、それが今日の終点

毎日、夜の9時を過ぎてようやく事務所を出る頃には、もう辺りは真っ暗だ。繁華街でもない地方の一角、街灯もまばらな中をトボトボ歩いていると、唯一明るく輝いているのがコンビニの看板。司法書士という仕事は、人の節目に関わる反面、自分の節目はなかなか訪れない。今日も誰かの相続登記を処理して、また一日が終わった。そんな日々の終着点が、コンビニであり、ビール売り場だったりするのだ。

コンビニの明かりが、仕事終わりの唯一の灯りに見えるとき

都会に住んでいれば、カフェやバー、ジムなど寄り道の選択肢は多いのかもしれない。でもここでは、コンビニ一択。24時間開いているという安心感と、誰にも干渉されない気楽さがある。事務員も帰ってしまった事務所にひとり取り残されたあと、この明かりが見えるとホッとする。「今日も終わったな」と思わせてくれる、そんな存在なのだ。

事務所を出る瞬間の、解放と虚しさが交錯する気持ち

パソコンの電源を落とし、書類の山を机の隅に寄せ、電気を消す瞬間。一応「よし」と気合いを入れてはみるが、すぐに襲ってくるのは「明日もこれが続くのか」という感情。今日中に処理しないといけなかった登記、ギリギリ間に合ったけど、それは単なる通過点。家に帰っても誰も待っていないし、温かいごはんがあるわけでもない。

「誰も待っていない家」に帰る前の寄り道

アパートの玄関を開ければ、真っ暗な室内。そう思うと、すぐには帰る気になれない。ついコンビニに寄って、何か一つでも「今日はこれを楽しもう」と思えるものを探す。温めてもらった焼き鳥と、350mlのビール。たったそれだけで、今日の疲れが少しだけ和らぐ気がする。コンビニはただの店じゃない。小さな癒しを買える場所なんだ。

たった350mlのビールに込めた救い

飲み過ぎるのは良くないとわかってはいる。健康のことも、翌朝の仕事のことも考えれば、せめて一本。そう決めている。選ぶのは大体同じ銘柄なのに、毎回なんとなく迷ってしまう。今日はちょっと贅沢してクラフトビールにしてみようか。そんなことで気分が変わるなら安いものだ。司法書士の仕事に「正解」は少ないけれど、この選択だけは裏切られない。

晩酌というより「儀式」になってきた

家に帰って、テレビをつけて、冷蔵庫を開ける。そして、今日選んだビールのプルトップをプシュッと鳴らす。その音でようやく、自分が「オフ」になれる気がする。晩酌というには味気ないが、これは自分の一日を終えるための「儀式」だ。これがなければ、ずっと仕事のスイッチが切れないまま、翌朝を迎えてしまう。

冷蔵棚の前で3分悩む、それも一日の締めくくり

仕事のことしか考えていない日々だからこそ、ビールの選択は「自分のための決断」でもある。たかがビール、されどビール。ラベルをじっと見つめて、価格と容量とアルコール度数を比較しながら、「今日は頑張ったからこれ」と、自分に言い聞かせる。誰も褒めてくれないなら、自分で自分を褒めるしかないのだ。

仕事の重さをビールで流せるか

本音を言えば、ビール一本でこの疲れが取れるわけじゃない。でも、何もないよりはマシだと思っている。登記の申請期限に追われ、裁判所とのやりとりに疲れ、顧客の要望と現実の板挟みになる毎日。終わりがないように感じる中で、「今日はこれで終わり」と区切りをつけるために、ビールが必要になる。

今日も登記はギリギリ、明日もギリギリ

急ぎの案件は、たいてい夕方に飛び込んでくる。こっちはもう今日のスケジュールが詰まってるのに、相手は「今日中にお願いできますか?」の一言。断れないのは、仕事が減るのが怖いから。そんな案件をなんとか処理して、19時。申請書類を電子署名して、ギリギリ送信。やれやれと思った瞬間、次の急ぎ案件の電話が鳴る。もう笑うしかない。

「なんとか間に合ったな」という独り言

事務員も帰り、事務所に一人。椅子に背中を預けながら「ふぅ……」と漏れるため息。今日もなんとか終わった。いや、終わらせた、というべきか。スマホで時刻を確認し、「あのコンビニ、まだやってるな」と思いながら立ち上がる。この瞬間だけは、仕事から完全に解放された気になれる。

誰かと飲むことがなくなって久しい

昔は、同期の仲間や先輩後輩と飲みに行くこともあった。いや、正確にはそういう誘いがたまにあった。でも、独立してからは「忙しいから」で断ることが増え、気づけば声もかからなくなった。誰かと一緒に飲む楽しさは、もうずいぶん前の話。今は缶ビール片手にひとりで昔話を思い出すくらいがちょうどいい。

語り相手は、テレビかスマホのニュース

一人で飲んでいると、どうしても何かに意識を向けたくなる。テレビをつけて、誰が結婚しただの、不祥事を起こしただのというニュースに反応してみる。でも、どれもどこか遠い世界の話で、自分には関係ないと感じてしまう。話し相手がいれば、こんな気持ちにもならないのかもしれないけれど。

乾杯の相手がいないことに慣れた40代

「乾杯」という言葉を最後に発したのは、いつだったろう。グラスを合わせる相手がいなくなって、数年が経つ。誰かと分かち合う喜びがないと、アルコールはただの作業になる。けれど、それでも飲みたくなるのは、孤独をごまかしたいからかもしれない。誰かと飲む楽しさはなくても、せめて自分との乾杯くらいはしてもいいだろう。

それでも明日も同じ道を歩く

たとえ何も劇的に変わらなくても、たとえ今日の疲れが明日に持ち越されても、それでもまたコンビニに寄って、ビールを一本買ってしまう。明日も同じような日が待っている。でも、それが悪いとも思わない。自分にとっては、そのルーティンこそが「仕事を続ける理由」になっているのかもしれない。

コンビニの棚を見ながら考える、ささやかな希望

ある日、ふと見かけた若いカップルが、仲良く缶チューハイを選んでいた。「今日はどれにする?」と笑い合う姿が、まぶしかった。そんなふうに、誰かと一緒に買い物をして、一緒に晩酌できたらいいなと、思わないでもない。だけど、今はまだ、ひとりで飲む時間が必要なんだとも思う。

いつか誰かと「帰り道に一緒に寄る日」が来るのか

将来のことなんてわからないし、期待するだけ虚しくなることもある。だけど、今日の疲れを癒やしてくれたこの一本のビールが、「また明日も頑張ろう」と思わせてくれたのも事実。もしかしたら、いつか誰かと「一緒に帰って、コンビニに寄って、ビールを買って、乾杯する日」が来るかもしれない。そんな未来をちょっとだけ信じて、明日もまた、帰り道のコンビニに寄る。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。