登記申請システムに殺意を覚える日

登記申請システムに殺意を覚える日

登記申請が進まないだけで一日が終わる虚無

登記申請、ただそれだけの作業のはずなのに、画面の前に座っているだけで一日が終わる。そんな日は珍しくもなんともない。操作そのものよりも、謎の不具合とエラー表示に心が削られていく。どうしてこんなにスムーズにいかないのか。こっちは依頼者からのプレッシャーも感じてるのに、システムが一歩も動かないまま時間だけが流れていく。時計の針を見るたび、焦燥感に胸が詰まる。

ログインできない朝はもう慣れた

朝一番、事務所のコーヒーを片手にパソコンの電源を入れる。さあ、今日も頑張るぞと思ってログインしようとすると、「現在混雑しております」のメッセージ。もう10回目くらいだろうか。いや、そんなもんじゃないかもしれない。ここまでくると、「またか」とため息をつくことすらルーティンになっている。やる気は朝一がピークなのに、それを一瞬でへし折られるのだ。

パスワードが合ってるのに拒絶される地獄

パスワードを何度打ち直しても「IDまたはパスワードが違います」。一瞬、自分の記憶を疑う。でもメモしてある。コピーしてる。間違ってない。それでもログインできない。キャッシュを消して、ブラウザを変えて、最終的には再起動。それでようやく入れたと思ったら、今度は操作画面が真っ白。なんでこんな理不尽に耐えなきゃならないのか。

ブラウザのバージョンで振り回される謎

ある日は突然、「このブラウザは対応していません」と表示されてフリーズ。昨日まで使えていたのに。アップデートされたのはこちらの責任じゃない。にもかかわらず、急きょ別のブラウザを探してインストールするはめになる。登記の準備よりも、まず「システムと戦う準備」をしなければならないこの現実。これはもう司法書士の仕事じゃない。

予定していた登記が午後にずれ込む日常

朝のうちに済ませる予定だった登記申請が、気づけば昼を越え、午後にずれ込む。何が悪かったのか、特に自分に非はないはず。でもシステムが動かない。するとスケジュールは崩れ、事務員にも影響が出る。こうして小さな崩れが、大きなストレスへと膨れ上がっていく。

自分のミスじゃないのに遅れるつらさ

依頼者に「まだですか?」と聞かれたときのあの気まずさは、胃の奥に重く残る。こちらが悪いわけじゃない。でも言い訳のように「システムが…」と説明する自分が情けない。まるで責任転嫁してるように思えて、自尊心が削れていく。誠実でいたいのに、誠実であればあるほど苦しくなる。

電話での説明に心がすり減る

「この画面の次はどうすれば?」と事務員に聞かれ、または法務局に問い合わせる。そのたびに、こちらの心の温度は下がっていく。一緒に悩んでくれる相手がいればまだ救われるが、たいていの場合、答えは「しばらくお待ちください」。でも、その“しばらく”が永遠に思えるのだ。

なぜこんな仕様になったのか問いかけ続けている

もう10年はこのシステムに付き合っているはずなのに、いまだに「なんでこうなるの?」と問いかけることがある。直感的に使えない操作性、意味不明なエラー文、そして突如として消える入力情報。ここはユーザーが試される戦場だ。

操作マニュアルを開くたびにため息

分厚いPDFの操作マニュアル。検索機能も使いにくい。たどり着いたページの説明文を読んでも、結局なにが言いたいのかわからない。現場の感覚とは明らかにズレている。「それ、実際に入力してみましたか?」と聞きたくなる説明が並ぶ。

説明の言葉が現場の感覚とズレている

「次の画面へ進むには“確認ボタン”を押してください」って書いてあるけど、その確認ボタンがどこにもない。しかも微妙に名称が違うボタンがいくつもあって、どれが正解かは一か八か。そのうえ、一度間違えると最初からやり直し。まるで間違い探しゲーム。

テストしたのかと聞きたくなる挙動

マウスを動かしただけで勝手に入力欄がリセットされる現象。再現性もなく、ただ“そうなる”としか言いようがない。こちらは慎重に進めてるのに、画面はそれを裏切る。動作確認は本当にされたのだろうか? 現場を知ってる人が開発に関わっているとは到底思えない。

