朝からつまずくこともある
司法書士という仕事は、世間の人が思うよりもずっと神経を使います。特に地方の小さな事務所を一人で回していると、朝から「今日も何か起こるかもしれない」と身構えてしまうことがあります。寝起きの頭で、昨日のトラブルを引きずったまま、気持ちの整理もつかずに仕事が始まる。そんな日も少なくありません。
目覚ましより早く鳴る不安の声
朝5時前、目覚まし時計が鳴るより先に目が覚めてしまう日があります。あれこれ仕事のことが頭をよぎって、夢の中でも依頼人と揉めている始末。布団の中で「行きたくないな」と思う自分に、少しだけ情けなさも感じます。朝から気力が湧かず、誰とも話したくない、でも話さなければならない。独立して自由になったはずなのに、心はいつも拘束されています。
「今日も何か起こるかもしれない」と思いながら出勤
出勤といっても、自宅兼事務所ですから、数歩で到着するのですが、その数歩が重い。トラブルの予感や、予定変更の連絡がないかとスマホを睨みつけながらの移動。今日こそ穏やかに過ごしたい…そう願っても、願い通りにいかないのがこの仕事。油断すると、たった一本の電話が一日をぐちゃぐちゃにしてしまうのです。
一人事務所の気配のなさが重くのしかかる
玄関を開けても、誰の「おはよう」も聞こえません。唯一の事務員さんが来るのは少し後。書類の山と沈黙に包まれた部屋は、まるで仕事に取り残された牢屋のようで、毎朝その冷たさに心がしぼんでいきます。
モニター越しに映る自分が疲れて見える
ふとPCを立ち上げたとき、画面の隅に映る自分の顔にギョッとします。眉間にシワ、目の下にクマ。疲れが滲んだ顔を見て、「これは誰だ?」と思うことすらあります。ここ数ヶ月、まともに笑った記憶がない気さえして、自分の顔がどんどん感情を忘れていくような気がするのです。
相談者の言葉より、沈黙に傷つくことも
依頼者の中には、信頼してくれる人もいれば、完全にこちらを疑ってかかってくる人もいます。「そういうの、他ではこうでしたよ」とか「本当にそれで大丈夫なんですか?」といった一言の裏にある警戒心。言葉よりも、その沈黙と目線が怖いのです。自分のやってきたことすべてを否定されたような気持ちになります。
資料の山に紛れて消えてしまいそうな日常
机の上は常に何かの「締切」でいっぱい。重要書類や登記書類の束の間に、自分の居場所がなくなるような感覚。気づけば、昼ご飯を食べたかどうかすら思い出せず、ただただ疲弊していきます。
ふとした一言が心に届く瞬間
そんな荒んだ一日の中で、ふとした一言が心に染みることがあります。誰かの優しさに触れると、「まだやっていけるかもしれない」と思えるから不思議です。人の言葉というのは、時に薬より効くものなのかもしれません。
「お忙しい中すみません」ではなく「ありがとうございます」
依頼者からのメールや電話で、「お忙しいところすみません」という枕詞がつくのはよくあります。でも、あるとき若い依頼者がぽろっと「ありがとうございます」とだけ言って電話を切ったことがありました。それが妙に心に残ったんです。気を遣われるより、純粋な感謝の方が、よほどこちらの気持ちを軽くしてくれる。
見知らぬ人の感謝に救われる
ある日、電話対応だけして終わった方から「本当に助かりました。声を聞けただけでも安心しました」と言われたことがありました。正直、事務的な説明しかしていなかったので意外でした。でもその一言で、「自分の声にも意味があるのか」と少し自信が戻ってきたんです。
言葉は短くても心に染みる
長々とした慰めや励ましより、「助かりました」の一言が、一番沁みるときがあります。簡単に言っているようでいて、それは本心だったりする。そんなとき、言葉の力って侮れないなと感じるのです。
事務員の何気ない一言に泣きそうになる
うちの事務員さんは20代で、気が強そうでいて意外と気遣いが細やか。ある日、妙に黙っていた私に「先生、なんかありました?」と聞いてきた。その一言が妙に効いて、泣きそうになりました。普段あまり自分のことを話さないぶん、誰かに気にかけられると、それだけで救われるのです。
「先生、疲れてます?」の一言で我に返る
疲れていると、自分では気づかないことも多い。でも、顔に出てたんでしょうね。彼女の一言で、「あ、顔に出てるんだな」「無理してたんだな」と自覚することができました。自分では気づけないことを、誰かに言ってもらえることは、とてもありがたい。
自分を気にしてくれる存在のありがたさ
孤独な仕事だからこそ、「誰かが自分を見ていてくれる」という安心感は大きい。たとえそれが家族でなくても、同僚でも部下でも、気にしてくれる存在がいるだけで、日々の重さは軽くなります。