人に気を遣うことは美徳か呪いか
司法書士という仕事は、依頼人や役所、関係士業など、実に多くの人と関わる。そんな中で「気を遣える人」は重宝される。だけど、それが度を越すとどうなるか。気を遣いすぎた結果、相手にとっては「ありがた迷惑」、自分にとっては「報われない疲労感」になる。昔から「空気を読め」と言われて育ってきたけど、その空気に自分が飲まれ、溺れている感覚がある。気遣いが生きる現場もあるけど、そればかりじゃ自分が持たない。
仕事柄求められる「空気を読む力」
登記業務は、淡々と書類を作っているようでいて、実は「人」を見る仕事でもある。依頼人が何を望んでいるか、何を不安に感じているか、それを読み取って言葉を選ぶ。たとえば、相続登記で相談に来た高齢者が、不安げに「これで大丈夫ですか」と何度も聞く。そのたびに「はい、大丈夫ですよ」と笑顔で答えるけれど、内心は「何回言えば伝わるんだろう」と思ってしまう自分もいる。でも、それを顔に出したら終わり。そんな緊張感が日々続く。
登記の現場でも滲み出る性格
相手のちょっとした表情の変化に敏感で、何か不快にさせてしまったかと気にしてしまう。たとえば書類の説明中に相手が腕を組んだり、視線を逸らしたりすると、「自分の説明が悪かったのか」と不安になる。その後、わざわざ補足資料を用意したり、メールで丁寧にフォローを送ったりするが、大抵は「別にそんなに気にしてないよ」と軽く流されて終わる。こちらの気遣いが、空回りでしかなかったと知ると、自己嫌悪に陥る。
相手の表情ひとつに振り回される
たとえば、ある依頼者に対して「ちょっと難しい説明をしてしまったかも」と思い、すぐに電話をかけ直して丁寧に補足した。すると「そんなに気にしないでいいですよ」と笑って言われた。嬉しい反面、「やっぱり自分、気を遣いすぎてるな」と虚しさも湧いてきた。相手の表情ひとつに一喜一憂し、対応を変える日々。それが良い結果に繋がればまだしも、結果が変わらなければ、気遣いの分だけ疲れるだけなのだ。
気配りが裏目に出る瞬間
誰かのためにと思って動いたのに、それが逆効果になる瞬間がある。たとえば、書類の整理を事務員の手を煩わせまいと自分でこっそりやっていたら、かえって「信用されてないのか」と言われたことがある。「いや、そういうつもりじゃなくて」と慌てて弁解したが、結局こちらの意図は届かなかった。気遣いとは、相手がそれをどう受け取るか次第で、時に厄介な結果を招く。
頼まれていないことをやってしまう
これは本当にあるあるだと思う。気を利かせたつもりで作成した資料や、先回りした提案が「それ、必要なかったです」と言われると、もう心が折れる。特に時間をかけたものほど、その一言で全てが無に帰したような気になる。昔、会社設立の登記で事業目的の例文を10パターンくらい用意してあげたら、「こんなにいらないです」と言われたときは、本当に凹んだ。気を遣った分だけ空回り、よくある話だ。
「余計なこと」をしてしまった後悔
一番厄介なのは、やった後に「あれ、これって逆効果だったかも…」と気づくとき。たとえば、ある依頼者が時間に厳しいタイプだと感じて、すべてのスケジュールにバッファを持たせて案内したら、「待たされてる感じがして嫌だった」と言われたことがある。最善と思って動いたのに、結果的にはマイナス。こういう経験が続くと、気遣い=地雷、のように感じてしまい、何もできなくなってしまう。
誰も責めていないのに自分を責めてしまう
本当に不思議なもので、誰からも文句を言われていないのに「自分が悪かったのかもしれない」と思い込んでしまう。反省癖、自己否定癖ともいえるこの性格は、年々強くなっている気がする。誰かに対してちょっとでも不快な思いをさせたのではと考え始めると、頭の中がそのことでいっぱいになり、何も手につかなくなる。気を遣いすぎて、心の余白がどんどん削られていく。
真面目な人ほど抱え込みやすい
昔から「真面目だね」と言われることが多かった。でもそれって、実は誉め言葉じゃない気がする。何でも自分で抱え込み、手を抜けない性格。人に頼るのが苦手で、「全部自分でやった方が早い」と思ってしまう。だけど、それが結果的に自分を追い詰める。事務員にも頼れず、同業者に相談する余裕もなく、ひたすら一人でぐるぐる悩み続ける。そんな性格が、この仕事の孤独さをさらに深めている。
相談できる相手がいないという孤独
田舎で司法書士をやっていると、愚痴をこぼせるような同業者のつながりも少ない。昔は同期と電話でしゃべることもあったけれど、今は皆それぞれ忙しくなり、関係が希薄になってしまった。たまにSNSで見かける「仲間と情報共有しています」みたいな投稿を見ると、うらやましくもあり、虚しさも感じる。誰にも話せない悩みが積もると、どんどん気遣いが自分を縛っていく。
続き
このまま気遣いに振り回される人生でいいのかと、ふと我に返る夜もある。誰にも責められていないのに、自分で自分を裁いてしまう。もう少し自分に甘くなってもいいのかもしれない。失敗しても、空回りしても、「それも自分」と受け入れることができたら、少しは心が軽くなるのかもしれない。