改善される気配がないことに慣れてしまった

年に一度あるかないかのアップデートも、希望より不安が勝る。「今度こそ良くなるかも」と思ってしまう自分に、あとから腹が立つ。期待しなければ傷つかない。でも、それがすでに心がすり減っている証拠なのかもしれない。

バージョンアップで期待してはいけない

「新機能追加のお知らせ」という通知を見ると、まず疑ってかかる。改善されているのではなく、別のトラブルの種が増えていることのほうが多いからだ。バグが一つ減って、二つ増える。それがこのシステムの成長の仕方なのだ。

不具合報告も空しく感じるように

「ご意見ありがとうございます」の自動返信が来た後、何も変わらない。こちらの声が届いていない感覚。書いても無駄なんじゃないかと感じ始めると、もう報告さえしなくなる。改善のための声が、静かに消えていく。それが一番怖い。

事務員のほうが先にあきらめてしまう

こちらが励まさなきゃいけない立場なのに、事務員のほうが早く現実を受け入れて「どうせまたダメですよね」と笑う。それが冗談じゃなく、本音なのがつらい。やる気の火が静かに消えていくのを見ているような感覚。

「またですか」の声が刺さる

「またエラーです」「またログインできません」その言葉を聞くたびに、申し訳なさと無力感が押し寄せる。こちらもどうにもできないとわかっているのに、なんとかしなきゃというプレッシャーに押しつぶされそうになる。

お互い無言になる時間が増えていく

画面を見つめる無言の時間。以前は会話しながら仕事していたのに、最近は口数が減った。笑顔も減った。どちらからともなく、疲れた空気が流れていく。こんなつもりじゃなかったのに、気づけばそんな日々だ。

怒る相手がいないことで余計につらい

誰が悪いのかはっきりしない。でも誰かに怒りたくなる。でも誰にも怒れない。結局、自分の中で処理するしかない。そのやり場のない感情が積もっていって、ある日突然、全部嫌になることがある。

「早く終わらせてあげたい」気持ちと裏腹に

事務員に無駄なストレスをかけたくない。でも、どうにもならないとき、助けてあげられない自分に腹が立つ。結局、自分も被害者で、でも責任者でもある。そのジレンマに押しつぶされそうになる。

優しさが空回りする悲しさ

「無理しなくていいよ」「今日はもうやめようか」と言ったときのあの空気。相手を気遣ったつもりでも、ただの敗北宣言にしか聞こえなかったかもしれない。優しさのつもりが、ただの無力さに見えてしまうことが一番つらい。

自分がもっとできればという思いが重くなる

もっと知識があれば、もっと対処できたら、そんな「もっと」が次々と頭をよぎる。でも現実はそう甘くない。頑張ってもどうにもならないことがある。そうわかっていても、結局自分を責めてしまう。

元野球部の気合いじゃどうにもならない

高校時代、泥だらけになってグラウンドを走っていた自分。努力すれば報われると信じていた。でもこの世界は違う。努力では越えられない“仕様”という壁が、毎日目の前に立ちはだかる。そんなとき、自分の無力さが身にしみる。

根性じゃ直らないものもある

画面をにらんでも、怒鳴っても、ぶっ叩いても、システムは動かない。昔なら気合いでどうにかしたけど、今はもうわかっている。気合いだけじゃどうにもならない世界もある。だからこそ、余計につらいのかもしれない。

「切り替えていこう」が通用しない世界

野球部の監督によく言われた。「ミスは切り替えろ」と。でも登記申請では、切り替えてもまたエラー、また不具合。前向きな気持ちが意味をなさないとき、人はどうやって立ち上がればいいのだろうか。

体力よりメンタルが消耗していく日々

体力にはまだ自信がある。でもメンタルは日に日に削られていく。前は耐えられたことが、今では涙が出そうになるほどつらい。このままで大丈夫か。そんな不安を抱えながら、明日もまたログインを試みる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。