その一言が胸を刺す瞬間
「いつ結婚するの?」――この言葉を聞くたびに、心のどこかに小さなトゲが刺さるのを感じる。45歳独身、地方で司法書士を営んでいるが、親戚や知人との何気ない会話の中でこの質問が飛び出すことが未だにある。本人に悪気がないのはわかっているのに、なぜか妙に刺さる。忙しさにかまけて気づかないふりをしてきたけれど、改めて考えると、自分の生き方が否定されたような気さえしてしまうのだ。
親戚の集まりで必ず飛んでくる質問
正月やお盆になると、実家に帰省する。そこには昔からの親戚たちが集まり、賑やかな会話が広がる。だが、その場の空気を一瞬止める魔法の言葉がある。「ところで、結婚はまだなの?」という一言。これ、定番すぎてもう答えのレパートリーも尽きてしまった。笑って返していた20代、曖昧に流していた30代、それが40代になると、もはやリアルな問題として心に響くようになる。
笑って返せたのは三十代前半までだった
若い頃は「まだ運命の人が見つかってなくて」なんて軽口を叩いてごまかせた。それで場が和んだし、何ならちょっとした笑いも取れた。しかし、今や笑いも起きず、「うーん、まぁね……」という、微妙な空気だけが漂う。年齢という現実が、冗談を冗談で済まさせてくれなくなっているのだ。相手も気を遣って「いい人いないの?」と畳みかけてくるが、そっとしておいてほしいというのが本音だ。
年齢が上がるにつれて冗談に聞こえなくなる
「まだ独身?」と聞かれても、30代までは笑い話にできた。だが、40代になると、相手の目に「なんで?」という疑問が浮かんでいるのが見える。こちらも「いや、色々ありまして」と言いながら、内心では『誰も選んでくれなかっただけだよ』なんて自虐が頭をよぎる。正直に答えたところで、場が重くなるだけ。だから余計にしんどくなる。
依頼人にも聞かれる日常会話の罠
司法書士という仕事柄、地元の高齢者や親しみやすい方が多く訪れる。相談の流れの中で、「先生はご結婚されてるの?」と聞かれることがある。本人は何気ない世間話のつもりなのだろうが、こちらにとっては地味に効いてくる質問だ。仕事のプロとして接しているのに、そこに私生活を持ち込まれると、不意を突かれたようで動揺してしまう。
職業柄信頼されるがゆえの余計なお世話
地域の中で信頼されているからこそ、少しフレンドリーな質問を投げかけられる。結婚して家庭を持っているかどうかは、なぜか「信用」や「安定」と結びつけられることがある。まるで独身であることが、仕事における何かマイナスであるかのように感じさせられる。もちろん実際にはそんなことはないのだけれど、自分の中でもどこか引け目があるからこそ、そんな風に受け取ってしまうのかもしれない。
返す言葉に詰まる独身司法書士のリアル
あるとき、高齢の依頼者に「こんないい人なのに、なんで結婚しないの?」と言われたことがある。その言葉を「ありがとうございます」と受け止めつつ、胸の中は苦笑いだった。答えようがないのだ。忙しい、出会いがない、そもそも結婚願望が薄い……全部半分正解で、半分言い訳。そして、一番言いたいことは「それ聞かないで」ということなのだ。
正しい返し方なんてそもそもあるのか
「正しい返し方」とタイトルには書いたけれど、正直そんなものがあるのかどうか、今でもわからない。場の空気や相手との関係性で、最適解は変わるし、自分のメンタルの状態によっても答えが揺れる。そもそも、何をもって「正しい」と言えるのか。聞かれた側にとって、傷つかずにやり過ごせる方法こそが正解かもしれない。
正論で返すと場が凍る現実
「結婚は義務じゃないですし、無理にするものでもないと思っています」――これ、実際に一度真顔で言ったことがある。結果、相手は黙ってしまい、こちらもバツが悪くなった。正しいことを言っているはずなのに、正論は時として場を冷やす。お互いに悪気がないのに、なんとも居心地の悪い空気になる。だからこそ、慎重になるのだ。
結婚は目的じゃないと言ってみた結果
別の場面では、「結婚がゴールじゃないと思ってます」と言ってみたことがある。自分ではうまく言えたつもりだったが、返ってきたのは「そうやって強がってる人、多いよね」という一言。まるで傷を隠しているだけだと見抜かれたようで、なんとも言えない気持ちになった。本音を言ったつもりが、斜めから見られてしまう現実がある。
空気を読む力と正直さは両立できない
結局、空気を読んで適当に返すのが一番丸く収まる。でも、それができない日もある。「なんでそんなこと聞くんだ」と心の中で反発してしまう時もあるし、かといって黙って受け流すのも辛い。正直であることと、相手を不快にさせないこと。この二つは案外両立しないのだと痛感する瞬間が何度もあった。