午前3時、静まり返った事務所で一人パソコンに向かう
ふと時計を見ると、午前3時。誰もいない事務所の空気は重く、冷たい。蛍光灯の明かりだけがチカチカしていて、目が痛い。自宅に帰って布団に入るという選択肢はもうとうに失われていて、目の前には終わらない報告書の白い画面だけが鎮座している。こういうとき、どうして自分は司法書士になったんだっけと、ふと思う。誇りを持って始めた仕事のはずなのに、今は眠気と孤独と戦うだけの夜になってしまっている。
「あと5分で終わる」は終わらない
午前1時の時点では、「あと5分で終わる」と思っていた。でも現実はそう甘くなかった。申請内容の確認中に軽微な誤記を見つけてしまい、それを直しているうちに、関係書類もチェックし直す羽目になった。しかもこの依頼、依頼者の希望で何度も内容が変わってきた案件だ。もう5回は修正している。眠気もピークだけど、納得いくまでやらなきゃと思う自分もいて、キーボードを打つ手が止まらない。
修正の嵐:依頼者の「やっぱりこうしてほしい」に泣く
「すみません、やっぱり住所の記載をこう変更してもらってもいいですか?」というメールが、夜9時に届く。今日中に終わらせる予定だった作業が振り出しに戻る瞬間。依頼者に悪気がないのはわかるし、柔軟に対応するのが仕事だとも思ってる。でも、正直言ってこっちは泣きたい。深夜のパソコン画面に向かって「やっぱり」って何だよ…と、小声で文句を言いながら修正作業を進める。
時間をかけても評価されない報告書の虚しさ
何時間もかけて作成した報告書。誰よりも細かくチェックし、丁寧にまとめたつもりだった。でも、依頼者から返ってくる言葉は「あ、ありがとうございます」の一言。いや、別に褒めてほしいわけじゃない。でも、ちょっとくらい「丁寧ですね」とか言ってもらえたら、救われるんだよなあと思ってしまう。司法書士の仕事って、努力が見えづらいんだなと痛感する瞬間だ。
事務員は当然帰宅済み、相談相手はいない
うちの事務員さんは、夕方には帰る。だから夜中の作業は当然一人。相談したいことがあっても聞く相手はいないし、愚痴をこぼす相手もいない。独り言が増えるのも仕方ない。誰かに「それ、そんなに気にしなくても大丈夫ですよ」って言ってもらえたら、どれだけ救われるか。けれど、そういう相手がいないのが、ひとり事務所の現実だ。
結局、最後に残るのは自分の責任
どんなに事務員がミスをしても、最終的に責任を負うのは自分だ。印紙の貼り忘れ、書類の取り違え、送信先の入力ミス。指摘すれば事務員さんも気にするから、あまり強くは言えない。でも、役所に提出してから「これ違いますね」と言われるのは結局こっち。だから、最後の最後まで自分の目で確認するしかない。もう何重チェックしてるかわからない。
気を使って言えない「明日でもいいですか?」の一言
依頼者に「明日でもいいですか?」と訊く勇気が出ない。たった一言が言えなくて、報告書に追われて深夜まで働いている。向こうは「そんな遅くまでしてもらわなくてよかったのに」なんて軽く言うけど、それを真に受けてたら商売は成り立たないと思ってしまう。つい「無理をしないと選ばれない」という意識が染みついてしまってる。
深夜残業が常態化する理由
気づけば、残業が当たり前になっている。午後6時が「始業」、午後10時が「ゴールデンタイム」なんて、冗談みたいな感覚が麻痺したまま続いている。周囲の同業者もみんな似たようなものだし、「司法書士ってそういうもんだよね」と言われることもある。でも、果たしてそれでいいのだろうか?とふと思う。心と身体は確実に悲鳴をあげている。
「司法書士だから仕方ない」は本当に仕方ないのか
この仕事、好きで始めた。でも「仕方ない」で済ませてしまっていいのかと考えることがある。事務員を雇っても、仕事が減るわけではなく、むしろ増える。書類を確認し、指導し、顧客対応もして、結局一番大変な仕事は自分に残る。なら一人でやった方が…とさえ思う夜もある。だれか、このループから抜け出す方法を知っていたら教えてほしい。
誰かのミスの尻拭いで、今日も眠れない
