目覚ましが鳴るたびに絶望する

目覚ましが鳴るたびに絶望する

朝が来ることが怖いという感覚

目覚ましが鳴った瞬間、まず心に浮かぶのは「もう朝か…」という絶望感です。夜、遅くまで事務作業をして、ようやく眠りについたと思ったら、ほんの数時間でまた現実に引き戻される。司法書士という仕事は、ただでさえ責任が重いのに、地方でひとり事務所を構えていると、その重みは何倍にも感じられます。朝はスタートではなく、むしろ試合終了後のような疲労感すらある。昔の自分が聞いたら笑うかもしれないけれど、これが現実です。

眠ったはずなのに疲れが抜けない

一応眠ってはいるんです。でも、朝起きたときの感覚は「寝た」ではなく「気絶していた」ようなもの。身体も頭もまったく回復していない。歳のせいかとも思いましたが、それだけじゃない。たぶん、心がずっと緊張状態にあるんですよね。布団の中でさえ「今日もあの案件どうしよう」「クレーム来てないかな」と考えてしまう。夢の中でも登記書類が出てくるときがあって、さすがにそれは笑えました。

夢の中でも書類をチェックしていた夜

以前、夜中に「押印欄が空欄のままだった」と思い出して、飛び起きたことがあります。冷や汗をかいてデスクに向かったら、ちゃんと済んでたんです。でも、もう寝る気にはなれず、結局そのまま夜明けまでぼーっとしていました。その日も例によって目覚ましが鳴って、絶望。人は夢の中でまで仕事をするようになったら、もう休めないってことかもしれません。

休日の朝さえも緊急連絡に怯える

日曜の朝、少しゆっくり寝ようと思っても、どこかで「何かあったらどうしよう」とビクビクしています。実際、相続登記の件で「どうしても今日中に!」という電話がかかってきたこともあって、休みの日が休みじゃない。それでも「司法書士だから仕方ない」と思うしかないんですよね。でもそのたびに、「これって普通の働き方なのか?」と自問するようになりました。

起きた瞬間に押し寄せる不安の正体

目覚ましが鳴る=仕事が始まる、ではなく、プレッシャーと不安が襲ってくる合図。とくに朝一番に届くメールのタイトルを見るのが怖い。役所からの連絡や、お客さんからの長文メール、どれも心がすり減る要素しかありません。眠気より先に「心がつらい」と思う日が増えてきた自分に、時々ゾッとすることもあるのです。

今日の予定表を見て絶望する

事務所のカレンダーアプリを見ると、時間ごとにびっしりと入った予定。打ち合わせ、書類作成、法務局、銀行回り…ひとつ終わったら次。予定が詰まっていない日は逆に「電話が鳴るかも」と不安になる。つまり、忙しくても不安、暇でも不安。どっちに転んでも心が休まらない。人間って、こういう働き方に本当に耐えられるんでしょうか。

午前の電話だけで一日が終わる予感

9時からの電話ラッシュで、午前がほぼつぶれることもよくあります。「ちょっとだけ聞きたいんですけど…」が10件。しかもその“ちょっと”が30分コースなんですよね。そのたびに「もう午後やる気出ないな」と思いながらも、やるしかない。気づけば今日も昼飯をコンビニで済ませて、夕方まで机にかじりつき。そうしてまた夜も残業、というループ。

予定にない「急ぎ」の案件が一番怖い

午後2時、「今から急ぎでお願いしたい登記がありまして」と言われた瞬間、胃がキュッと痛くなる。こっちはすでに今日やることで手一杯。でも断ったら「融通がきかない」とか思われそうで、それも怖い。予定外の仕事が入ると、予定通りの仕事が崩れていく。その結果、夜10時まで働く羽目になる。こういう日が月の半分以上あると、さすがに気が滅入ってきます。

誰も気づかない孤独な責任の重さ

司法書士って、「先生」と呼ばれることがあっても、実際はすべて自己責任の仕事です。地方で事務員一人の小さな事務所をやっていると、相談できる相手もいない。書類の不備があっても、誰のせいでもない。全部、自分のせい。ミスをしてしまえば信用問題に直結。だからこそ、朝の「絶望」は積み重ねられたプレッシャーの結果なんだと思います。

事務員に相談できない決断の瞬間

うちの事務員さんはよくやってくれてます。でも、登記の最終判断やリスクの取り方については、やはり自分ひとりで決めるしかない。たとえば登記原因の認定が曖昧な場合、法的解釈と実務上の落とし所のバランスを取る必要がある。その判断を誤れば、後で自分が責任を取ることになる。そういう緊張感を、誰にも共有できないというのが、いちばん堪える。

「全部ひとりでやって当然」と思われる理不尽

たとえば登記簿の内容チェック、郵送手続き、顧客対応、報告書作成…全部こっち。事務所の清掃や備品管理も気がつけば自分。誰にも頼れないし、頼んでも「先生がやった方が早い」と言われる。これって「小規模事務所あるある」なんでしょうか。責任はあるけど、権限はない。疲れます、本当に。

希望が見えた日も、またすぐ絶望がくる

たまに「今日はスムーズに進んだな」と思える日があります。でも、そういう日に限って、夕方に新規の難件が舞い込んでくる。希望が見えた途端、絶望に引き戻される。この繰り返し。だからこそ、朝の目覚ましが鳴る瞬間に、「どうせまた何か起こるんだろ」と思ってしまうようになるんです。悲しいけど、それが現実。

依頼が多いのは感謝…でも心がついていかない

仕事があるのはありがたい。でも、量と心の余裕は別問題。「頼りにしてます」と言われて嬉しい反面、「いつまでこの働き方を続けられるのか」と不安にもなる。身体もそうですが、気持ちが追いつかない。野球部時代のように、気合と根性では乗り越えられないステージに来てしまったのかもしれません。

「この仕事向いてないかも」と毎朝思う

「自分には向いてないかもしれない」と思う朝が、最近とても増えました。でも、それでもやるしかない。お金の問題もあるし、今さら他の仕事に就けるとも思えない。司法書士という資格が自分の支えであると同時に、足かせにもなっている気がします。自由になりたい。でも、どうすればいいのか、わからないまま朝が来るんです。

それでも続けている理由を探す

こんなに愚痴ばかり書いても、明日も目覚ましは鳴ります。たぶん、また絶望しながら起きる。でも、不思議と「やめよう」とは思わない。苦しいけれど、きっとどこかで「まだ頑張れる」と思っているんでしょうね。自分でも理由はよくわからない。ただ、「もう少しやってみようかな」と思える一言が、時々誰かから届くんです。

ふとした瞬間に救われる言葉

「先生がいてくれてよかった」と言われたことがあります。その言葉が、どれほど心に染みたか。何でもない一言でも、それがあるから続けられる。結局、自分が一番欲しいのは「報酬」より「承認」なのかもしれません。今日も絶望から始まった朝。でも、最後に少しでも「ああ、やってよかった」と思える瞬間があれば、それで十分なのかもしれません。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。