市役所から書類が返ってきて初めてミスに気づく。正直、こちらが悪くないミスも多い。登記情報が古かった、連絡が行き違った、申請先の確認ミス…。でもそれを訂正して再提出するのは自分。責任感の強さゆえに、見過ごすわけにもいかず、深夜まで修正と再確認の作業が続く。眠れない夜がまた一つ増える。
受任のタイミングで決まる睡眠時間
受任が夕方だった場合、その日の予定はすべて吹き飛ぶ。急ぎの案件が重なれば、報告書の作成も同日中に終えなければならないこともある。「どうしても明日の午前中までに」と言われると断れない自分がいる。そんな日々が続けば、体力も気力も限界に近づく。それでもやってしまうのは、責任感か、恐怖か、それとも習慣なのか。
プライベートはどこへ行った
もともと多くはなかったが、司法書士になってからはさらに減った気がする、プライベートの時間。気づけば、土日も仕事が入り、友人からの誘いは次第に減り、連絡も途絶えがちになった。女性にもモテないし、恋愛の話なんてもう何年もしていない。仕事にかまけて気づかないフリをしてきたけど、ふと我に返るとちょっと寂しい。
友達も恋愛も、報告書には勝てなかった
大学時代の友人たちは、今や家族との時間を大事にし、休日は子どもの話で盛り上がっている。でも、自分はというと、今日も変わらず登記簿と格闘している。恋人ができそうなタイミングもあったけど、「忙しそうだから…」と遠ざかっていった。たしかに、夜中まで報告書を書いている人間と付き合いたい人なんて、そうそういない。
「今度飲もう」が、1年後でも「今度」のまま
「今度飲もうね」っていう言葉が、何ヶ月も前から未消化のままスマホに残っている。返信しようと思っても、気づけば日付が変わっていて、「今さら?」という気持ちになる。結果、また先送りにしてしまう。そうやって、どんどん人間関係が薄くなっていく。気づけば「司法書士さんって、忙しいですよね」で終わらせられてしまう関係ばかりだ。
午前3時、LINEの未読バッジが心に刺さる
ふとスマホを見ると、未読のLINEが1件。見ると母親からの「体大丈夫?」というメッセージ。返信しようとして、なぜか手が止まる。報告書に追われている自分が情けなくて、素直に「大丈夫」と返すこともできない。こんな夜に、何やってるんだろう、と画面の明かりを見つめる。母の心配も、今は報告書の片隅に置いておくしかない。
そして誰もいなくなった、みたいな日曜日
久しぶりに仕事がなかった日曜日。誰とも会わず、どこにも行かず、コンビニで買ったおにぎりを食べて終わった。外は快晴だったけど、心の中は曇天。こうして少しずつ「普通の生活」から遠ざかっていくのかもしれない。人は一人では生きられないと言うけれど、司法書士は一人で生き延びる術ばかりが身についてしまった。
それでも、なんとかやっていく理由
じゃあ、なぜ続けているのかと問われれば、答えは簡単ではない。でも、やっぱりどこかで人の役に立っているという実感があるのは事実だ。誰かが安心して人生の節目を迎えられるように、裏方として支える。派手じゃないけれど、そんな仕事ができていることに、わずかな誇りはあるのだ。
依頼者の「ありがとう」が、心の支え
たった一言の「助かりました」「本当にありがとうございます」で、不思議と疲れがやわらぐことがある。こちらが徹夜したことなんて相手は知らないし、知る必要もない。でも、その「ありがとう」には、報われる何かがある。たぶん、自分はその一言のために働いているのかもしれない。
時々だけど、報告書が役に立ったと聞くと救われる
登記が無事終わった後、「あの時の報告書のおかげでトラブルにならずに済みました」と言われたことがある。そんな時、すべてが無駄じゃなかったと思える。徹夜も、プレッシャーも、全部ひっくるめて「やってよかった」と思える瞬間。司法書士って、見えないところで誰かの人生を支える仕事なんだなと、改めて実感する。
だから今日も、午前3時に光る画面の前で
深夜の報告書作成は、孤独でしんどい。でも、きっと今日もどこかで誰かが自分の作った書類で一歩前に進んでくれていると信じたい。だからまた、午前3時の静寂の中で、キーボードを叩く。寝不足でも、誰にもモテなくても、この仕事が少しでも誰かの力になるなら、それでいい。そんな気持ちで、また朝を迎えるのだ。